廃線が決まった三木鉄道の終着駅
兵庫県の第3セクター鉄道・三木鉄道はかつての国鉄三木線で、1985年(昭和60年)4月1日に経営移管された。JR加古川線の厄神駅から分岐するわずか6.6kmのミニ鉄道路線だ。
三木鉄道の終着駅、三木駅へやって来た。同線では石野駅、別所駅にも木造駅舎が残っているが、駅舎や構内はそれらを上回る規模で、三木鉄道の本社も置かれる駅だ。車庫もあり、同社の拠点と言える。
そんな風格漂わす木造駅舎は、1917年(大正6年)の播州鉄道として開業した時以来のものだ、。
しかし、2008年(平成20年)3月31日を最後に三木鉄道は廃止となってしまう。国鉄から第三セクターに転換後も経営は思わしくない上、三木市の財政状況も厳しい。そんな状況で、2006年の市長選で三木鉄道廃止派の候補が当選すると、廃止への流れは一気に加速し、ついにとどめを刺されてしまった。
この木造駅舎は車寄せや屋根の瓦が特に印象的で、歴史ある駅舎に重厚感を与えている。瓦屋根が残っている駅舎は意外と少ない。車寄せの下には、廃線を告知する手書きの看板が置かれ、気持ちよく晴れ上がった空の下、物悲しさを漂わせていた。廃線後、この名駅舎はどうなってしまうのだろうか…。
駅舎前の植込みには、こんな池があるミニ庭園が残っている。こんなものがあるとはいかにも昔からの駅らしい。タクシーや電話ボックスに隠れて目立たないのが惜しい。この庭もやはり廃れてしまうのだろうか。
池庭の周りは木々が植えられ緑豊かで、駅務室の入口には鳥の形に刈られた植栽もあり、遊び心が楽しい。せっかくとあれこれと植木や池庭を整えても、並んだタクシーに隠されてしまっているのが、やはりもったいない…
主要駅の風格漂う木造駅舎があっても、三木市の中心地はここから徒歩で約15分離れた神戸電鉄の三木駅の方だ。住宅が多いが、駅舎の威容に比して、駅前や駅周囲はひっそりとしている。列車の本数は少なく、タクシーの運転手も手持ち無沙汰でヤクルトのおばさんと立ち話に興じていた。
駅舎正面の右側には、貨物用の側線ホームと古い木造の上屋が残り、国鉄全盛期を今に伝えるかのような貫禄が漂う。現代の視点から見ると、いちローカル線にしてはなかなかの規模を持ち、駅舎共々、中心駅の昔ながらの造りをよく残していると言えるのだろう。大きな上屋は、今では自転車置き場として役立っている。
駅舎左側はかつてのレール終端部だ。こちらにも貨物用ホーム跡が残り、貨物の取り扱いが盛んだった頃を偲ばせる。駅はここで行き止まりで、今では駐車場や備品置き場などに使われている。それにしても国鉄ローカル線の終着駅の雰囲気を今に伝える構内は、とても興味深く印象的だ。
改装されているが、窓口と改札口の周辺は昔ながらの雰囲気を残している。有人駅なので窓口はもちろん今も使われている。
待合室は寄贈された沿線風景や、三木鉄道での子供の体験学習の様子を写した写真などが飾られていた。地元の人々の愛着がひしひしと伝わる。
長年、駅舎に寄り添っているであろう桜の木が、秋の色へと変わり輝いていた。この桜の木は、こうして今、三木鉄道最後の秋を過ごし、春には淡く色付いた花びらが最後の列車を見送るのだろう…
[2007年(平成19年)10月訪問](兵庫県三木市)
三木鉄道廃止、その後の三木駅
三木鉄道は予定通り2008年4月1日付で廃線となった。
三木駅周辺は「三木鉄道記念公園」として整備され、三木駅舎は曳家されリニューアル後「三木鉄道ふれあい館」として公開、活用されている。自転車置場となっていた貨物ホーム跡は、木造上屋が保存され、下にはベンチが置かれ休憩所として利用されている。
(※関連ページ: 三木鉄道記念公園(三木市観光情報サイト・mikiおでかけplus)
三木鉄道記念公園を含む下石野駅あたりまでの廃線跡4.8㎞は、遊歩道として整備された。別所駅の駅舎を模して建てられた休憩所や農産物の販売所などいろいろな施設が整えられた。詳しくは下記へどうぞ。
(※三木鉄道廃線跡 別所ゆめ街道)
また同社の車両、ミキ300形は3両は、北条鉄道、樽見鉄道に売却、ひたちなか海浜鉄道に譲渡された。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: 旧国鉄の保存・残存・復元駅舎 ~