昭和の可愛らしい洋風駅舎
屋島登山鉄道、通称・屋島ケーブル・屋島山上駅の駅舎を見るため、琴電屋島駅で下車した。
パ琴電屋島駅は古い木造駅舎が現役だが、綺麗にリニューアルされている。縦長の窓と照明の台座、細かな装飾など、室内は洋風の造りで、パステル調のピンクと白を基調にした色使いがメルヘンチックさを醸し出す。木製のベンチまでピンク色に塗り替えられていた。
琴電屋島駅の駅舎の造りに派手さはないものの、ファサードの三角屋根や縦長の窓、ドーマー窓などがうまく調和し、さっぱりとまとまりのあるデザインが印象的な洋風駅舎だ。外観もリニューアルされ、水色、ピンク色が目立つ華やかな色使いだ。
ことでんは2001年(平成13年)に民事再生法を申請し、経営再建の途上にあった。今回、私が訪問したことでんの古い駅舎は、どれも綺麗にリニューアルされていて、列車との接点である駅を綺麗にして、乗降客に気持ち良く駅を利用してもらおうという姿勢を感じ好感を持てた。水色とピンクが多用されていたが、正直、古い駅舎が身にまとう趣や渋さには、これらの色はあまり似合ってないなと思いつつ見ていた。しかし、この琴電屋島駅に関しては、この色使いは洋風の造りもあいまって、よく似合っている。
出入口上の三角屋根の中に、毛筆体の駅名看板が掲げら、日本の洋風建築らしさを醸し出し印象深い。
駅の正面から緩やかな上り坂になっていて、突き当たりに屋島ケーブルの屋島登山口駅があるのが見えた。琴電屋島駅は、1911年(明治44年)の開業時は、現在より西側360mの位置にあったという。だが、1929年(昭和4年)、源平の古戦場として知られる屋島への交通機関として屋島登山鉄道(屋島ケーブル)の開業し、接続駅となるべく現在地に移転となり、この駅舎が建った。
しかし屋島ケーブルは2004年(平成16年)10月16日より運休となっている。マイカー以外の交通手段はタクシーしかなかった…。
メルヘンチックさ溢れる夜の駅舎
屋島山上駅の駅舎をを存分に堪能し、琴電屋島駅に帰ってきた時、西に遠ざかった太陽が空を赤く染めている頃だった。
待合室は温かな明りで照らされ、メルヘンチックな駅舎は日中とは一味違った幻想的なムードを奏でている。まるで童話の中の駅舎に入り込んだ気分だ。
こじんまりとしながらも立派な駅舎だが、数ヶ月前に無人駅となり、窓口のカーテンは閉ざされたままだった。
駅舎ホーム側は、正面と比べると装飾の類は簡素だが、ずんぐりとした体に三角屋根を被ったいでたちが、どこか面白い。
さっきまで茜色に染まっていた空は、刻一刻と暗くなっていた。夜の闇はすぐそこまで迫っていた。さあ、この後は、瓦町行きの列車に乗って今宵の宿に身を落ち着けるだけだ。
[2005年(平成17年) 6月訪問](香川県高松市)
追記
屋島ケーブルは2005年(平成17年)8月31日をもって廃止となった。訪問当時、屋島への代替交通機関は無かったが、現在では、ことでんバスにより、JR高徳線・屋島駅や琴電屋島駅を経由するバスが運行されている。
(※関連ページ: ことでんバス(路線バス)・屋島山上シャトルバス)
2009年(平成21年) 2月6日に、駅舎が経済産業省の近代化産業遺産に認定された。
琴電屋島駅基本情報まとめ
- 鉄道会社・路線名
- 高松琴平電鉄・志度線
- 駅所在地
- 香川県高松市屋島中町字新馬場270-1
- 駅開業日・略歴
- ・1911(明治44)11/18- 東讃電気鉄道、屋島駅として。現在地より360m西に。
- ・1916(大正5)12/25 – 四国水力電気が東讃電気鉄道を合併。
- ・1925(大正14)3/19 – 高徳線屋島駅の開業で、屋島登山口駅に改称。
- ・1929(昭和4)4/21 – 屋島登山鉄道の開通により、駅を現在地に移転。
- ・1942(昭和17)4/30 – 四国水力電気が讃岐電気鉄道に鉄道事業を譲渡。
- ・1943(昭和18)11/1 – 合併により高松琴平電気鉄道に。
- ・1950(昭63)4/16 – 琴電屋島駅に改称。
- ・2005(平成17)4/1- 無人化。
- ・1916(大正5)12/25 – 四国水力電気が東讃電気鉄道を合併。
- 駅舎竣工年
- 1929年(昭和4年)
- 駅営業形態
- 無人駅