昭和初期築の木造駅舎が残るが…
JR八高線にも木造駅舎が意外と残っているが、その中でいちばん昔ながらの風情を残しているのが用土駅の駅舎だろう。
駅舎は開業の1933年(昭和8年)以来のものだ。窓や扉が銀色のサッシに換えられているものの、長年使い込まれた木の壁面がそのままで、コンクリートの屋根瓦も、年月が染み付いたような古くすんだ色をしている。齢70の風格を感じさせる。
しかし、駅舎としてはもう使われていないと言える。今では、地元住民の集会所のように使われているとの事だ。
代わりに、右横に立つ小さな青い箱のような建物が駅として機能している。簡易駅舎と言った所なのだろうが、工事現場のプレハブのような仮設っぽい造りは仮駅舎の風情。いつまでもこのままという訳にはいかなさそうだが。
「旧駅舎」とは言え、車寄せには琺瑯(ほうろう)の古い駅名看板がそのまま掲げられている。ノスタルジックな風格を醸し出し、いまだに現役であるかのような佇まいだ。知らなければ、入口に自転車が止められ邪魔だなと思いながら、こちらから入ろうとするだろう。
車寄せ下の壁には「国鉄用地使用承認標」なる小さな看板が貼り付けられていた。使用目的を見ると「乗車券簡易委託発売」と書かれていた。簡易委託…、国鉄駅員がこの駅から引き上げ、地元が切符を販売する事を承認したものだが。しかし使用期限が昭和61年8月31日と15年以上も前で、とっくに切れている。今では完全なる無人駅となってしまった。
この承認標には、略図なるものあり、建物配置がオレンジ色で標されている。一番大きな建物はこの駅本屋だ。その横には、何に使われたかは解らないが、小さな建築物が4つあった事が標されている。宿舎、倉庫、トイレと言った感じだろうか…。しかし、今はどれも残っていない。
待合室の中を側面から覗くと、駅の待合室だったと感じられない程、すっかり改修されていた。使用目的に合わせ改修されたのだろうが、旧駅務室が待合室部分のホーム側半分を取り込むように拡張され、残りの車寄せ側の5畳ほどのスペースが小部屋のようになった。テーブルが占拠した部屋はかなり狭苦しい。小さなカウンターがある所を見ると、簡易委託駅時代はここで乗車券が発売され、待合室も兼ねていたのかもしれない。
駅前はゆったりと広めのスペースがあり、昔はそこそこの規模だった事が察せられる。かつては賑わったのだろうが、今はひっそりとしている…。駅前商店ももう廃業したようで、シャッターの前を飲み物の自動販売機が塞いでいた。
駅前には古い石造りの倉庫が残り強く目を引いた。石が積まれどっしりとした様はかなり立派だ。農業倉庫だったのだろうか…?
現駅舎の中を見てみた、必要最低限の設備でしかなく、簡易駅舎といった風情だ。扉で締め切ることが出来なく、冬は寒さが凌げそうにない。年月感じさせる木造駅舎と並び立つと、どうしても見劣りしてしまい、惨めな気持ちにさえさせられる。
そんな駅舎でも、Suicaのカードリーダーが設置されていた。私が住む愛知県ではまだ、そんなピピっとタッチする未来の切符はまだお目にかかれない。こんなローカル線の駅にも導入されるものなのだと、不思議な光景に映った。
駅舎ホーム側も、昔の雰囲気をよく残し、現役時代さながら。腕木式信号の切り替えレバーを撤去したと思われる跡が残っている。
現在では1面1線の棒線駅で、レール横は1面の畑だが、ホームの部分だけ不自然にレールが曲がっている。かつては2面のホームがあったのかもしれない。
駅舎の壁には地元の人々の俳句が展示され、奇麗に花を咲かせた植木鉢も置かれていた。駅本屋でこそないが、地域の人々が駅を暖かく見守っている思いが伝わってくる。
仮設のような小さな駅舎が横に建った時、旧駅舎取壊しの準備をしているのかと思い、この木造駅舎もそう長くはないのだろうなと思っていた。しかし訪問から5年経過し、この訪問記を作成した2009年現在でも、この古い木造駅舎は存えている事を知り驚いた。
[2004年(平成16年) 月訪問](埼玉県寄居町)
追記: 旧駅舎、遂に取壊し
2010年(平成22年)01月頃、遂にこの木造駅舎は取り壊された。その横のあの簡易駅舎も、新しいものに建て替えらた。
新駅舎は2012年(平成24年)10月26日に竣工した。新駅舎は、待合室としての機能の他、交流スペースやちょっとした展示などもできる寄居町所有の多目的施設「用土コミュニティステーション」へと生まれ変わった。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の失われし駅舎 ~
用土駅基本情報
- 鉄道会社・路線名
- JR東日本・八高線
- 駅所在地
- 埼玉県大里郡寄居町
- 駅開業日
- 1933年(昭和8年) 1月25日
- 駅舎竣工年
- 1933(昭和8年)※駅開業以来の駅舎
- 駅営業形態
- 無人駅