黒板五郎、純、蛍が新天地への一歩を標した駅
ドラマ「北の国から」第一話に登場し、まさに黒板五郎と純、蛍の家族のドラマの始まりとなった富良野市の布部駅に行きたいと思った。富良野駅から一駅だが、昼には4時間以上の時間が空く。だが、隙間を埋めるように、いいタイミングでふらのバスの路線があった。
降車したのは国道38号線上にある布部入口停留所だ。駅までやや離れているようで、迷わず辿り着けるか心配だった。しかし、周囲を見回すと、畑が広がる伸びやかな風景の中、踏切をすぐに見つけた。そこから辿れば駅はすぐに見つけられるだろう。まだ午後3時前とは言え、10月末の北海道は日が傾くのが早い。陽射しはもう夕方の色を帯び始めていた。
とりあえず踏切を目指し歩き始めると、右手に広い側線跡があり、2線分のレールが残ったままだった。新得方を見るとレールカーブしながら長く伸び向こうの方にポツンと小さく駅とホームが見える。これはかなり広い側線跡だ。ローカル線の小駅と思っていたが、かなり立派で驚かされたが、今では車両一両さえも留置されていなく、レールは茶色に錆び付いている。
集落に差し掛かり、更に歩き布部駅を目指すと、レール沿いに小さな小屋があるのを見つけた。何だろうと近付くと、小屋の前に転轍機があるのを見つけた。小屋は転轍機を操作する係員の詰所のようだ。今では自動で操作する所が殆どだが、昔は係員が詰めて必要に応じて手動で操作したのだと実感させられた。積雪の多い地域で、しっかりとカバーを掛けられているのが北海道らしい。
北の国から第一話当時からの木造駅舎が残る
少し歩くと布部駅に着いた。外観は新建材に覆われなど、かなりリニューアルされ古さは感じないが、駅開業の1927年(昭和2年)、そして1981年(昭和56年)の北の国から第一話放送当時からの木造駅舎が健在だ。
駅舎の前にあるうねるように成長した大きな松の木が、駅をより印象的に見せる。
松の下には、脚本家で「北の国から」の作者の倉本聰氏直筆の「北の国 此処に始まる」と書かれた木製の記念碑がある。長きに渡ってシリーズを重ねた北の国からだが、TVの連続ドラマとして始まった最初のシリーズの第一話で、東京から富良野に移り住んだ黒板五郎一家が、この駅で列車から降り立った。彼ら家族の新天地での第一歩がまさにこの駅で標された。彼らのもがくような人生と、その中から見つける希望と家族の絆の物語が、自然豊かで時に厳しい富良野の四季のを背景に始まったのだと、心の中で思いを巡らせた。
駅舎内部はきれいに改装されていて、まるで新築かと思う程。現在では無人駅になっているが、窓口跡が残っている。カウンターの上にはリニューアル前の布部駅駅舎の写真、そして北の国からロケ当時の黒板五郎一家の写真などが飾られ、まさに聖地の駅と感じさせた。
壁には造り付けのベンチがあった。待合室に四角く窪んだ部分があるが、トイレだった。かつては気密性の問題で、木造駅舎ではトイレは別棟になる事が普通だったが、リニューアルでそのような問題を解決して設置したのだろう。さすがに出入りは外からしかできないが。
プラットホームと駅舎は、2線分のレールを跨ぐ長い構内通路で結ばれている。石勝線が開通する前は、札幌…しいては本州から十勝や釧路を結ぶまさに本線で、長大編成の貨物列車や、急行、特急と言った優等列車が、昼夜を問わず盛んにこの駅の通り過ぎて行った事だろう。
そしてかつては布部駅から東の麓郷方面の東京帝国大学の演習林まで、森林鉄道が敷かれていた。レールは更に何線も細かく枝分かれしていたという。廃止になったのは半世紀以上も昔の1952年(昭和27年)だ。麓郷と言えば、黒板五郎一家が居を構え、家族をとりまく人々も住んだ北の国からの第一の舞台と言える地だ。麓郷は今もロケ地として人気で、夏は観光客が多い。森林鉄道が健在なら、鉄道で訪れる事ができたのにと楽しい空想が頭をよぎった。
広々とした構内に長いレールが伸びる風景が印象的だ。島式ホーム1面で側線が1ある1面3線の構内だが、駅舎に近い2線のレールは錆びて輝きも無く、もう使われていないだろう事が察せられる。
ホーム上には何本かの木が植えられていたが、やはり色付いた紅葉が一際印象的に映る。駅に晩秋の趣を添えていた。
駅舎の横には木造の古めかしい小屋があった。駅舎がリニューアルされ味気なくなった分、一層味わいに溢れこの駅の歴史を感じさせる。元のままの姿を保つのが難しいのは解らないではないが、駅舎もこの位趣きがあったら・・・と思う。
取り付けられていた建物財産標を見ると、「鉄 倉庫2号 S2年○月○日」と記載されていた。○印の月日は記載された形跡が無かった。S2=昭和2年…、駅舎と同じく、駅開業の年のものだ!
まだ午後4時にもなっていないのに、太陽は山並みの向こうにもう隠れようとしていた。
倉庫の南側には、錆びたレール沿いに空地が広がっていた。かつては何本もの側線と貨物用ホーム、駅員宿舎があって、忙しく動きまわる駅員さんが居て・・・という風景があったのだろうか?何十年も昔、この駅が賑やかだったころの情景が、私の頭の中に甦った。
北の国から第一話の布部駅が登場するシーンを見てみると、ロケ当時からのものとは言え、駅舎はがらりと変わった。しかし駅周囲の自然豊かな風景や、田舎らしいのどかな雰囲気は、当時からさほど変わっていないようだ。それが嬉しく、録画していおいた布部駅のシーンを何度も繰り返し見てしまうのだった。
[2010年(平成22年) 3月訪問](北海道富良野市)
追記1: 根室本線・富良野―新得間の廃止報道
2016年(平成28年)10月下旬、JR北海道が特に利用の少ない3線区の廃止・バス転換を協議する方針と各種メディアが報じた。その3線区の一つが根室本線の富良野‐新得間だ。そのため同区間にある、布部駅は廃駅の危機に瀕していると言える。
また、根室本線の廃止が報じられた区間の一部である東鹿越‐新得間は、2016年8月末の台風10号により、路盤流出、橋梁崩壊など甚大な被害を受け不通のままだ。
不通区間の復旧工事着手は未定。廃止の方針さえJR北海道から公表されている区間ため、東鹿越‐新得間は、復旧される事無くこのまま廃止となる恐れさえある。不通区間には、高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」で幌舞駅としてロケ地となっ幾寅駅がある。
根室本線・富良野‐新得間の廃止報道で、鉄道員、北の国からという、人々に強い印象を残した作品の聖地とも言える、二つの駅の廃止がくしくも沸きあがっている。
そして2022年1月28日、根室本線の廃線が俎上に上がっている区間・富良野‐新得間の沿線4市町村、富良野市、南富良野町、新得町、占冠村とJR北海道の協議があり、自治体側が鉄道による富良野-新得間の鉄道による復旧を断念、バス転換への協議に入る事が決まったという。
追記2: 布部駅廃止と気になる今後
長期運休が続く根室本線・富良野-新得間の沿線の4市町村が、同区間の廃止とバス転換を容認し、2024年3月31日に最終運行、翌日4月1日付で廃線、布部駅も廃駅となった。
布部駅舎の今後だが、引き取り手がいなければ取り壊される方針という。北の国からに登場し知名度のある駅だが、費用の負担は重く、名乗りを上げた人や団体は現在の所いない。
- レトロ駅舎カテゴリー:
- JR・旧国鉄の保存・残存・復元駅舎
布部駅基本情報まとめ+
- 会社・路線
- JR北海道・根室本線
- 駅所在
- 北海道富良野市字布部
- 駅開業年
- 1927年(昭和2年) 12月26日
- 駅舎竣工年
- 1927年(昭和2年) ※駅開業以来の駅舎
- 駅営業形態
- 無人駅
- 訪問に利用したバス路線
- ふらのバス西達布線。1日5本。西達布線は布部駅南隣の山部駅近くの山部停留所にも停まる。時刻など詳しくは路線バスのページまで。
- 北の国から、メインのロケ地となった麓郷へは…
- なお布部駅から北の国からの主な舞台となった麓郷までは約15キロ程で、バス路線は無い。富良野駅からのバス路線はあるが、本数は1日4本と少ない。また「麓郷の森」など、観光スポットはバス停から離れて点在しているため、麓郷訪問の手段としては向かない。