湯里駅 (JR西日本・山陰本線)~時が止まったままの木造駅舎~



使い古された木が紡ぐ味わい深き空間

山陰本線・湯里駅、プラットホーム

 江津駅から山陰本線の上り列車に乗り湯里駅で降りた。駅は小高い山を切り開いた場所にあり、国道9号線の坂道の横に沿うように駅が設置されている。プラットホームは国道の坂の上と同じ高さにある。ホーム北端は周囲の集落を見下ろすように位置している形だ。

JR西日本・山陰本線・湯里駅、ホームから木造駅舎を見下ろす

 そして、プラットホームからは坂の下に、古びた木造駅舎が佇んでいるのが見下ろせた。高低差があるが、長い階段で結ばれている。

山陰本線・湯里駅、枯れた池がある日本庭園跡

 階段を降りると、左側に和風庭園のような一角があった。しかし、池の水は既に抜かれてしまってる。昔は水が張られ中では金魚が泳ぎ、駅のオアシスのように乗降客を和ませるものだったのだろうが、無人駅となり管理する人がいなくなり、干上がってしまったのだろう…。

山陰本線・湯里駅の木造駅舎、木のままの改札口、窓枠...

 無人駅となり久しいが、改札口には木のままのラッチが残っている。長い駅舎の窓枠は全て木製だ。長い軒は自転車置き場に最適だ。

山陰本線・湯里駅、改札口、ベンチ、窓口… 木の世界

 木製の改札口を通り待合室に入った瞬間、木で彩られた空間に、まるで何十年も時を遡ったかのような懐かい感覚に陥った。改札口、出札口、手小荷物用の窓口、ベンチ、窓枠 壁、天井…。新しさを感じさせるものは何一つ無く、完全なる何十年前の駅の待合室だ。木の各部分は長い年月使い込まれた独特の渋味を放つ。

山陰本線・湯里駅、無人駅となっても残る窓口跡(出札口、手小荷物窓口)

 特に原形を保っている窓口の造形が見事で美しいとすら思う。木造駅舎は改修されながらも、現代でも意外と数多く残っている。だが、無人化された駅では、待合室は多かれ少なかれ改修される場合が多く、特に不要となった窓口部分は塞がれるなど改修される場合がほとんどだ。でも、湯里駅の窓口は無人化されながらも、よく存えたものだ。

 湯里駅に来たのは初めてで、正直、窓口や待合室が原形を保っているという確証は無い。でも、素朴な造りと、使い込まれた木の質感に包まれた空間は、私が生まれるはるか昔の駅はこうだったんだなと感じさせるに十分な雰囲気を漂わせている。

 そんな木の空間の隅っこ…、小荷物用窓口のカウンターの上に、熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。寂しい無人駅にこんなものが置いてあればちょっとした癒しになりそうだが、元の白色はすっかり薄汚れ、〝捨て熊〟のような悲哀を漂わせている。かなり長い間、ここに置かれているのだろう。持ち主は何を思って、この駅に置いたのだろうか…、そして、遠き日に、この駅に置いた熊のぬいぐるみの事を思い出す事があるのだろうか…?そして、この熊はこの駅にただ独りで、何を待っているのか、何を思っているのか…、ふとそんな事を考えてしまった。

山陰本線・湯里駅窓口跡、レインボー山陰のステッカー

 手小荷物取り扱い窓口のガラス窓に荷物取扱時間を示したシールがいまだに残っている。昔は朝の8時から夕方の4時まで営業時間だったとの事。

 その上には、円形の青いステッカーが張ってあった。よく見ると「レインボー山陰」と大きく書かれている。今でいう「デスティネーションキャンペーン」のキャッチフレーズで、虹と陸地と海をかたどった図柄に、「海、山、湖、温泉、味覚、神話、民謡、<7つの魅力>」と添えられていた。

 その下には「新幹線岡山開業」、その隣には「ひかりは西へ」と付け加えられていた。何と!山陽新幹線、新大阪‐岡山間開業が1972年(昭和47年)3月15日だから、今から30年以上も前のものである。新幹線は北は八戸、南は鹿児島まで路線網を伸ばし、更なる拡充計画が進んでいるのに、こんなものが未だに残っているとは…。どうやら、この駅は本当に今の時代から私を引き離そうとしているようだ。

JR西日本・山陰本線・湯里駅、無人駅だが趣き深い木造駅舎が残る

 外に出て、駅舎の外観を見てみた。ありふれた控え目な造りだが、今となってはそこが素晴らしく、素朴で味わいに溢れる。駅舎は1935年(昭和10年)5月1日の駅開業以来のものとの事。築69年、まさに時代を超えた木造駅舎だ。

 待合室のベンチに座り、やはり素晴らしい空間だと感嘆に浸っていた。しかし列車の時間が迫っていた。僅か30分程度で立ち去るには、あまりに惜しい駅だ。しかし次の列車は1時間以上も先。乗っておいて方がいいと思うが、まだこの駅にいたいという思いが、時間が迫る程に私を激しく引き止めた。そして、ホームに列車が進入してきた気配が伝わってきた。

山陰本線・湯里駅、昔ながらの木造駅舎と国鉄色気動車

 私は駆け出した。ホームにではなく駅舎の外へ…。どんな車両がやってくるかを見届けようと思ったからだ。やってきた車両は国鉄色のキハ40形だった。去りゆく車両を見上げながら、この昔のままの木造駅舎に似合うのはキハ120形ではなく、やっぱり国鉄色の古参気動車だよなと思いながら、走り去る列車を見上げた。

 さて、次の列車は1時間以上も先だ…。ありあまる時間を潰そうと、集落の中でも行ってみようかと思った。駅はやや奥まった場所にあり、駅から斜めに伸びる道を50メートルほど歩くと国道だ。国道沿いには商店も建っているが、既に廃業している様子だ。

島根県大田市、山陰本線・湯里駅近くのこじんまりとした街並み

 反対側に渡ると集落だ。小高い山の間に家屋が点在するのどかな田舎で、この地域らしく、鮮やかで明るい茶色が印象的な石州瓦の建物がいくつも建つ。郵便局の前を通ると、細い道に突き当たる。この道がこの集落の昔からのメインストリートなのだろう。車がやっと擦れ違える程度の細い道の両側には、建物が続き、商店や小さなお寺などが建つ。いちばん大きいのが農協の2階建ての建物だ。

 「湯里」と聞くと、情緒豊かな温泉地があるのかと思えるが、この駅の至近に温泉は無い。湯里駅のある温泉津(ゆのつ)町は温泉津温泉で有名だが、湯里駅は温泉街からは約3km離れているし、最寄駅も隣の温泉津駅の方だ。

jR西日本・山陰本線・湯里駅旧駅舎、時が止まったままの待合室

 集落から駅に戻り、待合室の中で一休みした。う~~ん、古い木で紡がれた空間はやはり心地いい!一本、列車を遅らせこの駅を堪能している事を心から嬉しく思った。

山陰本線・湯里駅の駅事務室、昭和52年3月改正の時刻表

 窓口は全く塞がれていなく、駅事務室がよく見える。駅事務室は、倉庫替わりに物が雑然と置かれ、有人時代の名残でデスク、棚やその他備品が放置されている場合が多いが、湯里駅の場合は、物は撤去されがらんとしているのが不思議だった。

 壁には湯里駅の手書きの時刻表が掲示されたままだった。これこそ何よりも有人駅時代の香りを強く感じさせた。駅員さん自分達の仕事の参考にと、使用済みポスターの裏側か何かにわざわざ手書きで書き起こしたのだろう。いつのものかと年月を見てみると、「昭和52年3月15日改正」と隅に書いてあった。昭和52年…、1977年だ。きっとこの駅の時の流れは、その時から止まったままなのだろう…。

 列車の時間が近づき、今度こそ待合室を出てホームへの階段を上がった。またいつか来ようと心に決めつつ…。

JR西日本・山陰本線・湯里駅の側線ホーム跡

 ホームは駅舎より高い位置にあるが、南端は坂の上という事もあり、駅舎を眼下に見下ろす北端と違い、真横にはいくらかゆとりある空間となっている。

 今では雑草がぼうぼうに茂った空地となっているが、よく見るとコンクリートのプラットホーム跡が草に埋もれながらも垣間見えた。昔は貨車や保線車両が入線した側線ホームだったのだろう。斜面を削って狭い土地に作った駅で、昔から旅客用ホームは明らかに1面1線だという事は察しがつく。それ以外にも、小規模ながらも側線までかつてはあったのだ。

JR西日本・山陰本線・湯里駅の木造駅舎、側面

 最後の名残りにと、もう一度、駅舎に振り返った。側面には用具をしまっていたと思われる木の引き戸がある造りを残していた。

 それにしても、この角度から見ても、何と趣き深い佇まいをまとった木造駅舎か…。

[2004年(平成16年) 7月訪問] (島根県邇摩郡温泉津町 ※訪問時。2005年10/1より大田市温泉津町)

木造駅舎のエピローグ

 湯里駅にすっかり魅了され、いつか再訪しようと心に決めていた。今度は雪が降り積もる1~2月にしようと思っていた。時が止まった待合室で、雪景色を見ながら背中を丸め缶コーヒーをすするのも、また違った趣があるだろうと想像し、その時を心待ちにしていた。

 だが、ネット上で何気に湯里駅の事を検索していた時、駅舎が取り壊されていた事を偶然に知って愕然とした。形ある物なんていつか滅びる。重要文化財でもない、古くてありふれた木造駅舎なら、尚更、取り壊しの危機に瀕しているものだろう。だけど、まさかこんなにも早く取り壊されてしまうなんて…。

 あの趣き深い駅舎はもう無いのに、いつか湯里駅に行くのだろう。何のために行く…、と言われても、自分自身はっきりとわからない。自分の目で確かめたいから…、喪失感を味わうため…、どう変ったのか興味がある…、たぶんそれらの理由全てなのだろう。その時は、駅の目の前に根を張っている、あの桜の古木を見ながら、湯里駅の木造駅舎を偲ぼう。

~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の失われし駅舎

追記: 新駅舎

 あの木造駅舎が取り壊されてから2年半ほど過ぎた2007年4月、湯里駅で降りてみた。山陰各地は桜が満開で、湯里駅も桜が満開だった。

JR西日本・山陰本線・湯里駅、側線跡に建てられた新駅舎

 新駅舎は旧駅舎があったホーム下ではなく、側線ホーム跡に建てられていた。新しさが残る石州瓦の眩しさが印象的で、昔の木造駅舎風に仕上げられている。旧駅舎へのオマージュだろうか…、車寄せの造りやその下にある駅名看板は旧駅舎を思い起こさせる雰囲気だ。

山陰本線・湯里駅、旧駅舎跡地に虚しく咲く桜

 ホームから階段の下を見下ろすと、そこにはもう空地が広がっているだけだった、虚しいまでに…。ただ、咲き誇る桜が、かつての出入口の位置を示していた。


 懲りもせず、2011年、あの桜が見たくて、再び春に訪問した。しかし…、湯里駅に降り立った時、信じられない光景を目にした。旧駅舎一帯は見違えるほど整地され、駐車スペースやバス停へと変貌していたのだった。旧駅舎前の桜は無情にも伐採されていた。桜が佇んでいた位置には、国道から駅への舗装道路として整備されてたのだった。これは本当なのだろうかと我が目を疑い、責めて桜の痕跡は無いものかともう一度見てみた。でもやはりそこにはアスファルトしかなかった。プラットホームから続く古い階段と、その下にある枯池が僅かに旧駅舎の位置を示していた。

 私にとって、この駅の愛おしい風景全て失われてしまったと呆然とするしかなかった。そして、この駅に来る事はもう2度と無いのだろうと思うと、どこか寂しい気持ちを感じていたのだった。