国鉄時代、石炭輸送で賑わった駅の…
九州旅行三日目、平成筑豊鉄道の旅を楽しんでいた。

田川線の崎山駅に古そうな木造駅舎が残っているので降りてみると、2番ホームの駅名標裏手に枯池があるのを発見した。

木々や花の緑がぼうぼうと盛んに茂る中に、埋もれるように存在している。

でも橋が架かった中の島があり、島の上には花のような形をしたコンクリートのオブジェまである。たぶんこの花は注水設備で、かつては花びらからこぼれる様に、池に水が注がれていたのだろう。
今でこそ、緑に埋もれ廃れた様を晒されているが、背後には桜の木があり、松も植えられ、花がきれいで緑豊かな庭園だったに違いない。いまでは僅かに咲くユリが、かつての名残りをかろうじて留めていた…。
[2015年(平成27年) 6月訪問] (福岡県京都郡みやこ町)
崎山駅訪問ノート

ボロくて衝撃の木造駅舎だった。駅舎を正面から見ると待合室部分は歪み、右下1階の室内は蔦に完全に占拠され、まるで廃墟のよう。ガラス窓はあちこちで割れていた。こんな状態だから当然、無人駅だ。
駅の開業は戦後の1954年(昭和29年)4月20日、信号所としての開業。2年後の1956年(昭和31年)8月11日、旅客駅に昇格となった。それを考え改めて見ると、駅舎右側の駅事務室部分と、左側の待合室部分の感じがちょっと違うのは、もしかしたら、旅客開業が決まった時、左側の待合室部分を予定外に設計変更し増築したからなのかもしれない。右側の2階建て部分は運行管理のためで、元々あったのだろう。左側が中2階というのも不思議な造りだ。
その左右の一体的でない造りのため、待合室部分だけがゆがんできているのかもしれない…
プラットホームは列車交換が可能な2面2線で、駅舎の部分を境に千鳥式…互い違いに配置されている。それぞれの番線のレールはプラットホームの倍以上とかなり長い。かつて筑豊地区が石炭で活気付き、国鉄田川線だった頃は石炭輸送で賑わっていた時代が偲ばれた。今は単行か2両程度の列車が止まるだけ…

前日、ボロ駅舎として知られるJR筑肥線の肥前長野駅が改修された姿を見ていたが、この崎山駅はそれに代わる大きな衝撃、新たな日本トップクラスのボロ駅舎にまみえた。
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旧国鉄の一つ星レトロ駅舎