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神代駅(JR西日本・山陽本線、木造駅舎)


神代駅訪問記と写真

JR西日本・山陽本線、神代駅のプラットホーム

 岩国駅から下り列車に乗り柳井港駅に立ち寄った後、上り列車で折り返し神代駅で下車してみた。車窓右側に瀬戸内海と島々が望める風光明媚な眺めだが、下車するとそんな車窓が嘘のように、降り立ったホームの背後には木々が茂っていた。

神代駅上りホーム背後の竹薮

 上りホームから一歩足を踏み外すと、もう竹と木々が眼前に茂る急峻な山中の駅のようで、まるで山中の秘境駅を思わす雰囲気だ。

神代駅駅前と瀬戸内海、跨線橋からの眺め

 しかし跨線橋から眺めると、駅前の目と鼻の先に漁港があり、そして瀬戸内海の島々が望めた。山陽本線は複雑な地形を切り開きレールが敷かれたのだなと実感した。写真右側の白い建物が駅舎だ。

神代駅。リニューアルされた木造駅舎

 神代駅駅舎。新建材に覆われきれいに改装され、まるで新築物件だ。しかし古い木造駅舎らしい形状は残し、赤い丸ポストやソテツの木が印象的で、昔ながらの駅の香りを感じさせる。右側の出っ張っている所は畳敷きの休憩室だったのであろう。

神代駅開業50周年記念碑

 駅前に神代駅開設50年記念碑がある。周囲は花壇としてしつらえられたのだろうが、荒れ気味なのが物悲しさを誘う。碑の側面を見てみると「平成5年10・・・」と碑が建立されたであろう年月が記されていた。平成5年は1993年なので、古い木造駅舎ではあるが意外と新しい駅なのだなと思った。

神代駅設置の経緯を説明した看板

 駅前にはもう一つ「神代駅新設記念」なる石碑があり、こちらの方が50年記念の方より古く見える。そしてその横には駅設置の経緯を紹介した看板もあった。
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明治30年(1897)山陽鉄道が開通しましたが、神代には駅がなく地区の人々は由宇駅か大畠駅を利用していました。
大正6年(1917)に単線運転の信号所が出来て1日に1,2本列車が停まるようになりました。
大正10年(1921)7月に「神代駅設置既成同盟」が結成され、年々引き継がれていきました。
昭和19年(1944)山陽本線複線工事着工を期に、地区民あげて猛運動を展開し、7月30日、彼岸は実を結び、いわゆる「請願駅、神代」の新設起工式が行われました。地区民も拠金・奉仕作業(神東小学校の児童も材木運搬)をし、完成しました。
このようにして、同年(1944)10月10日完成、翌11日、駅員10名で開業されました。
昭和62年(1987)日本国有鉄道は民営化され【JR】となり、日勤1人勤務が続きましたが、平成元年(1989)年無人駅となりました。
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・・・と記されていた。

 この駅が地元の人々念願だった事が十二分に伝わって来る内容だ。それにつけ、モータリゼーション、過疎化など難しい問題で利用者が減り続け、無人化され寂しくなった感のある今の神代駅を見ていると、時代の流れを感じるが、細々とでも地域の足であり続けくれればと思う。

無人駅となり使われていない神代駅窓口

 窓口跡。外観同様改修されている。出札口跡は塞がれ自動券売機が置かれている。手小荷物窓口跡は荷物取り扱いを止めた後も何かに使われていたのだろうか?サッシ窓に代えられている。人形のショーケースは無人駅となった駅にせめてもの潤いをという事だろうか?塞がれた窓口にあって目を引く。

手小荷物カウンター

 全体的に改修が進んだ駅だが、何故か窓口跡のカウンターは古いまま使いまわされていた。この駅の他の部分とは明らかに異質な雰囲気で、使い込まれ渋い深みのある茶色になり、木目が浮き出ている様は、この駅の年月を感じさせる。

神代駅上りホームの枯池

 やはり竹薮を背景とした上りホームに魅かれるものがると眺めていると、草木の間から岩で組まれた部分を見つけた。あれ?もしかしたら池庭の跡かと思い見に行ってみた。

 ぼうぼうに草木が茂り、完全にまわりの緑と同化しているが、掻き分けながら観察すると、岩で取り囲まれた底の方で、まるで落葉や枝を浸しているかのように水が僅かに溜まっているのが見えた。池のちょっと奥には石碑のような岩も見える。夏の盛りで草木が茂り、全容を見るには程遠かった。しかし、それでもよくこんなの見つけたなと、自分でも感心してしまった(笑)

神代駅に入線した上り列車

  列車が来るぎりぎりまで枯池を観察し、やってきた上り列車に飛び乗って神代駅を後にした。


[2011年7月訪問](山口県岩国市由宇町)