駅と駅舎の旅写真館 railwaystation.jp

日田彦山線・石原町駅~駅の1ページを秘かに伝える池庭跡~

駅舎に寄り添うように…
駅の片隅にひっそりと…
日本全国の駅を巡る旅で見つけた、駅の中の池のあるミニ庭園、またはその遺構、つれづれ。


驚きの規模の枯池

 JR九州のローカル線・日田彦山線の石原町駅で下車してみた。かなりリニューアルされてはいるが、同線の採銅所駅と共通デザインの木造駅舎が残っていると聞いていた。

 駅舎正面の駐車スペースの片隅に、燈篭がある緑豊かな一角があった。まさかと思い見に行くと、やはり枯れ池だった。いつものように観察を始めると、とんでもない枯池という事に気付き驚かされた。訪問駅で駅に残る廃れた池庭跡こと枯池を発見すると、大いに魅かれるのは変わらないが、さすがに100池近くも見いると大きく驚かされる事は少なくなってきた。しかし石原町駅の枯池には久し振りに仰天させられ、しかもこれまでのトップクラスのインパクトだった。

JR日田彦山線、植栽豊かな石原町駅の枯池

 駅舎を出たところにある枯池は植栽豊かで、木々は高く成長している。それはもろんなのだが、驚かされたのは、広く長い池の造りで、池というより川と言った趣だったからだ。うねった川を模したような形状はまさに「枯川」だ。

JR九州・日田彦山線、石原町駅の枯池

 正面左手から川が始まり、すぐV字状に角度を変えていた。そして緩い曲線を描き流れていると思ったら、ヘアピンカーブで方向を180度変えていた。そこで川幅狭まり、その部分には板状の橋が掛かっていた。だがここで終りではなく更に続いていた...。

日田彦山線・石原町駅、駅猫?が駅前の庭園で遊ぶ

 狭まった川は、奥まった場所あるひょうたん状の池に繋がっていて、ここで終りとなる。その長さは10メートル弱になるだろうか...?ヘアピンカーブを描くまでは正面からはっきり見えるのだが、終端のひょうたん状の池の周囲には木々や植栽が生い茂り、ここだけがまるで鬱蒼とした林の中のようで、ひとつの池で2つの風景が展開されている。こんな見えづらい所までなんでこんなに凝るのかと思った、しかし植栽が成長する前はもっと見通しが良かったのかもしれない。そもそも、なぜこれ程までに凝った池を造ったのだろうか?

 駅の周囲には、何故か野良猫が多い。駅に半ば住み着いた駅猫なのだろうか...。そんな駅猫たちにとって、緑豊かな枯池は格好の遊び場だ。私が観察している間じゅう、橋を渡ったりあたりまえのように池跡や周囲を闊歩していた。

 この池庭について、駅員さんに話しかけてみると、興味深い事を教えてくれた。いつ出来たかは知らないけど、近くの住友セメントが寄贈したもので、燈篭にそう書いてあるとの事。列車の発車まであと数分だが、これはチェックしなければと思い、取り急ぎ燈篭を撮影してホームへと走り戻った。

灯篭の文字からこの池庭の歴史を推察すると…

石原町駅の枯池、灯篭に刻まれた文字

 撮影した画像は失敗作で不鮮明だった。しかし、「三■セ■ント 寄贈 S38.■」と判読できた。「S38,■」は昭和38年で、■は何月かを意味する数字なのだろう。「三■セ■ント」のカタカナ部分は「セメント」なのだろうが、漢字の部分が住友セメントとどうしても繋がらず悩んだ。

 しかし、色々調べている内に、刻まれた文字は恐らく「三菱セメント」なのだろうという結論に達した。かつては石原町駅と隣の呼野駅の間から、三菱セメント(現:三菱マテリアル)東谷工場への専用線が延びていたので、石原町駅は三菱セメントとも縁が深い駅と言える。ちなみに住友セメント小倉工場への専用線も、三菱の専用線から分岐していたという。駅員さんが住友セメントと言ったのは、2つのセメント会社が近くにあるゆえの記憶違なのだろう。

 そして文字で刻まれていた昭和38年(1963年)とは、三菱セメントの東谷工場がまさに操業を開始した年だ。三菱セメントが操業を開始するにあたり、挨拶代わりよろしく、地元への貢献の一環として、最寄の石原町駅の駅前に緑豊かな池庭を造ったのだろうという推察は、大体あっているのだろう。

 石原町駅の枯池はスケールはもちろん、由来もとても興味い。昔、駅によく造られていた池庭は、作られた当時を覚えている人に出会える事が無く、重要な設備でもないため、作庭の記録も残っていなく、ルーツを知る事はほどんど出来ない。今回、理由や時期をほぼ推定する事ができ、駅に池庭が造られたのはこんな理由もあるのだなと、たかが枯池の奥深さ...、駅の秘められた歴史があるものだと、改めて実感させられた。


[2008年11月訪問](福岡県北九州市小倉南区)


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