深日港駅訪問記と写真
南海多奈川線に乗り、多奈川駅から折り返してくる時、車内から見た深日港駅の古びた佇まいに引かれふらりと下車した。

駅は一面一線と、こじんまりとした支線の典型的な配線だが、その割にプラットホームは広めの幅が取られている。普通の島式ホーム位の幅はありそうだ。ホームを覆う上屋は古い木造で、大きくどっしりとし、駅の歴史を垣間見せる。5、6両編成の列車が停車できそうなホームだが、駅舎寄りの2両分程度の長さを残し、他は柵で区切られ使用停止の状態だ。
夜という事もあってか、ホームで列車を待つ人は僅かで閑散としていた。

駅舎は駅事務室に券売機と自動改札が置かれただけの小振りなものだ。線路の真横に平行して道路が通っている。
「港」と言うからには、近くに港があるのだろうと、駅の前で周りを見回すと、左手にどうやら港があるようだ。まだ列車まで時間があるから、そちらの方に歩いてみた。

歩いてすぐの所に港が見え、施設の一部と思われる白い建物が見えた。新建材が使われ、古くは無さそうだが、カーテンは閉じられ、屋内の明かりは一つとして点っていない。よく見ると、3階の窓部分や天井はすっぽりと抜け、建物越しに夜空が見え、錆びも目に付く。廃墟と化し、もう使われていない事は察しがついた。けれど、敷地には車が多く停められている。駐車場としてはよく利用されているようだ。

建物に掲げられた文字を見ると「南海」「乗船券発売所」という文字が残っていた。かつて、南海の系列会社「南海淡路ライン」が、深日港から淡路島への航路を運行していたというが、現在では深日港から泉佐野港へと港が変更になり、深日港発着の航路は無くなってしまった。港の廃れた様が何ともいえない哀愁を漂わせていた。
今日では航路は無くなり廃れたはずだが港だが、岸壁からはやけに賑やかな雰囲気が伝わってくる。見てみると小さなフェリー発着所跡の岸壁には、家族連れなどのグループがズラリと腰掛けていた。何をしているのかと思ったら、皆、海に糸を垂らし、釣りをしている。どうやら絶好の釣りポイントのようだ。釣った魚は、今晩か明日の食卓にでも並ぶのだろう。
後で調べたのだが、かつては、深日港から淡路島、四国や、近隣の友ヶ島への航路が開設されていたという。難波駅からは、淡路島航路に合わせ、急行「淡路」が運転されていた。深日港発着のフェリーは鉄道連絡船のような役割を果たし、深日港駅は要衝となる重要な駅だったのだ。
昔は四国や淡路島への連絡地点として、駅も港もたいそう賑わったのであろう。単線の路線の1面1線の棒線駅でありながら、プラットホームの幅があれほど広いのも頷ける。
駅から港近くに並ぶ店を見ると、多くがシャッターが下ろされ闇夜の中で消沈としているのが、侘びさを募らせる。
かつて船と列車の接続時には、駅から港へ、港から駅へと行き交う人々がぞろぞろと歩いていた様子が目に浮かぶ。駅舎横の屋外には、木製のラッチがいくつも並んだ改札口跡が未だに残っていた。その改札口は昔日の面影を伝えるかのように、深日港の方を向いていた。

[2005年11月訪問](大阪府泉南郡岬町)