東別府駅、駅舎と風景

日豊本線・東別府駅、開業の明治44年築の木造駅舎が現役
百年以上も前の明治44年に築の木造駅舎の下、人々があたりまえのように列車を待つ風景は何と感慨深い。
JR日豊本線・東別府駅、跨線橋から見える海(別府湾)
跨線橋を上ると別府湾の眺めが広がった。寝台特急富士で、この海の風景を見ると終点を感じ切なくなったもの…
日豊本線・東別府駅、別府市指定文化財となった明治の木造駅舎
1911年(明治44年)築の素朴な木造駅舎が現役の東別府駅。きれいに改修され次の百年への時を刻んでいる。
JR九州日豊本線・東別府駅、停車場建設記念碑
スロープ脇には開業の前年に建立された停車場建設記念碑が残る。
日豊本線・東別府駅側の線路下のレンガ壁の通路
駅前を少し歩いた。路線の下には水路も通る狭いトンネルのような歩道があった。壁はレンガ張りと歴史感じさせる。
JR九州日豊本線・東別府駅、駅への風格ある階段
桜並木寄り添うスロープもいいが、この風格漂う階段を上がるのも、また味わい深い。
JR九州日豊本線・東別府駅、駅舎前の桜並木
駅舎の前には見事な桜並木が。桜あふれんばかりの春に訪れるのが楽しみだ。
明治の木造駅舎が残る日豊本線・東別府駅、待合室の古い掲示板
待合室には右読みの古い字体で「臨時広告」記された古い掲示板が…しかもちゃんと使われている。
JR九州日豊本線・東別府駅、明治の木造駅舎に国鉄型の電車が入線
駅員さんが見守る中、大分行きの列車がやってきた。趣ある木造駅舎にはやはり国鉄型の車両がより似合う。

東別府駅訪問ノート

 駅開業の1911年(明治44年)以来の木造駅舎が現役だ。これと言って特徴的な造りは無いが、そんな素朴でありふれた駅舎が百年以上も長らえ、現代の風景の中に溶け込んでいるのは、いっそう味わい深い。

 駅は別府湾沿いの国道10号線、別府市街南端に位置する。近くには別府八湯の一つ、浜脇温泉がある。街は豪華な旅館やホテルが並ぶ温泉街ではなく、普通の庶民的な街と言った感じ。

 この木造駅舎は老朽化により2002年に改築が検討されたが、市民らの保存を望む声により、改修される事になり、2004年に工事が完了した。2003年には別府市の有形文化財に指定。人々に愛された駅舎が、また次の時代への時を刻めるのが嬉しい。

 駅舎前や街へ降りるスロープ沿いには、桜の木がたくさん植えられ、葉桜となり盛んに茂る初夏、駅舎の撮影にやや難儀したほど。今度は春に来よう。そう思うと今から胸が高まってきた。

[2020年(令和2年) 6月訪問](大分県別府市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

来宮駅、駅舎と風景

JR伊東線・来宮駅ホームと留置線
伊東線の来宮駅は東海道本線との分岐点付近にあり、東海道新幹線も並走する。留置線には東海道本線の長大編成の列車が停車中。
JR伊東線・来宮駅、駅舎と周囲の風景
熱海温泉がすぐそこで、山肌にはリゾートマンションやホテルが立ち並ぶ。
JR東日本伊東線・来宮駅、南欧風の洋風木造駅舎
駅開業の昭和10年築の洋風木造駅舎がいまだ現役。小洒落た駅舎はリゾート地の別荘のような佇まいだ。
JR東日本伊東線・来宮駅の木造駅舎、駅舎側面
屋根にはオレンジ色のスペイン風瓦が敷き詰められている。駅舎は妻面に車寄せがある長い造りだ。
JR伊東線・来宮駅の駅舎、待合室
小さな待合室がある。一日千数百人の利用客があるが、2015年より無人駅となり窓口は塞がれた。
JR伊東線・来宮駅の木造駅舎、窓枠の洒落た装飾
窓周りの装飾は木枠。ちょっとした彫り込みが模様のようで手が込んでいる。
JR伊東線・来宮駅の木造駅舎、車寄せの軒支え
車寄せを支える木の持ち送りも…。細部の装飾が小洒落たユニークな駅舎だ。

来宮駅訪問ノート

 駅開業の1935年(昭和10年)築の木造駅舎が残る。スペインなど欧州を思わせるオレンジ色の屋根瓦、車寄せや窓周りの装飾など、リゾート地の別荘のような佇まいが印象深い洋風木造駅舎だ。

 伊豆多賀駅や網代駅など伊東線の駅舎は、大きさや形状こそ違え、細部の装飾が洒落ていて、来宮駅と似たような洋風木造駅舎となっている。伊東温泉や熱海温泉など有名な観光地があり、行楽色のある駅舎にしたようだ。大型のホテルは熱海駅より、この来宮駅周辺に多い。歩くには遠く坂道がきついが…

 来宮駅は海からやや高い位置にあり、5分ほど坂を下り続けると繁華街に出る。昔も…そして今も、ひと風呂浴びそぞろ歩きする宿泊客で賑わうのだろう。繁華街外れの路地裏には、遊郭や飲み屋街だったと思しきレトロな街並みが寂れつつ残っている。昔の温泉旅行の残照を留めるかのように…

[2019年(令和元年) 10月訪問](静岡県熱海市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

秩父駅旧駅舎と風景

秩父鉄道、移築保存された洋風建築の旧秩父駅舎
秩父鉄道の駅巡りをした後、夕刻、秩父市内の公園に移築された洋風の旧駅舎をどうしても見たくてタクシーで駆け付けた。
秩父鉄道、移築された旧秩父駅舎、塔屋や半切妻の車寄せ
塔屋を載せた造り、敷き詰められた黒い瓦、半切妻の車寄せと周りの洋風の装飾… 全てが味わい深い。
秩父鉄道、旧秩父駅舎の前のレトロな丸ポスト
駅舎の前にはレトロな丸ポストが置かれ昔の駅さながらの風景。このポスト使えない展示品だ。
秩父鉄道・秩父駅旧駅舎、かつてのホーム側部分の造り
反対側のかつてのホーム側に回ってみた。こちらもムードある造りだ。
秩父鉄道、秩父駅旧駅舎、凝った軒支えの造り
軒を支える持ち送りの造りや、斜めの板張りも凝っている。

旧秩父駅舎訪問ノート

 秩父駅の旧駅舎は、前身の上武鉄道時代の1914年(大正3年)に開業時からのものだ。吹き抜けの明り取りの塔屋を載せた造りが特徴的で、広い屋根にびっしり詰められた黒い屋根瓦や、半切妻の車寄せが味わい深い洋風木造駅舎だ。設計は地元秩父出身の坂本朋太郎氏と言われている。

 駅舎建て替えにより、1984年(昭和59年)に、現在の秩父聖地公園に移築保存された。2001年には国の登録有形文化財に指定。

 移築保存されたのは素晴らしいが、裏が墓場というのが最初はちょっと…と思った。でも取り壊されるよりよっぽどいい。それにお墓で眠っているいのはほとんどが秩父市民なのだろう。なのでそこで眠る方々にとっても、長年慣れ親しんだ秩父駅舎が側にあり、もしかしたら喜んでいるのかもしれない。そして古き駅舎にとっても、市民に寄り添うように「第二の人生」を過ごすのは、とても良い事だ。

 内部は秩父市立民俗博物館として利用されていたが、私の訪問時は既に閉館となっていた。また隣接して明治築の洋風建築の校舎、大宮学校も移築されていたが解体された。しかし、部材は保管されているとの事。

 通常は非公開だが、お彼岸やお盆の時期など、不定期ではあるが無料休憩所として開放される事がある。
(※公開がある場合、秩父市の広報誌「市報ちちぶ」で事前に告知されているようである。
秩父市公式ウェブサイトの市報ちちぶのページから各号のPDFファイルへ。)

[2009年(平成21年) 11月訪問](埼玉県秩父市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の保存・残存・復元駅舎

種類はいろいろ、待合室に味わい添える木製ベンチ

 木造駅舎とかレトロ駅舎めぐりの旅なんかをしていると、色々と古い設備や施設を駅で発見し、深い印象を刻むこともしばしばだ。

 待合室では、古い木製の長椅子(ベンチ)が使われている駅もまだある。

 木のベンチと言っても種類が色々あるようだ。例えば、脚やひじ掛けまで木の純木製と言えるほどのもの、ひじ掛けが無いもの、脚など骨組みが鉄製のものなどなと…

 ただ、種類はそれほど多くないようで、このベンチはあの駅でも見たなと思う事はよくある。なので鉄道用品に強い商社や、鉄道会社向けに長椅子を製造していたメーカーがあり、いくつかの中から鉄道会社が選んだといった感じなのだろう。

駅の木製ベンチでもレアな動輪入り

 レトロさ溢れる木製ベンチの中で特に珍しのが、ひじ掛けサイドの部分に動輪マークが刻み込まれたものだ。動輪とは蒸気機関車の車輪のこと。鉄道黄金期を象徴するSLの車輪が刻まれたベンチは、まさに駅にふさわしく、鉄道博物館で所蔵されていてもおかしくない逸品。

 昔はたくさんあったのだろうが、今はほとんど残っていなく、私の駅旅人生の中でも、巡り合ったのは数えられる程度。

JR東海道本線・美濃赤坂駅、待合室の国鉄動輪マーク付き木製ベンチ

 こちらが動輪マーク入りの駅の木製ベンチ!初めて見たのが2007年1月、JR東海・東海道本線美濃赤坂支線の終点、美濃赤坂駅のこのベンチ。

JR東海道本線・美濃赤坂駅の木製ベンチ、国鉄動輪マーク部分

 古色蒼然としたベンチがいまだ使われているという事だけで凄いのだが、側面に動輪マークがあるのに気付き感激。しかも2脚も!列車を一本見送って撮影に夢中になった。

JR東海飯田線、東新町駅旧駅舎にあった国鉄動輪マーク付き木製ベンチ2脚

 こちらはJR東海・飯田線、東新町駅の待合室にあったベンチ。2007年8月訪問。古びた茶色の枠部分に比べ、座面や背面が明るい色なのが特徴的。手入れされ使い継がれているのだろう。


 しかし美濃赤坂駅に2010年10月に再訪すると、新しいベンチに交換されていた。東新町駅は2008年に木造駅舎が改築され、新駅舎では新しいベンチに交換されたようだ。折角、丈夫そうに出来ていて、味わいあるベンチなのに、替えてしまうのはとても惜しい。廃棄ではなく、どこかで大切にされているといいのだが…


 しかし、動輪マーク入り木製ベンチが見られる駅はまだある。

天浜線・遠州森駅、待合室の古い木製ベンチ

 天竜浜名湖鉄道(天浜線)・遠州森駅。動輪部分が破損し僅かに痕跡が残る程度だが、それでも使い込まれ渋み放つベンチは、昔ながらの雰囲気の待合室に更に深く味わいを添えるているかのよう。

JR小浜線・松尾寺駅の日本茶カフェ、駅の古い木製ベンチ

 JR西日本・小浜線、松尾寺駅の木製ベンチ。大正築の木造駅舎が残りますが、駅事務室跡に日本茶カフェ「Salon de RURUTEI」が入居し、2脚のベンチは店舗の椅子として活用されている。カフェの開業を伝えた記事には、開業の大正11年から使われているとの事。

 店員さんに
「すごい物がありますね」
と話しかけると
「表にあると盗まれるといけないからここに置いているんですよ~」 と。


 これまで上げた駅は、前身が国鉄の駅ばかりだったが、珍品をおひとつ…

えちぜん鉄道・勝山永平寺線・越前新保駅、温泉マークが入った木製ベンチ

 第三セクター鉄道のえちぜん鉄道・越前新保駅軒下の木製ベンチ。えち鉄の白に塗られ大切に使われているのが好ましい。

 しかし気になるのが、同じ形のベンチでありながら動輪マークではなく、温泉マーク。上には「M」を象ったような文字が添えられ、ロゴのようにも見える。

 えちぜん鉄道の前身は私鉄の京福電気鉄道。勝山永平寺線は京福時代、越前本線と言う線名だった。沿線には誰もが思い浮かべるような有名な温泉地は無いように思う。しかし、京福の福井県内路線で温泉と言えば、三国芦原線にある県内有数の温泉地である芦原温泉。

 京福三国芦原線の前身を辿ると三国芦原電鉄で、1942年に京福電鉄に合併された。

 あの温泉マークに「M」を重ねたマークは、実は三国芦原電鉄の社紋。きっと三国芦原電鉄特注のベンチだったのだろう。そして元の場所で不要になっても路線を超え、越前新保駅に流れ着いたのだろう。

 ちなみに待合室の中にも同じベンチがあるが、温泉マークの部分は繰り抜かれてる。

大切に保存されている駅

 そして最後にもう一駅、JR東海・東海道本線の木曽川駅。十数年前までは古い木造駅舎が残っていたのだが、現在では、最新の橋上駅舎に建て替えられている。

JR東海道本線・木曽川駅、改札内の動輪マーク入りベンチ

 改札内の橋上に、レンガ壁のレトロな一角があり、あのベンチが置かれている。横の鉄柱は旧駅舎時代の跨線橋で使われていた鉄柱で、大正元年製。レンガ壁は、今でも同駅内に保存されているレンガ造りのランプ小屋(油庫)をイメージしたのだろう。

JR東海道本線・木曽川駅の木製長椅子、サイドの動輪マーク

 例の動輪マークもしっかり残るなど、状態は良好。

 壁には木曽川駅の歴史や跨線橋の柱、そしてこのベンチについての説明書きも掲示されていた。「木製長椅子」の項には、旅客通路上家に置かれていた事、動輪スポークの数は16本で国鉄の徽章(きしょう、バッジ)と同じだが、国鉄旗の動輪のスポークは12本と細かい事も。

 大きさは幅2.735mm、奥行547mm、高さ905m、座面高さ404mmと細かい実測値も記されていた。

 そしていつから木曽川駅にあるか不明だが、動輪マークから国鉄時代であると思われると付け加えられていた。


 …と、これが私が見てきた動輪マーク付きのベンチだ。こうして並べると、長さが違うのに気付いた。掲載した写真によっては解りづらいものもあるが、脚が4本のものと6本のものがある。遠州森駅、松尾寺駅のベンチは脚が4本なので小型。美濃赤坂駅、東新町駅、越前新保駅、木曽川駅のものは6本なので中型。…と言っても小型が3人掛け、中型が4人掛け程度なので、たいして変わらないが。

 もう一つ「あれ?」と思ったがの、こうして並べると、全部が中部地方の駅である事。もしかしたら、全国の駅にはまだ残っているかもしれないし、過去には日本中で使われていたかもしれないが。

 国鉄時代は地方毎に鉄道局に分けられていて、1950年まで概ね東海北陸地方を管轄していたのは名古屋鉄道局。なので物資の調達が鉄道局単位で独自にしていたのなら、同じ地域内の製造元に注文していたのかもしれません。なので三国芦原電鉄もベンチも、鉄道用品に強い同じ製造元だったのかもしれない。

 更に動輪は国鉄だけでなく、二つ前の前身で1920年(大正5年)から1943年(昭和18年)存在した鉄道省でも徽章や紋章として使われていたので、松尾寺駅の件の記事の大正時代から使われているという記述が正しければ、動輪マーク付きベンチは、国鉄時代よりもはるかに前から存在していたのかもしれない。

JR東海道本線・木曽川駅の橋上駅舎内、古い木製ベンチ

 骨董品級のこの椅子が大切にされている様が伺える。しかし気取ってロープや柵で隔てられているのではなく、21世紀の現代的な駅の中で、変わらず駅のベンチとして使われている。私もこの後、この身近で素晴らしい鉄道遺産に腰掛け、幾人もの人が腰掛けてきた歴史を実感しつつしばし休憩を取った。

保存される事になった大正築の洋風駅舎

 南海本線、石津川駅‐北助松駅間の連続立体交差事業…つまりは高架化が計画された。この区間内の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅には、歴史ある洋風木造駅舎が残っている事で知られていた。浜寺公園駅は1907年(明治40年)築、諏訪ノ森駅上りホーム側の通称「西駅舎」は1919年(大正8年)築で、両駅舎とも国の登録有形文化財に指定されている。

 高架化は2006年に認可が下りた。しかし、両駅舎を取り壊すのかどうかの結論は出るに至らなかった。

 しかし2008年に論議の末、新駅舎の前で保存される事が決まった。高架化による現役引退という事情はやむを得ないが、よく歴史ある木造駅舎たちに最大限の敬意を払った結論を導き出してくれたものだ。

2016年当時の諏訪ノ森駅

 浜寺公園駅の現役引退が迫る2016年1月、浜寺公園駅を訪れた後に諏訪ノ森駅にやってきた。

南海本線・諏訪ノ森駅、洋風の西駅舎、ホーム端改札口付近

 列車を降り改札口に進むと小さな駅舎があった。今まで、正面ばかりに目が行っていたが、改札口など新しいモノをに交じりながら、使い古された古い柱が残る。こちら側の歴史感じさせる風景もまたいいものだ。

南海本線、高架化工事が迫る諏訪ノ森駅、大正築の洋風木造駅舎

 1919年(大正8年)築の「西駅舎」も引退が決まっているが、具体的な日時はまだわからなく、いつも通りの姿で佇んでいた。小ぶりながら相変わらず洒落た造りで、この辺りの昔の海岸風景を描いた正面のステンドグラスも美しい。

 しかしちっぽけな駅舎を圧するように隣に建っていたビルは撤去され更地になっていた。ぽっかりと空間が抜けたような風景は、どこか落ち着かないものだ。工事へのカウントダウンはゆっくりだが始まっている。


(※関連ページ: 13年前、2003年の諏訪ノ森駅訪問記はこちらへどうぞ!

曳家後、工事化進む諏訪ノ森駅

 諏訪ノ森西駅舎は2019年(令和元年)5月24日を最後に営業終了し、翌日から仮駅舎に切り替えられた。そして2020年2月3日より、駅舎を動かす曳家が始まった。


 3月、関西の駅巡りの旅で、JR阪和線に乗り木造駅舎を訪ねながら南へ行こうと漠然と思っていた。列車に乗ってる時、
「そう言えば諏訪ノ森駅はどうなっているのだろう…」
とふと思った。

南海本線・諏訪ノ森駅、西駅舎曳家後のプラットホーム

 そして列車を乗り継ぎ、諏訪ノ森駅にやって来た。上りホームをなんば方面に歩くと、そこにあったはずの駅舎はもう無かった。わかっていはいたし、駅舎は保存される事は喜ばしい。でも、風景の移り変わりは、どこか寂しく映った。

 100mほど北に下りホーム用のコンクリート駅舎がある。そちらはまだ手付かずの状態だった。

 仮駅舎を通りぬけると、真っ先に気になったのが旧駅舎がどうなっているかだ。

南海本線、工事中の諏訪ノ森駅、むき出しの木造駅舎

 旧駅舎は仮駅舎のすぐ左隣にあった。保全工事のため壁など多くの部材が外され、まさに剥き出しの状態まま佇んでいる姿を見て衝撃を受けた。こうなっているのだと…。駅事務室があった所はもぬけの殻すスカスカ状態だ。所々、真新しい木材で補修や補強が施されていた。

 目の前の2本の木の柱はかつてホーム端と面していた部分だ。そして柱の間を通り階段を降りると、改札口があり出口に通じたものだった。

南海本線、高架化工事中の諏訪ノ森駅、上りホーム側の仮駅舎と旧駅舎

 改めて見ると、曳家後は位置が25m西に移動しただけでなく、駅舎の角度が以前とは変わっている事に気づいた。南北に延びる南海本線のレールを横切り、道路がクロスしているが、以前、駅舎正面は道路に面した北側に向いていた。しかし、曳家の過程で時計周りに90度回転し、東側のレールの方に正面が向く形になった。

堺市、南海本線の高架化工事中の諏訪ノ森駅。曳家後の西駅舎

 少し離れ全体を見渡すと、ポツンと駅舎が建っている風景がどことなく不思議だ。新駅舎竣工時は小さなロータリーが設置されるため、余裕あるスペースが確保されている。

 周辺はスーパーマーケットもある賑やかな商店街で人通りが多い。

南海本線・諏訪ノ森駅、保存工事中の洋風木造駅舎

 西駅舎が移動された工事現場一帯は、フェンスで囲まれていた。背伸びしたり、ある時は隙間から、自分の目で見て、時にカメラを高く掲げ、駅舎を撮影した。

南海本線・諏訪ノ森駅旧駅舎、ステンドグラスがあった所

 名物のステンドグラスは抜かれ、壁に5つの穴がぽっかりと空いているだけだった。工事で破損するといけないので、きっと大切に保管してくれているのだろう。

南海本線・諏訪ノ森駅、むき出しの駅舎側面

 駅舎下部の腰壁部分はかつて石材で作られていた。しかし重点的にチェックしているのか、剥がされ木組みが露になっていた。

南海本線、保存工事中の諏訪ノ森駅西駅舎

 そして先ほどの柱部分の左横を見てみた。現役時代は壁で仕切られ見る事が出来なかった部分だ。一部でレンガの部材が使われているのが目に付いた。その上から「レンガ残す」という注意書きが書かれた緑のテープが貼られていた。

南海本線、高架化工事中の諏訪ノ森駅、特急ラピートが通過

 駅舎のある風景は変わったが、周囲の風景はまだそれほど変わっていなく、工事の慌ただしさは無いように思えた。

 列車は引っ切り無しに、地上を駆け抜けてゆく。急行、特急と言った通過列車が多く、やはり関西空港を結ぶ特急ラピートがひと際、インパクトが強烈だ。

 新駅舎竣工時は2028年3月の予定で、西駅舎にはカフェが入る計画との事。プランを見ていると、周辺部も含め楽しそうでわくわくしてくる。

 その前に、今年夏頃に改装が完了すると、ひとまずは地元住民のためスペースとして暫定的に使われる予定だという。


(※関連サイト: 堺市・浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅 駅舎保存活用構想)

[2020年(令和2年) 3月訪問](大阪府堺市西区)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の保存・残存・復元駅舎

取り壊しから一転、活用される駅舎

 敦賀駅と東舞鶴駅を結ぶJR西日本のローカル線、小浜線に松尾寺(まつのおでら)という駅がある。古い木造駅舎が残るが、2007年に取り壊しの話が持ち上がった。しかし保存と活用を要望する声が地元から上がり、2008年3月に舞鶴市に無償譲渡された。2009年に改修が完了し「舞鶴市松尾寺駅前観光交流施設」としてオープンした。駅舎を活用するためのNPO法人も設立された。

 時は流れ、駅舎は2018年、国の登録有形文化財となった。

 そして2019年(令和元年)11月27日、何と!旧駅事務室内部に日本茶カフェがオープンした。舞鶴産の上煎茶などを使い、定番の日本茶を提供する本格的なカフェという。行きたいと心の片隅にありながら、なかなか実行に移せなかったが、これは行き時だ。

改修され登録有形文化財となった大正築の駅舎

 敦賀の方から小浜線に乗り、松尾寺駅に着いたのはやや日が傾きかけた感のある午後3時過ぎだ。2月は日が傾くのが早いものだ。だがティータイムにはいい時間だ。

JR小浜線・松尾寺駅、側線跡など広い構内

 今や1面1線の棒線駅と化しているが、旅客ホームを圧倒する何線分という広い側線跡が残っていた。隅には廃れたスノーシェッドまで残ってた。まるで荒涼とした空地のような風景だ。

 かつてはこの松尾寺駅から湾岸部の第三海軍火薬廠鉄道側線まで、6.8kmの専用線が敷かれていていた。さすが古くから軍港として栄えた舞鶴らしい。

 敗戦後、火薬廠は連合軍に接収されたが、後に舞鶴市に譲渡された。跡地には日本板硝子の工場が誘致され、専用線も維持された。松尾寺駅は、国鉄福知山鉄道管理局では最大の貨物取扱量を誇っていたという。

JR小浜線・松尾寺駅、築堤上のホームから見た駅舎

 ホームは築堤上にあり、南側に駅舎を見下ろしていた。

 築堤横に4畳ほどの台のような構造物があった。構内全体の管理する建物として小さすぎるので、かつてはそこから旅客列車の運行を監視していたのだろう。

JR西日本小浜線・松尾寺の木造駅舎ホーム側

 駅舎ホーム側に降りてきた。塗装など多少の改修はされているが、壁や軒を支える古い柱など、使い古された木でできた空間は大正と言う歴史を感じさせる。

JR小浜線・松尾寺の木造駅舎、木製の改札口

 そして改札口には古い木製のラッチが並ぶ。なんと味わい深い風景か…

JR小浜線・松尾寺駅、駅舎カフェ「サロン・ド・流々亭(るるてい)」

 窓口跡部分は店舗として改修され原形をあまり留めないが、木で改修され木造駅舎という空間が尊重されているのを感じる。手小荷物窓口跡の上には、運行情報を伝える黒板が掲げられいた。貨物の「実績 収入…」という項目があるので、乗客向けではないのだろう。駅事務室か貨物駅側に長らく眠っていたものが日の目を見たのかもしれない…

 そして内部では日本茶カフェ「Salon de RURUTEI(サロン・ド・流々亭(るるてい) )」が営業中だ。チラリと覗くと満席だった。後で入る事にしよう。

JR小浜線・松尾寺駅、登録有形文化財となった大正の木造駅舎

 駅舎を正面から眺めた。押縁下見の板張りが印象的な木の質感溢れ味わい深い造りだ。駅開業の1922年(大正11年)以来の木造駅舎だが、改修されているだけあって状態も良好。

 駅舎全体を収めて撮影したいが、カフェ来店客のものと思われる車数台で塞がれている。うん、これほど繁盛しているのはいい事だ。空くのを待つことにしよう。

木造駅舎の中で、日本茶で一息…

 ようやく一席空いたのを見つけて店内に入って席を確保できた。

JR小浜線・松尾寺駅の木造駅舎、日本茶カフェ流々亭

 最大4名の小上がり席を一人で使わせてもらうのはもったいない気も…

 店内を眺めると、先ほどまでは高校生位と思しき男子の集団がいた。そして私の隣にはおしゃべりに興じる30代の女性。真ん中のテーブルにはカップル二組。満席だった。

 この「Salon de RURUTEI」は、元々、ここから直線で北東に約2㎞の位置にある西国第二十九番札所の松尾寺の門前に「流々亭」として店舗を構えていたが、地滑りに遭いし閉店を余儀なくされたが、駅舎の中に店舗が復活したという。

 メニューを見ると正統的な日本茶から、ラテのようなアレンジしたものまで色々。どれも目移りしたが、ここはやはり舞鶴産の茶葉を使った煎茶だ。スイーツも一品頼んだ。

 注文が来るまでの間、内部を迷惑にならない程度に見せてもらった。店舗として、その前は集会所として利用されていたので、駅事務室の面影はほとんど無い。

JR小浜線・松尾寺駅、カフェとなった駅事務室、窓口跡

 しかし、そんな中、私の目を引いたのが手小荷物窓口跡だ。待合室側は改修されていたが、裏側はほぼ原形を留め、花々の間から使い古された木のままの造りが垣間見える。引き出しもそのままだ。

 今では色とりどりの花で賑やかで店舗の中に溶け込んでいる。こういう家具的に利用するのもいいなと思った。

JR小浜線・松尾寺駅のカフェ「Salon de RURUTEI」スイーツ

 まずスイーツ…和風に言うと甘味が来た。「抹茶のロンドのアイスクリーム添え」。昔流行ったカヌレのようなケーキで、両丹地区…丹後、丹波地区の産の抹茶を使っているという。

JR小浜線・松尾寺駅のカフェ「Salon de RURUTEI」日本茶

 そして舞鶴産の煎茶。美味しい飲み方を案内したガイドも添えられ二煎目、三煎目まで美味しく頂いた。

 靴を脱いで小上がりでいただくお茶はまるで自宅のよう…。慌ただしい日帰りの旅を忘れ、しばしのんびりとした時を過ごした。

JR小浜線・松尾寺駅の日本茶カフェ、駅の古い木製ベンチ

 真ん中のテーブルには、国鉄のマークだった動輪が側面にあしらわれた木製のベンチがある。古い木製のベンチでも希少になった動輪マーク入りベンチとまさかここで出会えるなんて…。

 閉店時間の17時が近づいていたので、そろそろ出なければ…。持ち帰り用の茶葉も色々取り揃えていて、まいづる煎茶のティーパックを購入。いいお土産になった。

JR西日本小浜線・松尾寺、大正時代築の木造駅舎

 カフェを後にし周辺をうろうろしていると、最後の一台の車がいなくなり、運よく駅舎の前が開けた。改修箇所は多いが、それでも大正11年(1922年)から佇み続ける駅舎だ。新建材などを使いもっと現代風に改修する事もできたはずだが、昔風の木造駅舎の雰囲気を大切にしているのは素晴らしい。

JR小浜線・松尾寺、夜になり味わい増す木造駅舎

 日が沈み車寄せの灯りがともった。まるで大正からの歴史を浮かび上がらすかのように、すり減った木目を照らし出していた。

JR西日本小浜線、夕暮れの松尾寺駅、125系電車

 次の列車で帰ろうと思ったが、日本茶と木造駅舎を堪能し、すっかり長居してしまった。また必ず来たいものだ。東舞鶴行きの列車に乗り込んだのは、茜色に染まった空ももう暗くなろうとしている頃だった。

[2020年(令和2年) 2月訪問](京都府舞鶴市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

※Salon de RURUTEIの運営元「流々亭」の各種関連ページは以下へどうぞ。

家城駅、駅舎と風景

JR東海名松線・家城駅ホーム、腕木式信号機のテコ
前回訪問時にはまだあった腕木式信号機。今はレバーがあった場所の痕跡が残るだけ…
JR東海・名松線・家城駅、古い木造駅舎が現役
家城駅はいい駅舎という記憶は無かったが、木の味わい漂う佇まい。あれ?こんなにいい駅舎だったけ…
JR名松線・家城駅の木造駅舎、待合室内の出札口
待合室も木造駅舎らしい造り。有人駅で窓口は現役。手小荷物窓口跡も残る。
JR名松線・家城駅、改修されているが木造駅舎らしい趣
あちこち改修されているが、それでも木造駅舎らしさ漂う造りを残す。
JR東海名松線・家城駅、開業の昭和10年築の木造駅舎
駅開業の昭和10年(1935年)の歴史を誇る木造駅舎。正面がモルタル等で改修されているのが少し惜しい…
三重県津市、名松線・家城駅付近の街並み
寂れた感は否めないが、何十年も昔のローカル線駅前を思い起こさす懐かしい街並みを散歩。
JR東海・名松線・家城駅、スタフ交換風景風景
車両は新しくなっても、鉄道員によるスタフのやり取りという懐かし鉄道風景が残る。

家城駅訪問ノート

 前回訪れたのは2004年(平成16年)1月。JR東海管内に残った最後の腕木式信号機の廃止を控えていた時だった。

 それから16年になろうとしている。駅舎の印象は薄く予定には無かったが、スケジュールに余裕があるのでちょっと下りてみた。

 ホーム側から久しぶりに眺めた駅舎は、木の味わいある佇まいで、内部も改修されながらも随所に使い込まれた質感が垣間見えた。いい駅舎だったのだと思った。正面がモルタル等で改修されやや味気無くなってしまったが、それでも昭和10年以来と言う長い歴史を感じさせた。

 松阪駅‐家城駅間が票券閉塞式、家城駅‐伊勢奥津駅間がスタフ閉塞式という人力の保安システムのため、スタフや票券の交換という作業が生じる。そのためか、家城駅は1日の乗降客が200人程度とこんじまりとした駅でありながら、JR東海の社員が配置された直営の有人駅になっている。

[2019年(令和元年) 11月訪問](三重県津市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 一つ星 JR・旧国鉄の一つ星駅舎~

予約と少し難しい?チェックイン

 高野下駅の木造駅舎ホテル「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道 Operated by KIRINJI

 予約は主要なホテル予約サイトでもできるが、私は公式サイトで直接予約した。

 折り返し予約確認のメールと各種個人情報をリンク先のフォームに入力する事、チェックイン方法は宿泊の二日前に案内するけど、個人情報の入力をしなければチェックインの案内は送らない等々…、大雑把に言うとそんな感じの連絡が来た。

 メールから訪日外国人観光客の宿泊を強く想定しているのだなと感じた。メールは日本語だけど名前の表記が、名前、苗字の順で表示さるなど、日本語としては若干スマートでない所が散見された。そして個人情報入力フォームの職業欄では、選択肢がさして多くないにも関わらず「軍人」の項目が!アメリカでは、公共施設の入館料に退役軍人料金なんかがあったりするので、外国では軍人の社会的地位が日本より高めなのだろう。

 予告通り二日前にチェックインの案内が来た。それによると案内された暗証番号をドアにあるテンキーっぽいものに入力して開錠するとの事。それを聞いて「ああ、そうか…」と納得した。2部屋しかなく、無人駅。そして普通の宿のように係員が常駐していなく、それゆえ滞在中のケアや案内は無い。なので当日は係員を介さないで入って、そして出ていくといった感じのようだ。そう知って、この高野下駅舎ホテルは「ホテル」の看板は掲げているけど、近年、日本でも話題になった「民泊」に近い感じなんだろうなと思った。

 民泊は6年前にクロアチアで利用したが、管理者と顔を合わせたのは、チェックインで鍵を受け取る時だけで、それもメールで近くに住む管理者を呼び出したものだ。質問があればメールでやり取りをし、チェックアウトする時は、メールで知らせて完了。支払いはクレジットカードだった。


 当日、隣の九度山駅を軽く訪れた後、夕方の6時過ぎに高野下駅に到着。夜の帳が下りた駅はひっそりとしていた。一日の乗降客数は100人程度なのでこんなものなのだろう。ちなみこの乗降客数は南海100駅の中では95位という少なさだ。

夜の高野下駅、駅舎ホテル「天空」と「高野」の出入口

 駅舎の中に入ると、窓口跡と改札口、券売機といったありふれた駅の空間の中に、真新しい木の扉が二つあり、部屋名を示す列車のヘッドマーク風看板が添えられている。出入口から見て左側が「天空」、正面が「高野」だ。駅だけど確かにホテルなのだと、非日常に吸い込まれるような不思議な感覚を覚えた。

 「天空」扉の前に立つと、ドアノブの下にQRコードがあり、スマホで読み込んで専用ページにアクセスして予約番号を入力しチェックインしろと書かれていた。指示の通りやった。そしてテンキーぽいのもに暗証番号をしっかり押しながら入力し、ハンドルを回すと、回った感触がし、そして扉を開けた。

 ちゃんと入室できるか心配だったが、問題無くでき一安心。今では、ほとんどの人がスマホを持っているが、スマホを持っていない人や扱うのが苦手な高齢者の方には難しいやり方かもしれない…

木造駅舎という鉄道遺産に泊まる悦楽

南海電鉄高野線・高野下駅、駅舎ホテル「天空」室内

 木で改修された室内は温かみを感じさせ、素朴で落ち着いた雰囲気だ。17平方メートルと、ビジネスホテルより少し広いくらいだが、一人で過ごすには十分。

南海電鉄・高野下駅、駅舎ホテル「天空」、ベッドサイドには運転席のシート

 ベットはセミダブルのベッドが一台。頭の所に窓があり、高野下駅の集落、そして部屋の真横を行き交う列車を眺める事ができる。

 ベッドサイドに廃車となった鉄道車両から取り出した運転席のシートが設置されている。普通の宿なら浮くのだろうが、駅舎ホテルの空間にあっては不思議とマッチしている。しかしシートの横はすぐベッドなので、足元が狭そう。サイドテーブル… もしくは飾りと言った所だろうか…

南海・高野下駅舎ホテルの部屋「天空」、扉など昔の造りを残した室内

 きれいにリノベーションされたが、木の柱や壁など、所々で昔のままの造りを残したのは心憎い演出だ。古い木造駅舎に泊まっているのだと実感させてくれる。大きな扉は乗務員さん用の出入口だ。開けてみたが、しっかり固定され開けられなかった。扉の周りには「乗車券を確認しよう」「扉を閉める時は必ず「新車鍵」で」等、昔のままの注意書きが貼られたままだ。

高野下駅舎ホテルの部屋「天空」、壁際のテーブルなど

 改札口横の窓の前に長いデスクが設置されている。こうしてあれこれ写真を撮ってる間でも、列車が行き交い、窓の向こうでは、僅かばかりの人が改札口を通る気配が伝わってくる。

 デスクには電気ケトル、冷蔵庫など、ホテル室内には一般的あるものがある。しかし電子レンジがあるのは珍しい。周りに飲食店が無いので、食料の持ち込みを想定してるのだろう。

 そして「南海小さな資料館」なるものも…。南海電鉄や高野線の写真などの資料がラミネートパックされた冊子で、しばし創業期の時刻表など、昔の資料を見耽った…。

高野下駅舎ホテル「天空」室内の装飾、電車運転席の各種メーター

 デスクには、廃車両から取り出した運転席の速度計など各種メーターも取り付けられていた。

 いろいろ見ていくうちに、ホテル客室では必ず備えられている、ある二つのものが無いのに気付いた。一つはテレビだ。これは周囲の雰囲気を含めて楽しんでほしいという運営側の意図があって置いていないとの事。TVがあると、ついだらだら流してしまいがちなので、まあ問題無い。

 もう一つは寝間着だ。日本ではどのランクの宿にも浴衣かパジャマといった寝間着があるものだ。しかし、外国の宿には無い。これはインバウンドの外国人観光客を強く意識しているので、無くても問題無いと考えているのだろう。だけど日本人としてはやっぱり寝間着かパジャマが欲しいよなぁと思う…。日本のホテルではパジャマの方が多くなってきているので、浴衣を置いておけば海外からの宿泊者にも喜ばれると思うのだが。

 あとWifiもあったのだが、滞在中ほどんど繋がらなかったのはいただけない。


 部屋の細見はほどほどに、いっぺん外に出てみることにした…

南海・高野下駅、ホテルとなった木造駅舎、夜の風景

 駅舎内部は手を加えられている。しかし、外観はきれいに補修された以外は、前回、訪れた時のままの趣ある佇まいだった。

 周囲は山間の川沿いにある集落といった感じだ。駅はこうこうと明るいが、周囲は真っ暗で、家屋や外灯の僅かな明かりがある程度だ。人通りも車の通行もほどんと無い。コンビニエンスストアはおろか、お店すら無い。店跡っぽい所に飲料の自動販売機があるだけ。よく訪れるローカル線の無人駅や秘境駅に泊まっているという実感を強くし、気分はますます高まってきた。

高野下駅舎ホテル「天空」の横を走る極楽橋行きの列車

 木造駅舎の小さな窓からは温かな明かりが漏れていた。
「ああ、今晩はあそこが私の部屋なんだなぁ…」
喜びを噛み締めた。そしてその真横を列車が走り抜けていった。


 部屋に戻ってのんびりと時を過ごした。駅ゆえの人の動きや列車の往来は気にならない。むしろいいBGMですらある。しかし構内踏切のカンカンという警報音が喧し過ぎた。ただでさえ音量は大きいのに「天空」の真横に踏切のシグナルがあるからだ。そのせいかアメニティキットに耳栓があった。夜0時前から朝6時頃までは列車は来ないといえ煩わしい。音量は十分過ぎるほど大きいと思うので、もう少し下げてもらえないだろうか…


 夕食はどうしたかと言うと…、橋本駅で和歌山名産の柿の葉寿司と、他にその近くのコンビニで諸々買い込んだ。メールでの案内で、柿の葉寿司と弁当のデリバリーもあったのだが、弁当は普通の弁当だったので全く食指が動かなかった。周りに飲食店が無いと知っていたとは言え、せっかく印象的な宿に泊まっているのに、旅の夕食としてはやや寂しくなった感…。少し高くなってもいいので、地元の名産を詰め込んだ、宿泊者限定の高野下駅駅弁なんて作ってもらえたらとても嬉しい。


 翌朝はあの構内踏切にたたき起こされながらも、2度寝してベッドから離れた。

南海高野線・高野下駅舎ホテル、客室からの眺め

 温かい日本茶を頂きながら、列車をながめまったり…。構内踏切も悪い事ばかりでなく、極楽橋方面への列車が通り過ぎる時は、まるで知らせてくれるかのように鳴るので、写真を撮る準備もばっちり。

 ベッド横の運転席の椅子は第一印象では中途半端だと思っていたけど、ベッドに足を伸ばして座ると、寛いだ姿勢で外を眺められていい感じだ。窓手前にものを置けるスペースがあり、コーヒーを飲みながら、時折、通り過ぎる列車を眺めた。

高野下駅駅舎ホテル「天空」から特急こうや通過を眺める。

 なんば駅を8時42分に出発した、この日最初の極楽橋駅行きの特急こうや号が9時40分に通過。

 チェックアウトの10時ぎりぎりまで窓辺で過ごし、惜しみながら部屋を出た。

高野下駅舎ホテルの部屋「天空」乗務員出入口だった扉

 部屋の内側から見た、あの乗務員用の出入口を改めて外側から見てみた。

南海電鉄・高野下駅舎ホテル「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道」外観

 駅舎ホーム側の造りは昔ながらの趣ある佇まいだ。

 「天空」は踏切奥の駅舎いちばん隅の部分だ。部屋の外はいい具合に柵で囲まれた空間だ。完全に柵で囲んで、テーブルや椅子なんかを置いて、専用のテラスにすると面白そうだ。おそらく行儀よくテラスの椅子に座ってる人ばかりでなく、安全面から難しそうではあるが…


 ぜひまた、この駅に泊まりたいと思う。安い時期を選んで、奮発して「高野」の方に泊まろうか…。それとも、秘境駅に籠る気分で「天空」に連泊し、ただのんびり過ごすのもいいかもしれない。

[2020年(令和2年) 3月訪問](和歌山県伊都郡九度山町)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 私鉄の三つ星駅舎

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last-updated on 2020/05/24