駅と駅舎の旅写真館、Homeへ

半田駅(JR東海)~武豊線の駅を見る(2)~


JR最古の現役跨線橋がある半田駅

 亀崎駅から武豊行きの列車に乗り、2つ目の半田駅で降りた。島式のホームが、元はホームもあったと思われる駅舎側と跨線橋で繋がれている。

 何気に立っているこの木造の跨線橋は、1910年(明治43年)に完成して未だに使われているJR最古の跨線橋だ。亀崎駅の木造駅舎のように、ここにも「最古」があるのだ。武豊線の他の駅と同じく、クリーム色と茶色のツートンカラーの跨線橋で、最近ペンキが塗り直されたのか、色が良く乗りつやつやしている。

半田駅にある現役最古の跨線橋(明治43.築)
(半田駅の明治43年築の最古の跨線橋と、明治42年築のレンガの危険品庫。)
半田駅、跨線橋内部。
(半田駅、最古の跨線橋内部。)

 最近の跨線橋ならどっしりとした脚柱に支えられているのだろうが、この跨線橋は鉄製の8本の脚柱に支えられている。明治43年製だけあって時代を感じさせるアンティークっぽい洒落たデザインで。そしてスラリと細い。こんなに華奢で折れてしまわないのかと思ってしまうが、強度は確かなのだろう。

 跨線橋内部も、外部と同じ塗り分けがしてある。一歩一歩、歩みを進めると、柔らかで心地よい木の反響が返って来る。1世紀近くに渡り、多くの人々に踏まれ、今、私もこうしてこの跨線橋を踏みしめているのだと思うと感慨深い。進んだ突き当たりにこの跨線橋の簡単な説明書きが掲示されているが、字がほとんど消えてよく読めない。

 跨線橋出口の白く塗られた鉄製の柱には「明治四三 鐡道新橋」という縦書きの文字が浮き出ていた。「新橋脚」という誇らしげな響きが、この跨線橋が当時最先端の設備だったのだと感じさせられる。柱にも同じような事が書かれていたのだが、ペンキが厚く塗られはっきり認識できなかった。こちらは見やすいように、字の回りのペンキが薄くなっている。

 駅舎側ホーム跡の跨線橋横には、小さなレンガ造りのランプ小屋(油庫、危険品庫)が寄り添うように佇む。1909年(明治42年)築で、こちらもかなりの年代物だ。

半田駅駅舎
(半田駅駅舎。リニューアルされているが、古そうな木造駅舎だ。)

 駅舎は木造で、リニューアルされこざっぱりとしているが、細部の木の装飾が、レトロな雰囲気を感じさせる。もしかしたら以外と古い駅舎かもしれない。

 待合室内には半田の名産品を展示した小さなコーナーがあり、何脚もベンチが並び、半田市内の“一応の”JRの代表駅なのだなと感じる。だが、ここから数百メートルしか離れていない名鉄河和線の半田市内の中心駅、知多半田には遠く及ばなく、武豊線内では名鉄線からやや離れた所に位置している亀崎駅の方が利用者が多い。列車が着発する間だけそこそこ賑わい、列車が去ってしまえばすぐに閑散としてしまう。ラッシュ時間はまた違うのだろうが…。駅前の駐車スペースもがらんとして寂しく、アスファルトの灰色が虚しく目立つ。

 辺りを見渡すと、左側に牛の像があるのが目に入った。白い体に黒いブチが入ったリアルな牛の像で、かなりインパクトがある。近寄って見てみると、「知多酪農発祥之地」と書いてあり、この地区の酪農の由来が書いてある石碑も設置されている。一部を抜粋すると、明治14(1881)年頃からこの地で酪農が始まり、明治19(1886)年、牧場の西側に武豊線の半田停車場が設置されたと書いてある。今のこの辺りの風景は、現代的な建物ばかりで、牧場の面影は微塵も無い。だが、この地から始まった知多半島の酪農は、知多牛として有名な食用牛育成と乳業へと現在に受け継がれ発展している。

知多酪農発祥之地記念碑(半田駅前)
(半田駅前に建つ「知多酪農発祥之地記念碑」)

[2002年1月訪問](愛知県半田市)

追記:その後の半田駅

 乙川駅近くの半田市民ホール横で静態保存されていた蒸気機関車・C11-265と、隣接していた半田市鉄道資料館が、2006年同ホール取壊しに伴い、半田駅北側に移転された。資料館開館日は月に2回の日曜日ととても少ないので、事前の確認がお勧め。詳しくは半田市の半田市鉄道資料館のページで。