伊予桜井駅(JR四国・予讃線)~改修されているけど木造駅舎らしさ溢れる…~



通り過ぎた駅の佇まいが気になり…

 予讃線の松山行きの列車は、もうすぐ伊予桜井駅に到着しようとしていた。
「嵐のファンが喜びそうな駅名だなぁ~」
と他愛もない事を考えながら車窓の外を見ていると、そんな考えを吹き飛ばすような佇まいに目を奪われた。

 駅舎巡りの旅をする時、どの駅に木造駅舎が残っているかを軽く調べ、訪れる駅をある程度は決めている。今回、伊予桜井駅はその中には無かった。しかし思いがけず魅かれ、列車が伊予桜井を離れる程に、行きたいという思いが強くなった。何とかならないかと時刻表を見ると、幸運にも、次の伊予富田駅で上下列車のすれ違いがある事がわかった。

 伊予富田駅では、下りの松山行きの方が到着が先で、写真を数枚撮ると、やって来た観音寺行きの上り列車に飛び乗った。

 同じ風景を逆走し、伊予桜井駅に到着した。

JR四国・予讃線・伊予桜井駅、2面2線のプラットホームと木造駅舎

 伊予桜井駅は2面2線の相対ホームがある駅で、1番線側に駅舎が建っている。2番線側の背後は、山か雑木林が広がっていた。

木造駅舎らしい木造駅舎

JR四国・予讃線・伊予桜井駅、木造駅舎らしい佇まい溢れる…

 1番線側に残る駅舎は、木目走る木の板張りが印象深く、本当に木造駅舎らしさに溢れていた。軒を支える木の柱が並ぶ様も壮観。屋根のコンクリート瓦も、いかにも古い駅舎といった趣。日本各地の錚々たる名駅舎に連なるような佇まいだ。

「木造駅舎らしい木造駅舎」はあたりまえ過ぎるようだが、JR四国ではそうではない。JR四国では、今でも木造駅舎が残るが、JR発足時あたりにほとんどが新建材などで新築のように改修され、味気なくなってしまった。

 伊予桜井駅も、恐らくは改修の手が多く入っているのだろう。しかし、よくこんな昔ながらの雰囲気に仕上げたもの。

JR四国予讃線・伊予桜井駅、木造の古い柱が残る駅舎

 改修の手が多く入っていると言っても、ホーム側に並ぶ柱は古いまま。一本一本、風化して木目浮かぶ様は駅の歴史を語っているかのよう。

 ある柱には、築年を知る手掛かりになる建物財産標らしきプレートのようなものが残っていた。しかもアクリルやプラスチック製ではなく、それらよりさらに古い木製。しかし柱ごと塗装されていて、何て書いていあるかもう解らない。伊予桜井駅舎の築年は不明だが、このプレートの塗装を慎重に剥がせば、元の記述が現れないだろうか…

JR予讃線・伊予桜井駅の木造駅舎、ホーム側の閉塞器室跡

 駅舎ホーム側の出っ張り「閉塞器室」は、窓が塞がれながらも残っている。下側が引戸になっているが、古い駅舎の閉塞器室の跡は、こんな造りになっている事もある。こんな所も昔ながらの造りを残しているとは…。

 その隣はトイレとなっている。元は休憩室とか他の設備だったが、改修されたのだろう。

 3年前、高徳線や牟岐線と言った徳島県のJR線を巡った時、多くの無人駅でトイレが閉鎖され、世知辛いものよと思った。しかし愛媛県の駅では、まだトイレが残っている駅が多かった。

予讃線・伊予桜井駅、レトロな乗り場案内の看板

 閉塞器室側面には「1のりば」という、レトロな感じの番線案内の看板が残っていた。

JR予讃線、愛媛県今治市にある伊予桜井駅

 そして駅舎正面に出てみた。こちら側も昔ながらの木造駅舎らしい雰囲気に仕上げられている。出入口上部の三角の切妻屋根は、恐らく改修で後付けされたものだろう。

 こんな風に、ちょっとした飾りやオブジェををつけ、現代風に見せるのは、JR四国発足時辺りの駅舎リニューアルでよく見られる。中には空々しというか無理を感じる姿になった駅舎もある。しかしこの伊予桜井駅は、白壁に木組みが露出する造りは、古民家を思わせ違和感無く悪くない。

JR予讃線・伊予桜井駅の木造駅舎、古い車寄せが残る

 正面側も全体的にリニューアルされているのだろうが、車寄せの柱は古い木のままの造りを垣間見せるのは面白い。

JR予讃線・伊予桜井駅の木造駅舎、改修された窓口跡

 待合室がある内部は、さすがに跡形も無く改修されて、レトロさは残念ながら無い。

 窓口跡も昔の造りは全く残していないが、片隅にガラス窓がある窓口の跡がある。伊予桜井駅は、半世紀以上も前の1971年(昭和46年)に駅員無配置になっているが、国鉄が直接、社員を置かなくなっただけで、それからの簡易委託の期間は長かったのだろう。今は無人駅だが。

今治市が設置した伊予桜井駅を紹介する看板

 駅敷地内には、今治市が伊予桜井駅の歴史を紹介した看板を設置している。その看板にはこう書かていた。


「桜井駅の開通は大正12年12月21日で、今治駅開通(大正13年2月)までは予讃線の終着駅であった。下り列車が周桑郡三芳駅を発し郡境の医王山トンネルを抜けて桜井駅に着くと、今治へ来たという感じがし、上り列車はここを発車して医王山の長いトンネルを出て、旅に出る思いにかられたものである。
 国鉄の電化につれ、黒煙を吐く威勢のよい機関車からディーゼル車となり、国道196号線や有料道路の開通によって、バスやマイカーの時代となり、桜井駅は通勤通学などの限られた乗客ばかりとなって、遂に無人駅になってしまった。
附近には綱敷天満宮・国分尼寺跡・法華寺などの施設がある。
史跡・名所の小路 今治市」


 短い中にも、駅の栄光盛衰を感じさせる。大正12年(1923年)12月21日に隣の伊予三芳駅から伊予桜井駅まで延伸し、その50日後には、今治駅まで延伸した。その僅かの間、伊予桜井駅は終着駅だったのだ。

 今年2023年は伊予桜井駅が開業して、ちょうど百年の記念すべき年。百年前の今頃は、伊予桜井延伸に向け、駅舎に路盤にまさに工事たけなわだったのだろうなぁ…

夕暮れの駅を歩く

 ちょっと周辺をうろうろしてみよう。

愛媛県今治市、伊予桜井駅前の街並み

 県道から奥まった所にある駅は、住宅が多く落ち着いた雰囲気。近くに学校があるようで、下校姿の学生が駅に向かう姿が見られた。

予讃線・伊予桜井駅、裏手の国分尼寺跡から見た風景

 街の反対側には、奈良時代の後期に建てられたと思われる国分尼寺の跡がある。今は畑の中の木の下に、土から姿を覗かす礎石が6個残るのみ。そこから眺める伊予桜井駅はのどかなもの。それなりの規模の伽藍があったのだろうが、もう1300年以上も昔の話…。

JR予讃線・伊予桜井駅の桜の木々

 駅の敷地には、何本もの桜の木が植えられていた。むさ苦しいほどに葉桜が茂る様を見ると、春はきっと駅名の通り、さぞきれいなのだろうと思い浮かんだ。

JR予讃線・伊予桜井駅、1番ホーム駅舎横の水場跡

 駅舎の横には壊れた水場の跡が放置されていた。駅員さんがいた頃を想うと、時の流れと言う哀愁を禁じ得ない。

JR予讃線・伊予桜井駅の木造駅舎と帰宅する学生

 レトロな味わいのある木の軒の下で、帰路に就いている学生が列車を待っているのは変わらない風景だ。

 中にはホームに直に座り時間を潰す学生の姿も。ちょっと前は、そんな若者の行動を年上の人々は「ジベタリアン」と呼び、驚きを露にしたもの。けれど最近は言わない。「死語」ってやつなのだろうが、ヤレヤレと思いつつ、そういうものだと思うようになったのかもしれない。
…と、相変わらず他愛のない事を考えながら次の列車を待った。

[2023年(令和5年)6月訪問](愛媛県今治市)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎