海沿いに佇む気になる駅
JR東日本の信越本線に青海川(おうみがわ)という駅があるのは以前から知っていた。新潟県柏崎市にあり、眼前に日本海が広がる「日本一、海に近い駅 (※1)」。あるいは人気ドラマ「高校教師」の最終回、ラストシーン前に登場したとか…。今まで行ったことが無かったが、特急白鳥で通った時に、車窓の向こうに海が広がる景色に見とれ、いつか行きたいという思いを強くした。
風景が霞むほどの雪の中、青海川駅へ…
遂に青海川駅訪問の機会がやってきた。富山旅行の最終日、少々時間は掛かるけど、ついでだと思い富山から青海川駅に足を伸ばしてみようとふと思った。
特急はくたかで富山駅を出て、直江津駅で普通電車に乗換えた。富山駅を出た時から車窓の外は雪景色で、白く霞んだ空に雪が尽きる事無く乱舞する。これからどれだけ寒い所に行ってしまうんだろうと不安に思いながら、列車に揺られた。

そして青海川駅に到着した。ホームに足を降ろすと、降りしきる白い雪とザザーという大きな波音が私を出迎えてくれた。

空気は刺すような冷たさで、思わず肩をすくめてしまう。逃げ出したい寒さだが、それでも、まず、眼下に広がる日本海を一望した。しかし、荒天で空はただ白く霞み遠くは隠され、まるで駅が閉ざされているかのような風景だ。海は荒れ、幾つもの白波が絶え間なく眼下に押し寄せてていた。

列車が去った後は、波音だけが響き渡る静寂が戻った。そして駅に残ったのは私だけ。
周囲を眺めると、ここは日本海沿いの谷底にある集落で、30軒程の家屋が寄り集まっている。青海川駅はその最寄駅だ。頭上には国道と北陸自動車道の橋が、この集落を跨ぐように、まるで天高くにあるかのように掛けられている。
地図を見ると、この辺りにはホテルなど観光施設が意外と多いらしい。だけど、それらとは隔絶されているかのごとくの静けさで、ただ波の音が響いていた。

無人駅ながらも、頑丈なコンクリート駅舎があった。荒ぶる海に心引かれるものがあるが、さすがに寒く、風雪と逃れ中に入るとほっとする。中は意外に広いが、その割に隅に小さな棚、ベンチ、ゴミ箱などがあるだけで、がらんとし、少々、殺風景だ。トイレと水道完備で、駅寝ができるなとふと過ぎった。

青海川駅は「日本海にいちばん近い駅」として有名で、日本各地から多くの人がこの鄙びた駅に訪れている。「高校教師」の放送以来、鉄道ファン以外の来訪者も増えたという。駅ノートの「思い出ノート」には、多くの人が来訪記念に青海川駅に来た足跡を残している。もう何冊も書き貯められていて、それらを有志の一ファンがワープロで打ち直し、再編集したファイルまであった。愛されている駅と感じた。
集落の中を少し歩き、川沿いに歩き、海岸に降りてみた。青海川の海岸は海水浴場のようで、海に面して、建物が何軒も建っていた。もちろん、冬の今、海岸には誰も居ない。積もっている雪越しに、ごろごろした大きな石を踏み付けながら歩み進んだ。
信越本線旧線跡

信越本線のレール沿いに、信越本線の旧線で使われていた橋脚が未だに残っていた。特急白鳥で通った時は、旧線時代のままの鉄橋が使われていたと記憶しているが、真新しい木の橋に架け替えられていた。

旧線跡のその橋を渡ろうとすると、手前には「青海川駅(北国街道、六割坂)」と札が立っていた。北国街道は江戸時代「金の道」として栄え、佐渡で採れた金を江戸幕府へ運ぶ重要な街道だった。この辺りは米山三里と呼ばれ、北国街道最大の難所だったという。まわりの風景を見上げると、険しい断崖に取り囲まれた風景だ。そして、海からは強い風が容赦なく吹きつけたのだろう。歩いていると当時の辛苦が今でも伝わってくる。

少し旧線跡を歩くと断崖が立ちはだかった。そしてその中に、トンネル跡が見えた。近付いてみると、さすがに進入禁止だった。レンガ造りの古めかしいポータルが味わいを感じさせるが、闇が口を開けているかのような様が不気味だ。
光差す駅
しばらくぶらぶら散策して駅に戻って来た。

信越本線は日本海縦貫線の一端を担い、貨物列車や特急列車などが往来する重要な路線だ。だけど、青海川駅には普通列車しか停車しない一ローカル駅に過ぎない。新潟からの金沢行きの特急北越も、青海川駅をかすめるように、一瞬で通過していった。

上りホームから青海川駅付近の集落を眺めた。谷底に寄り添うように家屋が集まり、急斜面の上にもにも家屋が立ち並ぶ。漁で生計を立てている、或いは立てていたのだろうか…。こんな崖下に住もうとするとは、人とはなんと逞しいものか。

あれほど荒ぶっていた空だが、いつの間にか天気は回復していき、到着して1時間ほどで嘘のように雪は止んだ。雲間からは光さえ降り注ぐ。北国の冬の天気は気まぐれだ。
再び下りホームにまわると、眼前に広がった日本海の素晴らしい眺めをしばし堪能した。

海を眺めながら下りホームを歩いてみた。柵は古レールが再利用され、海風に晒されすっかり錆びついている。ホームの真中辺りはレールに穴を開けポールを通した柵だったが、さらにに進むと、レール同士を溶接した柵があった。

遂にプラットホームの端に達した。今はローカル駅に過ぎず、駅と周辺はひっそりとしている。しかしプラットホームは非常に長く、戻る時、ホーム先端から跨線橋まで歩数を数えたら、何と200歩以上もあった。かつて列車が陸の王者だった頃を思い起こさせた。谷底の小集落とは言え、その頃、青海川駅はもっと賑わっていたのだろうとふと思った。
[2001年(平成13年) 3月訪問](新潟県柏崎市)
(※1) 青海川駅は、よく「日本一、海に近い駅」と言われ有名であり、実際に海が目の前に広がる近さだ。しかし北舟岡駅(JR北海道・室蘭本線)や、海の上にホームがある海芝浦駅(JR東日本・鶴見線)と言った駅の方がより近い。現在では名誉的称号のようになっていると言えるだろう。
追記: その後の青海川駅
2007年(平成19年)7月16日10時13分に発生した新潟中越沖地震で、青海川駅も周囲の崖が崩落し、駅構内が土砂で埋まるなど甚大な被害を受けた。復旧工事では、この訪問当時の駅舎も建て替えられ、2008年3月25日に新駅舎が供用開始となった。