無人駅となったが木造駅舎が残る乙川駅
数週間程前に訪れた武豊線の亀崎駅と半田駅の間に、乙川(おっかわ)という駅がある。1933年(昭和8年)開業の古い歴史がある駅だが。最古と言われる亀崎駅の木造駅舎、JR最古の現役木造跨線橋のある半田駅のように、これといったものがあったり、有名な駅という訳でははない。だが、駅南西側の線路沿いに、蒸気機関車が静態保存されているのが車内からチラリと見えるのが気になった。
この蒸気機関車…C11-265は、武豊線で活躍し、武豊線のSLさよなら列車を牽引した記念に、半田市民ホール横で静態保存されるようになった。その横には半田市鉄道資料館があり、地元だからふらりと気軽に見に行こうと思った。しかし、この資料館は第1、3日曜日(1月は第2、3日曜)しか開いていな。どうせならC11-265だけでなく、資料館も見たかったので、近場でありながら行く日はかなり制限された。
そして、ある雨の日、乙川駅で降り立った。
無人駅ながら木造駅舎は健在だ。外壁はトタンに改修されているが、昭和8年の開業以来使われ続けている古い駅舎だ。待合室内は古く使い込まれ、木造の雰囲気が感じられる。
壁に「落書きをしたら通報します」と、半田駅駅長の強い口調の注意書きの紙が貼られている。無人駅ゆえにいたずらなど不心得物の餌食になりやすいのだろう。でもそこまで言うとはかなり落書きが酷かったに違いない。今はペンキで塗られそうは感じさせないが、それでも「Dragon Ashを聞こう」などど落書きされてしまっている。
乙川駅の近くで眠るC11-265
C11-265が眠る市民ホールは線路の反対側で、踏切を探して渡らなければいけない。小雨の中、踏切を目指して駅前の住宅街の中を足早に歩いた。
踏切を渡ると、雰囲気はがらりと変わり、周りは工場がいくつも建つ。国道247号線を歩き始めてすぐ、昔の駅名標のような白い木の看板が立っていて、「蒸気機関車展示中」と書かれている。ここが市民ホールの入り口だと解かった。
中に進むと大きな市民ホールの敷地の隅に、蒸気機関車・C11-265が佇んでいるのを見つけた。保存状態が良く、車体は黒光りしていてきれいだ。
側にはこのC11-265の生い立ちが書かれた看板も設置されている。それによると1944年(昭和19年)と戦中の製造だ、最初の6年は岐阜県の国鉄明知線で活躍した後、武豊線や笹島の貨物ヤードで入替に活躍し、1970年(昭和45年)6月30日、武豊線のSLさよなら運転を担当。総運転キロは1.108.037kmに及び、その多くを武豊線で過ごしたという。
そして、さよなら運転の約3ヶ月後の10月26日に廃車になった。しかし、半田市民からの要望で、半田市に無償譲渡されたという。武豊線に縁が深いだけあって、当時の半田市民の思い入れは並々ならぬものだったのだ。
しかし、周辺は人通りが少なく、どちらかというと閑散としていて、私がいる間、鉄道資料館の係員以外は誰も見なかった。そこまで愛され功績を称えるなら、もう少し賑やかな所に居させてあげればと思わなくも無いが…。
C11-265と市民ホールの影で、遠慮がちに建っている小さな建物が半田市鉄道資料館だ。小さいなれど、サボなど武豊線の興味深い資料をはじめ、レールなど鉄道関係の物が所狭しと並べられている。「東海道支線」と書かれた昭和50年(?)の武豊線の時刻表が貼り出され、当時は1時間に1本の運転で、いかにもローカル然とした時間だ。現在は短編成ながら30分に1本の運転で、廃止されたり減便される路線もある中で、また車社会が顕著なこの地域で頑張っているものだ。
書籍コーナーもあり、私が一番、興味を引かれたのが乙川駅の業務日誌だった。きっとあの木造駅舎の駅事務室で、駅長さんや駅員さんが、今日の駅での出来事を綴ったのだろう。強く興味を引かれ、何十年も昔の乙川駅の息吹に是非触れてみたいと思った。しかし、残念ながら「貴重な書籍」に分類されていて、閲覧は不可能だった。
[2002年(平成14年) 2月訪問] (愛知県半田市)
追記: その後の乙川駅、そしてC11-265
乙川駅のこの木造駅舎は2006年(平成18年)に取壊し、簡易駅舎に改築となった。
また、また、半田市民ホールは取壊しとなり、半田市鉄道資料館とC11-256蒸気機関車は半田駅北側に移設された。資料館の開館日など、詳細はリンク先でご確認下さい。
⇒半田市・半田市鉄道資料館紹介ページ