比婆山駅「あの」古い駅時刻表、どこの駅のものだったのか…?



比婆山駅名物!?

 先日、新規掲載した芸備線・比婆山駅の訪問記。

JR西日本芸備線・比婆山駅、社殿風の木造駅舎が現役
芸備線・比婆山駅

 比婆山駅と言えば社殿風の駅舎が特徴的なのですが、珍名物があります。それは駅舎の正面に掲げられている駅名看板。濃い青色の木の板に白色で駅名が書かれた昔ながらのスタイルなのですが、よく見ると塗装が風化し、時刻や駅名など何かが羅列されたような文字の数々が浮き出ています。そう、この駅名看板は、以前はどこかの駅で時刻表として使われていた木の板が、使いまわされもの。この古時刻表、比婆山駅を訪れた鉄道ファンのブログでよく触れられていて、そのスジの人には割と有名なよう。

芸備線・比婆山駅、昔の駅時刻表が使いまわされた木の駅名看板
古い時刻掲示板が使いまわされた比婆山駅の駅名看板

拡大版の画像はこちらへどうぞ! (別窓)


 少し細かく見ていくと、「一・二等」「準急」と言った、今はもうない種別、「急行霧島」など廃止されたいくつもの急行列車。電車で運行される普通列車と思しき列車が「電車」と表記されているのは、当時はまだ機関車牽引の客車列車が主流で、電車が少なかったからなのでしょう。とにかく時代を感じさせる逸品です。

 改めて見ると、この時刻表は元々、どこの駅にあったのだろう…?そう思い、考えてみる事にしました。この時代、ネットで検索すれば答えは容易に見つかるかもしれませんが、それでは面白くないので、あえて見ないでやってみます。

実はちょっと変わった時刻表??

 この駅時刻表をまじまじと眺めました。縦書きで、上下に半分ずつ下りと上りの時刻が羅列されています。

比婆山駅の駅名看板、一・二等、日豊経由など浮き出た文字
古時刻表の部分拡大写真(下段の上り列車の一部分)。

 それぞれ上から「列車番号」「種別や等級」「時刻」「行先」「のりば」「記事(備考欄)」の順で記載されています。一見、標準的な時刻表です。

 しかし後で気付いたのですが、行先と思っていた項目は、実は「始発駅」。よく見るとそう書いてありました。普通なら終着駅が書いてあるものですが、なぜ始発駅だけが記載されているのでしょうか…

 時刻の方も、出発時刻と思い込んでいたのですが、実は「到着時刻」。よく見ると冒頭の右端にデカデカと書いてありました。こちらも変な感じがします。その駅止まりの列車が多い駅では、終着となる列車の到着時刻が記載されているケースもありますが、ここは大抵、出発時刻が標されているもの。汽車旅という言葉が似合った昔の鉄道旅行では、停車時間がやや長いケースは珍しくありませんでした。なので、昔の人にとっては到着時間は意外と重要だったのでしょうか?もしかした、今日とは感覚が違うのかもしれません。もちろん、出発時刻用の時刻表も別にあったのでしょうが。

 時刻表は最初の方に「山陽線」と標されているので、山陽本線のある駅のものだったよう。

 下段の「山陽線上り」の項に記載されていた始発駅は、広島、糸崎など山陽本線だけでなく、博多、佐世保、西鹿児島と言った九州の主要駅からの急行列車も連なります。中には八代や熊本からやってくる普通列車も!むかしはこんな超長距離の普通列車が入っていたものなのだなと…

比婆山駅、古い駅時刻表を使いまわした駅名看板、上部

 上段の「山陽線下り」の項は、上りの方ほど風化していなく、種別はほどんど判読できなく、何とか時刻と始発駅が判読できた程度。よく見ると、東京、京都、大阪、姫路などの駅が並びます。

表記内容からどの駅の時刻表だったかを推定する

 この時刻表がどの駅のものだったかは、ここに記載された駅を実際の位置順に並べ、下り側と上り側から範囲を狭めていけば、どの区間か導き出せます。

 下り列車側でいちばん西にある始発駅が姫路。上り列車側でいちばん東にある始発駅が倉敷。到着時刻を示しているのに、その駅始発の列車を始発駅として記載するとは考えづらいような気がします。列車の入線時刻を標していた可能性はありますが…。でもその場合でも「当駅」など他の表現になるような気がします。なので、その隣かそれ以遠の駅と考えられます。なので姫路駅の一つ下り側の西隣である英賀保駅、倉敷駅のひとつ上り側の東隣にある西阿知駅。つまり英賀保‐西阿知間の駅であると推定できます。

 さらに時刻表を見渡すと、急行列車が多く停車し、そして特別急行(いわゆる特急)の表記も確認できます。今でこそ急行はほぼ絶滅種ですが、昔の優等列車は急行が主流で、特別急行は本当に特別。なので特別急行さえも停まる駅となります。

 英賀保駅‐西阿知駅間で、優等列車が多く止まりそうな主要駅と言えば「相生駅」「和気駅」「岡山駅」くらい…

 そして「のりば」は時刻表上からは1番線、3番線から7番線まで確認できました。2番線はあったのでしょうが、風化具合のためか確認できませんでした。

 ここまでの規模だと和気駅は恐らく外す事ができ、さらに最低でも4面7線を有すほどの主要駅だと考慮すると…


岡山駅!!


 しかし昔の国鉄駅は主要駅ともなると、今の感覚からすれば広大で余裕ある設備を有したもの。相生駅は赤穂線との分岐駅でもあるので、意外と広い構内を有していたかもしれません。

 そこで国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから昔の航空写真で、岡山駅と相生駅の構内配線を俯瞰してみる事に。東海道本線からの急行列車がまだ多く運行されていた事を考えると、少なくとも1972年(昭和47年)の山陽新幹線の岡山開業以前かと思い、1961年(昭和36年)の航空写真を見てみました。すると明確ではないかもしれませんが、相生駅は1~2面、岡山駅は4面のホームがある事がわかりました。


はい!おそらくですが…
比婆山駅の駅名看板となった古い駅時刻表は、かつて岡山駅で使われていたもののようです。

 答え合わせにネットで検索してみると、やはりどの駅かを特定している人が何人かいました。私の考察が正しかったのか…?はたまた単なる偶然なのか… 私が導き出した答えは他の方と同じでした。


 駅は特定できたものの、もう一つ気になるのが
「何年の時刻表なのか…」
明確な年ではないですが、大体は解ったので、いつか記事にしたいと思います。

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