ホームの端にひっそりとある池
武豊線の終点、武豊駅プラットホームを端の方まで何気に歩いていると、小さな池庭があるのを発見した。
武豊駅には数回訪問した事があるが、こんなモノがあるなんてまるで気づいていなかった。武豊線はラッシュ時を除き2両編成だ。なので、2両でも余るホームの先端部分まで足を運ぶ事は無く、気づきにくかったのだろう。
灯篭や木々が配された日本庭園風の池庭で、片隅には「昭和55年 1月」という石碑まである。昭和55年は西暦では1980年で、この池庭がまさに作庭された年なのだろう。私が小学生の頃で、その頃、国鉄は既に赤字体質だったと子供心に記憶している。それなのに、このようなものにお金を回す余裕があったのだなと不思議に思う。でも、有志の駅員さん、地元の人などの寄贈により、駅の庭園が造られる事もあったので、国鉄が造ったとは限らないが…。
この庭園で気になったのが、この池の端から真ん中に伸び出る島のようなものだ。この奇妙なものは一体何なのだろうか…
そして、島の先端からは白い筒状のものが上に伸び出ているのも奇妙だ。以前はここから噴水のように水が出て池に注水していたのだろうか…?
ところが後日、武豊駅のこの池庭に言及しているあるブログがあり、そこでは
「知多半島」
と言及されていた。
「ああ、なるほどね!そういえば知多半島の形状に似ているし、何よりも武豊線は知多半島を走る路線だ。」
と合点がいった。この中の島のようなものは、この池庭に取り入れられるべくして取り上げられたのだ。それに気付かされると、何と郷土色豊かな池なのだろうと深く感嘆されられた。
だとしたら先端の白い筒状のものは師崎の灯台で、池は海なのだろう。そう思うと美味しい魚を食べたくなってきた。知多半島や三河湾は海産物の宝庫だ。
[2010年(平成22年) 4月訪問](愛知県武豊町)
武豊駅訪問ノート
今でこそ武豊線の終点で、レールはここで果てる。しかし、かつては約1km先には、1886年(明治19年)開業時の武豊駅所在地だった後の武豊港駅や、そこから伸びる専用線、また約2km離れた日本油脂工場への専用線も伸びていた。しかし現在では両線とも廃止されている。今ではほとんど使われる事がないであろう2線の側線跡だけが、昔の賑わいをしのばせる。
(※関連ページ: 武豊駅と武豊港駅。)
武豊駅は武豊町内のJRの唯一駅で、町名を関する代表駅と言える。しかし駅の東側は海や工場だったり、付近に名鉄河和線の知多武豊駅や上ゲ駅が近くにあったりするためか、ライバルの名鉄に対し不利な状況。そのためか武豊線の駅の中では、利用者数は下位の方だ。
2013年(平成25年)、集中旅客サービスシステムの導入により無人駅となった。