那古船形駅、ちょっと不思議な夕方の光景~駅に集まるホンダ・スーパーカブ~



木造駅舎の前に続々と集まるカブ

 2007年秋のある日の午後、駅巡りの旅で千葉県館山市にあるJR東日本内房線の那古船形駅で下車しました。

JR内房線、開業の大正時代の木造駅舎が残る那古船形駅

 開業の1918年(大正7年)8月10日以来の木造駅舎は、この辺りのJR東日本の駅では素朴な昔ながらの造りをよく残している方。塗装されたばかりのようで、ペンキでツヤツヤ。

JR内房線・那古船形駅、レトロな木造駅舎が残る

 木のままの古い車寄せに、ホーローのレトロな駅名標を掲げる姿は、とてもレトロで味わい深いです。


 駅をあれこれ見ていると、ホンダの業務用バイク、スーパーカブが駅前に停められ、運転していた人は駅の中に消えていきました。それから続くように1台、また1台とバイクがやってきては、運転していた人は同じように駅の中に消えていきました。停められたカブの数は計3台。時間差でやってきては、同じような行動が繰り返され、何だろうと不思議に思いました。

 しばらくすると下り列車が到着したようです。

夕方の那古船形駅に集まる新聞屋さんのスーパーカブ

 それから少しして、先程のカブで駅に乗りつけた3人が、ビニール袋に入った荷物を抱えて戻ってきました。手にしていた荷物は新聞。3人とも同じように新聞をカブに積むと、駅から立ち去っていきました。

 彼らは新聞屋さんだったのです。同じタイミングで那古船形駅に駅にやって来た目的は、東京のJR総武本線の両国駅から、列車で送られて来た夕刊を受け取る事だったのでした。そして、これから各家庭に夕刊が届けられるのでしょう。

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎

両国駅発の新聞輸送列車

 日曜祝日、年末年始以外の夕刊の発行される日は、両国駅から千葉駅まで1日1本の新聞輸送専用の列車が運行され、車両はスカ色をまとった国鉄型の113系電車が充当されています。

JR東日本・総武本線・両国駅行き止まりの3番線

 両国駅での新聞輸送列車が出発するプラットホームは、総武本線の前身である総武鉄道ターミナル駅の風情残す行き止まりの3番線。

沿線各地への新聞輸送に使われる両国駅3番ホーム

 3番線の片隅には、新聞の運搬に使っていると思われるカートが留置されていました。


 千葉駅到着後は分割され、内房線、外房線の定期列車と連結され、旅客輸送も同時に行われるとの事。両国発の分割されたそれぞれ最後尾の車両が新聞専用の車両で、ドアの部分は「荷物専用 他の車両へご乗車下さい」と注意書きの書かれた仕切りが吊るされ、乗降客の立ち入りが禁止。旅客輸送のついでと言った感じですが、まるで現代に生き残った混合列車のようです。新聞ではありませんが、以前、JRのローカル線の旅客列車で、車両の一角がビニールシートの仮設の壁で区切られた、荷物輸送に出くわした事が何度かあります。


 しかしこの珍しい、・・・というか唯一の新聞輸送列車は、2010年3月12を最後に廃止されてしまいます。ダイヤ改正の3月13日からはトラックの輸送に切り替えられます。道路事情が昔に比べ改善され、経費もトラックの方が安くつくからとの事です。そして、それは頭端式ホームの両国駅3番線を定期的に使っていた唯一の列車が無くなってしまう事を意味します。両国駅3番線の行く末も気になりますが、両国駅からの新聞輸送列車という独特な鉄道風景がひとつ失われる事は、時代の流れとは言え寂しいなと思います。

記憶の中の新聞輸送風景

 思い返せば、1990年代前半、稚内駅から宗谷本線の早朝上り列車に乗って抜海駅を訪れた時、駅の片隅に袋に入った新聞の束があったのは何故か記憶に残っています。

 また廃止が決まった名鉄揖斐線の末端区間に乗った時、車内片隅に新聞の束が置いてあり、終点の本揖斐駅に着いたら、那古船形駅のように、駅に乗り付けていた新聞屋さんが束を持って行ったもの。

名鉄揖斐線・本揖斐行きモ750に積み込まれた新聞

 この新聞は新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)で、大々的な発送作業の後、こうして本揖斐駅に辿り着きました。両国駅の新聞輸送は無くなってしまいましたが、名鉄名古屋駅の方がまだ行われていて、混雑する駅での慌ただしい作業は、まさに知る人ぞ知る鉄道の珍光景です。