中川駅 (JR東日本・奥羽本線(山形線) )~貨車駅舎の不思議~



木造駅舎がほぼ壊滅の山形線

 取り壊し・改築のため2017年(平成29年)9月末で使用停止となった奥羽本線(山形線)の神町駅舎を訪れた後、帰路に着きつつ駅巡りでもしようかと思っていた。

 神町駅旧駅舎との別れを済ませた後、さあこれからどうしようと思った。奥羽本線の山形線と愛称が付けられている新庄‐福島間では、私が好むような木造駅舎はほぼ壊滅と言っていい状態だ。今回、神町駅が取り壊されると、残る木造駅舎は蔵王駅だけとなる。蔵王駅は以前訪れた事があるので、まあいいやと思った。なのでどの駅で降りようかとても迷った。…と言うより食指が動くような駅がなかった。

 ならば深い事は考えずに、降りた事が無く市街地過ぎない無人駅にでも降りてみようと、山形名物の冷やし肉そばをすすりながら思いついた。そこで時刻表をパラパラめくり、羽前中山駅と中川駅に下車しようと決めた。

貨車廃車体を流用した簡易駅舎の謎

 羽前中山駅を訪れた後、山形線の上り普通列車に乗り1駅、中川駅に着いた。私の他、数名の人が降りた。街中で見るような中年ビジネスマンも下車し、キャリーバッグを淡々と引いている姿もあった。ローカル線の無人駅には不釣合いな風景だなと思いながら眺めた。

奥羽本線(山形線)中川駅、木造の古いトイレ

 中川駅に降り立って最初に目を引き付けられたのは、隅にある古めかしい木造トイレだった。この駅にレトロなものは残されていないと思っていたので、意外な発見だった。ローカル線の木造トイレとしては大きく、改札内と駅外側の境目に建ち、内部で半分ずつに仕切られているようだ。しかし改札内ホーム側の方はもう使えなく、扉が閉じら南京錠で鍵がされている。

奥羽本線中川駅、有蓋貨車廃車体の面影残る駅舎

 駅の開業は1903年(明治36年)11月3日と長い歴史があるが、駅舎は簡易駅舎に置き換えられている。事前の情報で、有蓋貨車の廃車体を流用した駅舎、いわゆる「ダルマ駅」という情報を仕入れていたのだが、どうもそういう風には見えない。もう一度よく見回すと、両端の壁に貨車らしい造りが残っていた。その下部には連結器があった穴もあった。やっぱり貨車駅舎だった。

 それにしても北海道でよく見る貨車駅舎は、車体をほぼそのまま流用し、一目で元貨車だったと解るのに、よくここまで改修して使っているものだ。一見すると、プレハブか何かの単なる簡易駅舎だ。

 私は貨車に関しては全く無知なのだが、後で家に帰って調べると、側面の特徴から察するに国鉄のワラ1形、ワム6000形貨車のようだ。

奥羽本線(山形線)中川駅、駅舎に隣接した建物

 駅舎の隣には、シャッターが付いた小屋が密着していて、更にその隣にも建物が密着するように建っていた。しかし、現在では両方とも使われている気配は無いが。

 倉庫かと思ったが、反対の駅舎正面側にも同じようにシャッターが付いていた。もしかしたら貨車駅舎に改築した後も、しばらくは有人駅で、このシャッターのある小屋で切符の販売をしていたのかもしれないと思った。40年も昔の1975年(昭和50年)に無人化されたようで、貨車駅舎が登場し始めた時期と合わないので違うだろう。倉庫や保線員の休憩所だったのかもしれない。

奥羽本線・中川駅、貨車駅舎だが内部の待合室は改装

 貨車駅舎の内部は、外観以上に改修されていて、貨車だったとは少しも感じさせない。内部はベンチや乗車証明書発行機があるだけと至ってシンプルで、簡易駅舎そのもの。

 出入口横に建物財産標が取り付けられ「待合所1号は昭和61年3月29日」と標されていた。財政難の国鉄において、駅舎建て替えで貨車の廃車体を多用した時期と重なる。

奥羽本線(山形線)中川駅、貨車の廃車体を再利用した簡易駅舎

 駅舎の正面にまわってみた。ありふれた貨車の廃車体の待合室に、三角形の大きなオブジェを掲げているのが特徴的だ。

 この辺りは、冬は雪が積もる寒冷地なので、出入口から雪や風が中に直接入ってこないよう、風除室のような頑丈な車寄せが取り付けられたのだろう。風除室とは、玄関の前に囲った小室を置き、冷たい空気が屋内に入ってこないようにする造りで、寒冷地でよく見られる。この中川駅の場合は、正面の右側が仕切りが無く、完全とは言えないが、少しは寒さが緩和される事だろう。

 駅舎を観察していると、妙な事に気付いた。

奥羽本線(山形線)中川駅、木目浮く駅舎前の風除け

「あれ?この風除室… 木造!?」
緑色の屋根は新建材のようだが、白い壁面に幾重もの木目が走っているのに気付いた。木板はご丁寧にも、縁の角が削り取られる面取りという加工も施されている…。不思議に思い壁を軽くコンコンと叩いてみると、木を叩いた時の音が返ってきた。よく見ると所々に釘が打ち込まれていた。

 内側に回ってみると、やはり同じように豊かな木目があった。窓自体はサッシだが、窓枠は壁部分との材質が違うながらも木が使われていた。

奥羽本線(山形線)中川駅、風除室壁の木の壁

 下の方を見ると、塗装が剥がれている部分があった。以前は赤み掛かった灰色だったようだが、後に現在の白色に塗り直されたようだ。豊かに走る木目からは、使い込まれた質感が漂ってくる。

 昭和61年に建てられた駅舎の一部に、なぜこんなに質感が豊かな木材が使われているのかと不思議に思った。普通に新建材など他の材料を使ったほうが簡単そうにも関わらず…。

 日本は山林が多く、単純に、豊富に採れた木材を使っただけなのかもしれない。でも、もしかしたらこの壁面は、かつて中川駅の旧駅舎で使われていたものを流用したのかもしれない…。中川駅の旧駅舎は、古くからの木造駅舎だった。もしくは、他の駅の駅舎のものだろうか…。白いペンキの下から浮き出る豊かな木目が想像を掻き立てる。

 だとしたら、何で旧駅舎の壁面を流用したのだろう…? 長年、そこに佇み続けた木造駅舎への愛着ゆえ、あえてその一部を残したのだろうか。いや、そんな感情的な動機ではなく、赤字続きで深刻な財政状況の国鉄にあって、貨車の廃車体を流用したように、少しでもコストを抑えようと、旧駅舎の部材で使えるものは使いまわそうという事だったのかもしれない。

奥羽本線・中川駅、駅の池庭跡らしきもの

 駅前に立ち駅を見渡してみると、公衆電話横の空地が気になった…。草がぼうぼうに生えた小さな荒地は少し窪んでいた。よく見ると、何と!枯れた池の跡だった。昔はどれだけ奇麗な庭園がここにあったのだろう…。放棄され何十年となり、自然に還ろうとしているかのように痕跡は僅かだ。

奥羽本線(山形線)中川駅、「危険」の立札のある一角…

 左手の方を見ると、「危険」の立札が両脇に立てられた道があった。何か建物があるようだが…。「危険」と言われれば見てみたいと思うもの(笑) 草木が茂った廃道のような趣きに引かれ足を進めてみた。

 その先には平屋のコンクリートの建物があった。建物財産標があり見てみると「詰所5号 昭和55年」と標されていた。ただ、建物の周りも雑草が茂り、木の郵便受けは色褪せ生気が無い。おそらくもう使われていないのだろう。

 建物の奥に回ると細い裏道があり、先に進むと駅前に戻った。ちょっとした冒険が終わった気分になった。どうせなので、このまま街の中を歩いてみようと、駅とは反対の方に足を向けた。

石造りの構造物が目を引く駅周辺の街並み

山形県南陽市、奥羽本線(山形線)中川駅の駅前

 駅舎のある南側には駅前から道まっすぐ伸び、こじんまりとした街並みが広がっていた。田舎の駅の昔からの駅前と言った風情が味わい深い。駅前商店は営業中のようだ。あたりまえのようだが、状況が厳しいローカル線の小駅では、いまとなっては貴重だ。

 反対の北側にも駅の出入口がある。県道12号線や国道13号線のある側で車の通行は多そうだ。

奥羽本線(山形線)・中川駅前、洋風の石造り小屋。

 歩き始めてすぐ、石造りの洋風の小屋が目に入った。石造りの建物は頑丈そうで、小さいなれど、年月を経て重厚感を更に増している。こんな田舎でこんなハイカラな建物に出会えるとは。6~8畳位と狭めなので、倉庫だろうか。

 駅前の右手側は、ある会社の敷地がかなり広く占めていた。出入口には守衛室もあり、奥の方には工場もあるようだ。後で調べると、全国に営業所を持つ「(株)かわでん」という電気機器関係の会社で、山形のこの地が本社との事だ。下車した時に見た件のサラリーマンは、きっとここが目的地だったのだと納得した。

山形県南陽市、奥羽本線中川駅近くの街並み

 一本の道に突き当たり、とりあえず右の方に進んでみた。何かの店舗だったと思われる家屋もいくつかあるが、今ではどれもやっている雰囲気はなさそうだ…。

山形県南陽市中川駅近く、石造りの消防団倉庫

 途中には、また石造りの小屋があり、地元消防団の倉庫だった。小ぶりだが、どこか重厚感漂い味わいある。その他にも、民家の石垣だったり、灯篭、石碑など、何かとこのライムストーン色の石が使われているのが目に付いた。

 南陽市の南隣の高畠町には、かつて山形交通・高畠線があり、高畠駅駅舎は石造りの名駅舎として知られ、廃線後も大切に保存されている。その石は地元特産の高畠石が使われている。この街の数々の石の構造物も、地元の石が使われているのだろうか。

山形県南陽市、中川駅近く、石造りの橋

 そして先程の突き当たりから左に進み、数分歩くと小川に掛かる石橋があった。小さいなれど見事なアーチを描いている。端には銘板が取り付けられていて「土木学会選奨土木遺産 山形の石橋群小巌橋」と記されていた。


 ひと歩きして中川駅に戻ってきた。おやつに何か食べようと、あの駅前商店に入った。中には店主と思しき初老の男性がいた。

 表に取り付けられていた「おしどり ミルクケーキ」というネオンの看板が気になったが、残念ながらその商品は品切れとの事。別のお菓子を買って支払いを済ませた後、
「この辺は石造りの建物が多いですね」
と話し掛けてみると
「昔は、あっちの方で中川石が採れてね。」
と駅の方を指差した。駅の北、背後の小高い山々の事だろう。
「今は採っていないけど。石を採掘すると、1~2年屋外に置いておいて、それで崩れなかった石を建物に使っているから、建物は丈夫だよ。」
と教えてくれた。

 ほう…、中川石ね。だからこの辺には石造りの構造物が多いのかと納得できた。

 この中川駅や隣の羽前中山駅辺りは、1955年(昭和30年)に赤湯町に編入されるまでは中川村という1つの自治体だったという。その頃は、きっと中川石は村の特産品で、今以上に街並みに石造りの建物があり、そしてもっと賑わっていたのだろう。

中川駅ホーム、奥羽本線(山形線)主力の719系5000番台

 全く期待しないで下車したが思いがけず興味深いものがあり、充実した時を過ごしたものだ。そんな思いを抱きつつ、夕刻、中川駅を後にし、長い帰路に就いた。

[2017年(平成29年)10月訪問](山形県南陽市)