彦根口駅 (近江鉄道本線)~凄まじいまでに古色蒼然とした木造駅舎~



古く堂々たる佇まいの木造駅舎

近江鉄道本線・彦根口駅、古色蒼然とし過ぎた木造駅舎

 近江鉄道の彦根口駅で下車し、まず驚かされるのが、駅舎軒下の壁の古び具合だ。木の壁面は徹底的に使い込まれ、かつては白かったであろう漆喰の壁はすっかり黒ずんでいる。リニューアルされた木造駅舎が今でも多く残っているが、彦根口駅のこの駅舎は、それら小ぎれいな駅舎には無い凄みさえ漂わす。屋根が微妙に傾いているなど、あちこちに傷みやガタが見られ、いつ取り壊されてもおかしくない雰囲気だ。

近江鉄道・彦根口駅、回廊のような軒がある駅舎ホーム側

 駅舎はレールに沿った横長の形で、軒も長くなっている。軒下に立つと、駅ではない歴史的建築物の回廊の下に立っているようなどこか荘厳な気分にさせられる。以前は窓があったようだが、ほとんどが木の板で塞がれている。

近江鉄道・彦根口駅、使えなくなった水道

 軒下には水道もあるが、取っ手が外れ錆びついている。使われなくなって久しいようだ。

近江鉄道本線・彦根口駅、駅舎内部の水場

 駅舎ホーム側の駅務室出入口の割れたガラス窓から内部を撮影した。水場があったが、長い間、使われていないようで薄汚れた感じがする。引戸の奥には、宿直施設があったのだろうか…。

近江鉄道・彦根口駅、昭和二十六年と記された古い紙

 壁には旧字を含むいかにも古そうな紙切れが貼られていた。紙は薄汚れ、留めている画びょうはすっかり錆び付いている。きっと駅員さんにさえ忘れさられた、ちっぽけな存在だったのだろう。

 内容を良く見ると、「済」の文字を中心に、弧を描くように「労働基準法適用事業場」と書かれている。そして小さく「昭和26年度」の文字が…。何と半世紀以上前の紙切れが未だに残存したままなのだ。その年、日本は終戦6年後の復興の途上にあり、朝鮮戦争の真っ只中。時の首相は吉田茂…。

 こんな紙切れが未だに引っ付いたままという事は、その当時から改修がなされていなく、原形を非常によく留めている可能性さえある。

近江鉄道本線・彦根口駅、駅舎と反対側の出入口

 駅舎の反対側の八日市方面行きホーム側にも、出入口があった。重厚な木造駅舎のある彦根方面ホーム側と違い、鉄骨の簡易な出入口だが、自販機と湖南バスの彦根口駅バス停もある。

近江鉄道本線・彦根口駅、待合室は改修されている

 駅舎内部の待合室はさすがにきれいにリニューアルされ、それ程、古さは感じない。広々としていて、かつては賑わっていたのであろう事が想像できる。窓口の掲示を見ると、平日の朝に駅員がいるのみとの事。実質的には無人駅に近いと言えるだろう。

近江鉄道・彦根口駅の木造駅舎、出入口

 彦根口駅の駅舎正面にまわってみた。妻面に出入口のある横長の駅舎で、正面から見たらそれほど大きくは感じない。駅前は狭く、自転車置き場も設置され、車が乗り入れているのは難しい。バス停が反対側ホームにあるのも頷ける。

 東海道本線のレールがすぐ近くにあるようだ。こちらと違い随分賑やかで、踏切の警笛や列車の通過音が、午後の閑散とした駅に頻繁に鳴り響いていた。

 駅舎の出入口のすぐ手前には側にレトロなトイレが残っている。いや古色蒼然…、古過ぎと言った方がいいだろう。外観のデザインや木枠の窓の形がユニークだ。駅舎と同い年だろうか?

近江鉄道本線・彦根口駅、大正の開業当初からと思われる木造駅舎

 金網の裂け目にレンズをねじ込み、駅舎の全景を収めた。際立った造形は無いが、これと言った改修がなされず古いまま佇む姿は、えも言われぬ風格が迫ってくる。駅の開業は1901年(明治34年)の5月20日だ。当初は新町駅という駅名だったが、1917年(大正6年)に彦根口駅と改称された。この駅舎がいつ建てられたかは不明らしいが、開業当初だろうか…?

 やや大柄の木造駅舎で昔は賑わったのであろう事が想像できる。しかし、休日の昼間は一時間に一本の列車しかなく、その数少ない列車の乗降客も少ない。背後にマンションが建つなど、駅の周囲は住宅が多いが、昼下がりの駅は始終閑散としていた。

[2007年(平成19年) 10月訪問](滋賀県彦根市)

追記: その後の彦根口駅

 古色蒼然とし味わい深さが迫るこの彦根口駅の木造駅舎は、残念ながら2014年(平成26年)8月に老朽化のため解体された。

 取り壊し後の写真を見ると、木造の上屋も撤去されていた。両ホームに宝くじ売場程度の小さな切符売場が設置されたが、待合室は設置されていない。上に掲載した貴生川方面ホームの出入口は塞がれ、出入口は移設されている。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 私鉄の失われし駅舎