紀勢本線・冷水浦駅~海が見える駅の謎の構造物??~



プチ廃墟に誘われ予定外に下車

 有田鉄道に乗りにいくため、早朝の新大阪発紀伊田辺行きの列車に乗った。前夜が夜行列車で眠りは十分でなく気だるさは残り、すぐに深い眠りへと落ちた

 気が付いたら列車は和歌山駅を過ぎていた。車内を見渡すと、黒い制服を着た学生でぎゅうぎゅう詰めだった。

 眠りまなこで車窓をボーっと眺めていると、海が垣間見える小さな駅に停車した。そしてゆっくりと、列車が動き出しホームを外れると、突然にプラットホームの残骸のような物が目に入り、側面には「停車場中心」と書かれた表示ががあり、目を覚まされたかのように驚いた。次に停車した駅が加茂郷だったので、その駅は冷水浦(しみずうら)という駅だいう事は解った。

 
 その駅、いや、廃墟の残骸ような構造物に惹かれ、有田鉄道に乗った後、引き返す途中に冷水浦駅に立ち寄ってみた。下車したら頭がクラクラするような暑さに、早くもうんざりとした。

JR西日本・紀勢本線・冷水浦駅ホームから眺める和歌浦湾(和歌山県・海南市)

 駅は和歌浦湾の奥まった所の、海が垣間見える立地にある。対岸は工場が目立ち、あまりいい眺めでないのが惜しく、漁港や集落だったらなあと思うが、深く青い色をした海はやはり風光明媚だ。斜面に位置する2面2線の相対ホームがあるが駅舎は無く、自転車置場のような待合所があるのみだ。そんな駅なので、もちろん無人駅だ。

JR西日本・紀勢本線・冷水浦駅、レール横の謎の構造物

 反対側の下りホームに渡り、例の残骸を見てみた。年月の汚れが染み付いたような汚れたコンクリートで、車両1両分の長さもなさそうな細く小さなスペースだ。線路に降りる小さな階段と、錆びついた柵が付いている。この残骸はプラットホームにしては車両との間隔が離れているので、プラットホームだったのではなく、業務用の設備や建物があったのかもしれない…。

 側面にある「停車場中心」と書かれたあの表示…、正式には「停車場中心標」と言うが、よく見ると、停車場中心と書かれた下に「367K670M」と小さく書かれていた。この数字は、紀勢本線の起点、亀山駅から、この冷水浦駅までの時刻表の営業キロの367.7kmに非常に近い数字だ。367K67を切り上げると、まさに時刻表の数字になる。

 

 停車場中心標とは、営業キロの算出に利用される駅の基準を示すもので、駅の中心的な建物に置かれるものらしい。だが、この残骸は、どう見ても現在は駅の中心ではない外れにある。もちろん、停車場中心標は、単純に駅の真ん中を示すというものではないが、違和感を感じる。でも、以前は残骸に駅の中心となるような建物があったのかもしれない…。

 駅は斜面の少し高い所にある。山側の下りホームから集落に降りるには、一旦、レールの下をくぐり、海側の上りホームの階段の前に出てから坂を下る事になる。坂の途中には、あの残骸を支える脚が斜面から伸び出ていた。

 昔の駅構内と言えば、一般的に駅舎と言われる駅本屋を中心に、保線員詰所、貨物用ホームや上屋、駅員宿舎、ランプ小屋(危険品庫)など、様々な建築物で構成されていた。冷水浦駅もかつては色々な施設があったのかもしれない。しかし斜面という立地ゆえ、あのコンクリートの構造物を形成して、駅設備を設置する必要があったのだろう。難しい立地に何とかして、必要な駅施設を作ろうという苦心の跡が窺える。

 海沿いの集落をちらりと見て、駅に戻ろうとしたら、太陽が照りつける急坂が目の前に立ちはだかった。見た瞬間、うんざりした気分に襲われた。この坂を上るのか、短いけど…。坂のてっぺんでは、大きく成長した駅の桜が濃厚な影を落としている。連日うだるような暑い夏の盛り、この坂はかなり堪え、余計に汗だくにさせらられた。

紀勢本線・冷水浦駅、坂の下から駅と桜の木を見上げる

 桜の大木をくぐると、上りホームに出た。早速、上屋の僅かばかりの日陰に下に逃れ、列車待ちの間、扇子を取り出しバタバタと扇いだ。涼しげな駅名に相反する思い出が私の心に刻まれていた

[2002年(平成14年) 7月訪問](和歌山県海南市)