レアな平面スイッチバックの駅

 夏の熱気の中、松江市街地のホテルから宍道湖北岸を自転車で走った。

島根県出雲市、一畑電車・一畑口駅近くの風景

 「一畑薬師 6㎞」の看板のある交差点で右に曲がると、湖広がる風景から山間の田んぼの中に家屋が点在する風景に変わった。

一畑電車、一軒の商店がある一畑口駅駅前、

 地図の通り走ると一畑電車のレールが見え、そして一畑口駅の駅前に至った。駅前には一軒の商店と、点在して家屋があるだけ。ありふれた田舎のローカル線の駅だった。

一畑電車・北松江線。一畑口駅に停車する7000系電車

 とりあえず駐輪場に自転車を止めると、列車が来る気配がし、カメラを持ってホームに向かった。

 やってきたのは松江しんじ温泉行きの7000系電車。地方私鉄としては珍しい自社発注の車両。ご自慢の新車はまだピカピカ。数分停車し、バックするように逆方向に一畑口駅を出発し、ちょっと先で分岐しているレールの左の方に進んだ。

一畑電車・北松江線、一畑口駅に進入する1000系電車

 ほどなくして、今度は電鉄出雲市行きの列車が一畑口駅に進入してきた。数分停車すると、同じように進行方向を変え、右側のレールに進んでいった。

 このように一畑口駅は平面にある駅としては珍しくスイッチバック配線の-駅となってる。

一畑電車・一畑口駅、一畑駅へは廃線となり行き止まりに

 駅の北側までレールは錆びながらも続き、雑草の中で尽きていた。まるで廃線跡のよう。しかし、80年以上昔の1944年までは3.3㎞先、目のお薬師様として知られる一畑寺(一畑薬師)のお膝元にある一畑駅まで列車は走っていた。


 一畑電車は、元々、起源となる一畑軽便鉄道が出雲今市(現・電鉄出雲市駅)-一畑駅間で開業した路線だ。1914年(大正3年)4月29日に出雲今市―雲州平田駅が開業。翌1915年(大正4年)2月4日に一畑駅まで延伸。一畑口駅も延伸時に開業。開業時の駅名は小境灘(こざかいなだ)だった。

 小境とはこの辺りの町の名前だが、「灘」とは潮の流れが速い難所を表す。宍道湖まで500mと近いので、宍道湖由来の駅名なのだろうか…?

 一畑開業の13年後、1928年(昭和3年)4月5日に北松江駅(現・松江しんじ温泉駅)-小境灘駅間が開業、既存路線と接続した。費用や手間をかけて元々の線形や駅の構造を変更してまでという程でも無かったので、スイッチバック構造の駅となったのだろう。

 しかし1944年(昭和19年)12月10日、小境灘駅-一畑間が戦時の不要不急路線とされ休止。戦後、休止区間は復活する事無く、1960年(昭和35年)4月26日に廃止された。

 小境灘駅は廃線前の1952年(昭和27年)10月1日に、現在の一畑口駅に改称されていた。休止区間の復活は、一畑側ももう諦めていて、小境灘駅に一畑薬師へのアクセス駅としての役割を託したのだろう。

一畑電車・北松江線、スイッチバック駅・一畑口駅のプラットホーム

 一畑口駅は駅舎側の1番線と島式の2・3番線と2面3線の配線。島式のホームは地方私鉄らしく小さめ。3番線は現在では使用されていない。

 一応、1番線が松江しんじ温泉方面、2番線が電鉄出雲市方面ホームとなっているが、出雲市方面行も列車の行き違いが無い時は1番線の発着となっている。

島根の杉で改修された古い木造駅舎が残る

 さて、駅舎を見てみよう。

一畑電車・北松江線、古い木造駅舎が残る一畑口駅

 一畑口駅は木の質感溢れるような木造駅舎が現役。築100年かと思うような外観だが、2000年代に島根県内の斐伊川流域で伐採された杉で改修された姿だ。ただ、改修前と形状は同じ。なので何年築かは不明ながらも、相当古い駅舎なのは確かだろう。もしかしたら小境灘とした開業した1915年(大正4年)以来の駅舎かもしれない…

一畑電車・北松江駅の木造駅舎、正面には駅名標が無い!?

 木の質感が趣あるが、窓が少なく木の壁が目立つ古びた建築物は、一見、駅ではなく工場か何か作業場かと錯覚してしまいそう。

「駅名標すら掲げていない!」
…と思ったが、よく見たら出入口軒の左横にあった。木製の駅名標はすっかり風化し文字はほぼ消え、背後の外壁に同化していた。

一畑電車・一畑口駅、駅舎の横の立派な木造上屋

 駅舎の左には、駅舎の同じ位の広さの木造上屋があり壮観。現在では正面の左6割ほどが自転車置場に、右の4割ほどがバスの待合所、それらの裏側の改札内は列車待合所なっている。

 しかし、かつてはここに降車用改札口なんかがあったのかもしれない。そしてバスやタクシーで一畑薬師へ参拝する人でとても賑わったのだろう。一畑薬師の近くには一畑パークという一畑電鉄直営の遊園地もあり、賑わいもひとしおだったのだろう。一畑薬師へお参りしてから一畑パークで遊ぶというのが地元の親子連れの定番コースだったのかもしれない。

 周囲の長閑な風景だけを見れば、一面一線の棒線駅で済んでしまう規模だったかもしれない。だけどスイッチバックという運行の要衝で一畑薬師へのアクセス駅。立派な駅が造られたものだ。

一畑電車・一畑口駅、駅舎横の木造上屋下の自転車置場

 上屋の屋根の裏側を見ると、真ん中に並んでいた柱を切り取ってスペースを拡張したのがわかる。自転車置場は元々、すぐ近くにあったが、老朽化のため使用禁止となり、ここを代わりに使っているようだ。

一畑電車・一畑口駅、木造上屋下のバス待合所

 木造上屋のバス・タクシー待合所の方を見ると、4~5畳位の小さな部屋があった。かつてのバス、もしくはタクシーの事務所だったのだろうか…?

 バス停のポールも立っていた。時刻表を見ると、一畑薬師への路線もあるが、一日に三本…。半日かけてのんびり見るにはいいけど、かなり少ないかな…。そのためか駅には「一畑薬師へはタクシーでどうぞ」という案内が掲示されていた。

一畑電車・北松江駅の木造駅舎、島根県の杉で改修された待合室

 待合室内も杉で改修され古さは感じない。風雨に晒されないぶん、外壁よりもきれいだ。

一畑電車・一畑口駅、無人駅となり使われなくなった出札口・窓口

 一畑口駅は2017年に無人化された。昔はスイッチバック駅として、運行管理の要員が必要で、一畑薬師への案内も兼ねていたのだろう。でも運行が自動化され、乗降客も減少し駅員を置く必要も無くなったのだろう。

 片隅には窓口の跡がまだ残っていた。旧国鉄駅の窓口跡を見慣れていると、やはり異質だ。何て言ったらいいか、レトロな商店のような趣だ。

一畑電車・一畑口駅、駅中にある明治のホーロ看板付の木製ベンチ

 木造上屋下の自転車置場裏側の改札内側には、「明治キャラメル」「明治オレンジジュース」のホーロー看板が付いたレトロな木製ベンチが置かれていた。2・3番線の上屋下には「明治キャラメル」、更に待合室にも「明治キャラメル」「明治チョコレート」と、なぜか5脚もの明治の古いベンチがこの駅にはある。レトロファンにはたまらない。思わず
「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治…」
古いCMソングを口ずさんでしまった。

自転車でそのまま…

一畑電車・一畑口駅、駅名標をと駅舎をバックに愛車BROMPTONを記念撮影

 一畑電車では、自転車をそのまま車内に持ち込めるサービスをしている。沿線でイベントがある時など除外日はあるが、終日OK。持込料が350円掛かるが、そのまま乗車、下車しそのまま行ける事は、旅行者じゃなくても有難い。

 ホームに自転車をそのまま持ち込むのは、通常、禁止だが、堂々と持ち込んで駅名標を前に記念撮影できたのは嬉しかった。

一畑電車・一畑口駅の目玉おやじ像

 ホーム上には、なぜか岩の上に載った目玉おやじ像があった。目玉おやじ…、ゲゲゲの鬼太郎と言えばお隣の鳥取だろうと思った。

 何でと思ったが、ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげるが幼い頃、お手伝いののんのんばあに連れられ一畑薬師を参拝したのが縁との事。一畑薬師や門前にあるものも含めると7体の像があるらしいが、のんのんばあと水木しげる像以外は目玉おやじとの事。主役の鬼太郎やねずみ男はいないらしい。
「ああ、なるほど。一畑薬師は目のお薬師様だからね…」。
と納得。一畑口駅の目玉おやじにも誰かが目の健康のご利益を願ってか、賽銭のように一円玉が何枚か添えられていた。

自転車がそのまま車内に持ち込める一畑電車

 一畑口駅から電鉄出雲市行きの列車に乗り込んだ。やってきたのはクロスシートとロングシートを自在に変換できる8000系。ロングシート運用だったが、シート横にちょっとできた隙間に、後輪だけ折りたたんだ私の自転車はジャストフィット。私はその横に座った。自転車を折りたたんで袋に入れ列車に載せる輪行というスタイルでよく旅するが、そのままの愛車と並んで座っていると、まさに一緒に旅をしている気分。いつも以上に嬉しく思いながら列車に揺られた。

[2026年(令和8年)7月訪問](島根県出雲市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 私鉄の二つ星レトロ駅舎

兵庫県最古の駅舎が残る駅

 播但線の木造駅舎を巡る旅。いくつかの駅を見て、午後に鶴居駅に到着した。

鶴居駅に入線した播但線の103系寺前行き

 午後2時半過ぎとは言え、10月と半分過ぎると、心なしかもう陽は傾き始め長く影を伸ばす。まだ暑いけど秋の訪れを感じさせる。

兵庫県神崎郡市川町、JR播但線・鶴居駅周囲の風景

 跨線橋に上ると、駅は小高い山に囲まれ、周辺には家屋が寄り集まるのどかな町並みが広がっていた。

JR西日本・播但線・鶴居駅、2番ホームの木造待合室

 1番線から先ほど見た2番線の木造待合室を眺めた。小さな待合室の半分は締め切りができ、半分はホームに面した部分だけ壁が無く開放的な造り。外壁こそ新建材で改修されているが、ベンチや長椅子は古い木のままでレトロさ感じさせる。

 同じ播但線の甘地駅にも同じ待合室が残されている。竹田駅にもほぼ同じ構造の木造待合室があるが、そちらは大きめだ。


 跨線橋から歩くと、駅舎の手前に車椅子のスロープがあった。こちらからも出入りできるが、やはり最初は駅舎を通って出たい。

JR西日本・播但線・鶴居駅の木造駅舎、無人駅となり塞がれた窓口跡

 鶴居駅は1991年に無人駅となっている。出札口と手小荷物窓口は閉じられ、はや30年以上…

JR播但線・鶴居駅、開業の明治27年以来の木造駅舎が現役

 鶴居駅ではだいぶ改修されているが木造駅舎が現役。外壁は新建材で今どきの住宅を思わすが、車寄せは古くよくある改修駅舎と言った感じだ。しかしこの駅舎、播但線の前身、播但鉄道開業の1894年(明治27年)以来のもの。同線の香呂駅ともに兵庫県最古の駅舎だ。

 1886年(明治19年)築で日本最古の現役駅舎とされているJR武豊線の亀崎駅より8年遅い。その次に古い1889年(明治22年)築のJR土讃線の善通寺より5年遅い。1903年築(明治36年)築のJR肥薩線・嘉例川駅より9年も早い。

 兵庫最古という域に留まらず、日本で最古級の貴重な駅舎であると言えると思う。

JR西日本・播但線・鶴居駅の木造駅舎、古さ残す車寄せ

 車寄せは木の造りをふんだんに残し歴史を感じさせる。でもさすがに柱は持たなかったのか、鉄製に交換されていた。

 播但線に残る木造駅舎は、この鶴居駅のように、柱など所々に地味めのピンク色に塗られ改修されている例が多い。播但線の古駅舎だなあと感じさせる。

JR播但線・鶴居駅の木造駅舎、古い造り残す車寄せ

 車寄せは、鉄製の柱の他に、壁から斜めに伸びた木の軒支えと、そこから更に直角に配された木材にも支えられている。木材が交わっている部分には、低いピラミッドが載ったような四角い木のカバーが付いていた。小洒落た感じだが、ただの装飾だろうか?それか、人によっては見苦しいと思う木の接合部分を隠そうとする建築の矜持か…?

 とにかくよく折れないで持っているよなぁと思う。

昔ながらのありふれた風景…

JR播但線・鶴居駅、明治の木造駅舎と庭園風のロータリー

 駅のロータリーはごつごつした岩で円形が作られ、その中にいくつも庭木が配され緑豊か。真ん中には大きな岩が組まれ断崖のようにそり立っていた。そんなミニ庭園の背後に、古い駅舎が建つのは、いかにも昔の駅らしい風情が漂う。

 もしやと思い、その中を見ると…

JR播但線・鶴居駅、枯れた池となっている庭園風ロータリー

 やはりそこには枯れた池があった!よく見ると、岩には庭園の寄贈者と、作庭した庭師の名前を標した銘板がはめ込まれていた。そこには昭和46年7月という年月も刻み込まれていた。この庭園風ロータリーが完成した時期なのだろう。

 寄贈!?今のお金に換算すると100万円…、いや、もっと掛かるのだろう。そんなものをポンと寄贈する篤志家も凄いし、それを受け入れる国鉄もなかなかのもの。

 昭和46年はモータリゼーションが進み、駅から活気が削がれつつある頃だったのだろう。そんな駅を見て、賑やかでいつまでも地元の人々に愛される駅であってほしい…。そう思って寄贈者の方は、駅にこんなものを贈ったのかもしれない。

兵庫県神崎郡市川町、JR播但線・鶴居駅、駅前の商店街跡

 駅前には何軒かのお店が並び、駅前らしさ漂うが、どれも廃れた雰囲気。今ではほとんどのお店が廃業してしまったよう…


 ちょっと駅前の町並みの方に歩いてみた。

兵庫県神崎郡市川町、鶴居駅近くを流れる市川

 するとすぐに川に突き当たった。小高い山の間を流れる川は幅が広く雄大。川沿いにはささやかな町があり、対岸への橋は長い。緑豊かな山の間に川が流れ、所々に町が開ける…。ありふれているけど味わい深い日本の田舎風景。近くの自販機でドリンクを買い、長閑な風景を眺めながら一服した。

JR西日本・鶴居駅、播但線でいまだに使われる国鉄型電車の103系が入線

 離れがたく想いながらホームで列車を待った。

 やってきた寺前行きは国鉄型の103系電車。播但線の顔となって久しい。103系は登場から半世紀以上が過ぎているが、更新されワインレッドの播但線カラーを装い、意外と古さは感じない。でもいつまで活躍を見られるのだろうか…

[2025年(令和7年)10月訪問](兵庫県神崎郡市川町)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星レトロ駅舎 JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎

2025年6月、雨…

 会津大塩駅から折りたたみ自転車で只見線沿線を西に走った。雲行きは悪く遂に雨が降りだした。元々体調が悪かった上に、落車して怪我までしてしまった。それでもなお降り注ぐ雨に、心の片隅で敗走している気分を抱えながらペダルを漕ぎ続けた。

JR東日本・只見線、木々に囲まれる会津中川駅

 午後2時半過ぎ、密林のように竹や高い木々が立ち並ぶ奥に、やっと会津中川駅の姿を見つけた。

折りたたみ自転車・BROMPTONで雨の只見線沿線を走り会津中川駅に到着

 駅舎を背景に愛車を何枚か撮影すると、自転車を直ぐに折りたたみ輪行袋に入れた。何より雨から逃れたく、自転車を抱え待合室に入った。

JR只見線・会津中川駅の木造駅舎、待合室

 待合室は5~6畳位だろうか…?たいして広くない。古い木造駅舎だけど、内部はきれいに保たれていてホッとした。列車まであと1時間位ある。

 無人駅で窓口の痕跡はすっかり無い。

 しかし、おかしな事に気づいた。入って左側に造り付けのベンチが取り付けられ、右側には引戸が設置されていた。待合室は駅舎右側に位置し、そういう場合、駅事務室に面した左側に窓口がある事が多い。ベンチはそれ以外の部分に設置される事になる。

 右側の引戸が無い部分に、2人用程度のベンチを置けなくもないが、そうするとホームと駅舎を行き来する動線に被ってしまう。

 待合室に全くベンチが置かれないとは考えられない。最初、左側に造り付けのベンチが設置されたのは、窓口跡が改修され壁になった後かと思ったが…

 もしかしたら会津中川駅は開業当初から無人駅で、駅舎もそのように設計されたのかもしれない…

JR只見線・会津中川駅、ホーム側の出入口とトイレ跡

 駅舎からホーム側に出て待合室部分を見てみた。左側に小室が取り付けられたような造りになっていて、待合室とも引戸で行き来できる。この小室、横に通気の筒のようなものも付けられているので、たぶんトイレなのだろう。だが、今では封鎖されて使えない。

JR只見線、福島県金山町にある会津中川駅、古い木造駅舎が残る

 やっと一息つき、駅舎を見てみようと言う気になった。駅舎は木造で、大きな改修の跡もなく木の板張りのまま。1956年(昭和31年)の開業以来のものと思われる。

 階段で上がった1m弱の高さの所に建てられ、大きな庇が付けられる事もなく、トイレが右側にある以外はシンプルな形状。正面には窓がたった1つだけ。他の木造駅舎にはもうちょっと窓があるものだが…。

 壁面を見るに窓が埋められた形跡も無い。元々、正面には窓が1つしかなかったのだろう。倉庫のような武骨さだ。

JR只見線・会津中川駅ホームと貨物ホーム跡

 ホームは1面1線だが、以前は貨物側線があったようで、線路の隣にもう1線分の空間がある。側線ホーム側面のコンクリート部分だけ、まるで遺跡のように残っている。

 側線ホーム跡には「1953-7」と標されたプレートが埋め込まれていた。このホームが1953年7月に造られたことを表しているのだろう。会津中川駅開業の1956年9月より3年も早い。

 会津中川駅は旅客駅としてのみの開業。しかし電源開発(株)が、田子倉ダムと滝ダム建設のため敷いた会津川口‐田子倉間の専用線建設で、列車で運ばれてきた大型の資材がこの会津中川駅で降ろされ、建設現場まで運ばれていったという。隣の駅で当時の終着駅の会津川口駅まで行けばいいのにと思うが、土地が狭く大型資材の取り扱いは不可能だったという。

 側線ホームと言っても、一般的な鉄道貨物を扱った訳でなく、他の駅とは随分と性質が違うようだ。そして1957年の専用線開通後は、もう無用の長物となってしまったのだろうか…?

JR只見線・会津中川駅、ホーム裏手の田んぼや山

 ホームの背後すぐの所は水田だ。その背後には緑豊かな山があり、抱かれるように民家がぽつりぽつりと点在する。雨に濡れる山里の風景もまた味わい深い。

JR東日本・只見線、会津中川駅の木造駅舎ホーム側

 ホームから駅舎を眺めた。こちらも板張りで古い木の質感が趣ある佇まいだ。東側のこちらには普通に二つの窓があった。側面の窓は高い所にありどこか倉庫的…

JR東日本・只見線、大きな桜の木々に囲まれる会津中川駅

 駅間には、駅舎を取り囲むように桜の大樹が並んでいた。きっと春は見事なんだろうなぁ…。またその頃に来たいもの。

2026年4月、晴…

 それから10ヶ月後の2026年4月、再び只見線を旅していた。どの駅を訪問しようかと迷った。会津中川駅にも行きたいけど、前回、訪れたからまあいいかと思っていた。

JR只見線、国鉄色のキハE120形に乗り会津中川駅に到着

 だけど結局、会津中川駅で下車した。

JR只見線・会津中川駅、桜は散ってしまった…

 春の旅で、駅に咲く桜を期待していたが、会津中川駅のあの駅舎を取り囲むような桜達は、もう散ってしまっていた。会津柳津駅の係員さんによると、桜のピークは10日ほど前の4月10日あたりだったと言う。桜の時季を予想して、旅の日を決めたが、だいぶ外してしまった。

JR只見線、福島県金山町北東部の長閑な集落にある会津中川駅

 それにしても青くどこまでも広がる空!温かな陽射し、輝く駅。晴れ渡る風景に心まで晴れ晴れとしてくる。前回が雨から逃げたく怪我までし陰鬱な気分を抱えながら走ったからなおさら、そんな風景が心にしみる。前回は気分も体調もいま一つながらも思い出深いものになったが、今回、新しい思い出を重ねる事ができた。会津中川駅で降りて本当に良かったと思った。

JR東日本・只見線・会津中川駅、戦後築の木の質感豊かな木造駅舎

 木の質感が味わいあるのは相変わらず。窓枠まで木製だ。

駅舎のホーム側には庇が設けられる事が多い。この方が雨をしのげ駅員さんも仕事がしやすいものだろう。この駅は出入口やトイレ部分こそ軒があるが、それ以外の部分には無い。思えばそんな所も有人駅らしくない。

 正面から見てみた。前回は雨だったりレンズが曇ったりで、あまり上手く撮れなかったので、改めてカメラを構えた。

 当然ながらこちらも相変わらず。いい木造駅舎だなぁ…。

 この日の朝は、なぜか駅に車でやってきては立ち去る人の姿がチラホラ…。見ていると駅前に粗大ゴミを捨てに来ているよう。粗大ゴミの回収日で、駅が回収場所になっているのだろう。

福島県大沼郡金山町、JR只見線会津中川駅の駅前

 今回も折りたたみ自転車と共に旅をしている。展開し走る体制を整え、会津若松行きの列車を見送った。駅北側の踏切まで回ってみて、方向を変え会津川口方面に向け出発した。

 駅周辺は家屋が点在し、無人の神社もある小さな集落。すぐ近くに道の駅がある。

 駅前の国道沿いにはお茶屋さんがあった。古色蒼然とした木造商店で、長い間、ここで店を構えているのだろう。でも、きっと昔は何軒かのお店などがあり、ささやかながらも駅前らしさ感じる町並みがあったのだろう。そう言えば駅前の古くからの街には、呉服屋、お菓子屋、お茶屋、床屋なんかがよくあるものだなあ…

JR只見線、桜の大木と木造駅舎が印象深い会津中川駅

「今度来る時は駅が桜で溢れる春がいいな…」
一旦止まり名残惜しく駅の方を見つめそんな事を思った後、再びペダルを漕ぎ出した。

(福島県大沼郡金山町)

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昔の国鉄駅の面影残る懐かしい駅構内

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅に進入する列車から駅構内を眺める

 列車が芦ノ牧温泉駅に進入する時、運転席横から構内を見渡した。2面のホームがあり行き違いができ、側線跡も残るゆとりある配線。そして木造駅舎が建つ。会津下郷駅もそうだったが、元国鉄・会津線だけあって、この駅にも国鉄駅らしい風情がよく残っている。

 側線ホームには、国鉄型気動車のキハ30を改造した先代のトロッコ列車が静態保存されていた。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、改札する駅員さん

 夕方5時までは駅員さんが居て、下車した乗客の切符を回収していた。私が写真撮影でウロウロしている間にいなくなってしまったが。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅の木造駅舎、ホーム側

 駅舎は開業の1927年(昭和2年)11月1日以来の木造駅舎が現役。今年2026年で白寿、来年で遂に100歳。そんな古さ残した駅舎が夕陽と影を浴びながら佇む姿もまた味わい深い。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、駅舎側下りホームの木造倉庫

 駅舎の隣には、これまた古めかしい木造建築が建っていた。横にベンチが置いてあるのが、バンガローか何かの風情で、ここで列車を見ながら寛ぎたいくなってくる。

 後で近寄って見たら、看板とか用具やらが置かれていた。どうやら倉庫のようだ。

芦ノ牧温泉駅、会津若松方面ホームの木造待合室

 駅舎と反対側、上りの会津若松方面行きホームには、古めかしい木造の待合室が残っていた。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、上りホーム待合室内に展示される写真

 待合室の扉を開けると、多くの写真が展示されていてまるでギャラリーのよう。年季感じる木の壁を背景にしているのが趣あり、写真の情感をより深くしているかのよう。

 写真は四季折々の会津鉄道のある風景、そして芦ノ牧温泉駅と言えば、何と言っても駅長猫。キリっと駅長帽を被り闊歩する姿は可愛くも凛々しい。

会津鉄道、夕陽浴びる芦ノ牧温泉駅構内、八重桜が満開

 4月下旬、会津鉄道沿線では多くの桜が散ってしまっていたが、この駅の側線跡に咲く八重桜は今が満開。影落ちる駅の中で、夕陽のスポットライトを浴び華やかに浮かび上がっていた。

猫駅長勤めるレトロな木造駅舎

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅の木造駅舎、ホーム側の軒とガラス窓

 駅舎ホーム側の軒は古い木の柱が並び木造駅舎らしいレトロさ溢れる。

 軒の端の上の方だけ、一部ガラス窓になっているの気になった。このちょっと先の閉塞器室…駅舎の出っ張り部分の柱の上部も同じように謎にガラス窓だった。なぜ上の方だけ…?不思議な造りだ。


~現地では、なぜ窓がこんな所に程度しか思っていなかったのだが、家に帰り写真をよく見てみると、柱の下の方とコンクリートの台座に溝が入れられているのに気付いた。ガラス窓の木枠下部にも溝があった。
恐らくだけど…、冬の寒さ厳しい会津の山間、この溝と溝の間に壁をはめ込んで、寒さや冷たい風を防いだのではないだろうか?
寒冷地では、玄関の前などに小さな一室を造り、冷気が室内に入るのを防ぐ風除室という造りを備えた建物をよく見る。この駅では、柱の斜めの支えなどを見るに、隙間ができ完全に密閉する事はできなったものの、風や寒さの緩和に役立ったのではないだろうか…?
寒さが厳しい地域ならでは。設計した人のアイデアが光る。~

芦ノ牧温泉駅・駅舎の軒の古い建物財産標

 軒のガラス窓の横に木の建物財産標が残っていた。よく見ると
「本屋 停 八 □」
と薄っすらと残っていた。「□」はよくわからないが、多分、「号」の旧字体だ。

 木の建物財産標は時々見る。この駅のものはかつて塗られていただろう色が風化して剥げ落ちているが、文字は薄っすら残っているのが目を引く。文字が書く時に使った塗料が風化を防いだのか…?いや…、彫られているようにも見えるが…?

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅の木造駅舎、待合室

 駅舎の待合室の中に入った。猫駅長が名物の観光駅だけあって、室内は掲示物で賑やか。売店もあるが、残念ながら営業時間は過ぎてしまっていた。

会津鉄道・芦ノ牧公園駅に展示された駅長猫たちの写真

 出入口上部には、猫駅長はじめ猫駅員の写真が飾られていた。ばす、らぶ、さくらの歴代駅長、ぴーち施設長…。今度は彼らが勤務している時に来たいものだ。

 猫の撮影禁止なのは残念が気もするが、撮影で追い回されるとストレスになるからしょうがないのだろう。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、国鉄会津線時代からの木造駅舎。昭和初期の1927年開業時築。

 駅舎を正面から見てみた。来年2027年で築百年とは言え、近年改修されきれいになった。

 素朴でありふれた形の木造駅舎だが、車寄せの下の右半分まで待合室になっている。待合室が混雑し、拡張されたのだろう。

会津鉄道・芦ノ牧公園駅の木造駅舎、正面の出入口の軒支え

 新築を思わすきれいさだが、車寄せはの古い木の造りのまま。形状がちょっと凝っていて、長さの違う木を重ね、それを斜めに配した軒支えの木の棒が支えている。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅の木造駅舎、正面の古い木のままの未改修部分

 駅舎正面も古い板張りを残していた。古く風化しやせ細ったような木の板は長い年月の味わいを感じさせた。

周りを歩くと…

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅の丸ポストと、国鉄時代の駅名標を再現した旧駅名「上三寄」の表記

 駅舎から見て左側にレトロな丸ポストがあった。ただ投函口は塞がれていた。現役のポストではなく、郵便の愛好家が展示目的で設置したようだ。

 その横には「上三寄」と標された駅名標があった。上三寄はこの芦ノ牧温泉駅の前の駅名で、1987年7月16日のJR東日本から第三セクター会津鉄道転換時に現駅名になった。

 この駅名標、両隣の駅は、北の西若松寄りが「もんでん」、南の会津高原尾瀬口寄りが「くわばら」と標され、くわばらの下には小さくカッコで「ふなこ」と表記されていた。現在はそれぞれ「あまや駅」、「大川ダム公園駅」が隣だ。

 あまや駅は会津鉄道転換後の1999年に設置された駅だ。

 大川ダム公園駅は、長い間、舟子仮乗降場で正式な駅ではなく、1987年4月1日のJR化後に舟子駅と昇格、同年7月の三セク転換時に現在の駅名となった。

 桑原駅は現在の芦ノ牧温泉南駅で、こちらも三セク転換時に現駅名となった。

 なので現在の両隣の駅を抜き、「もんでん」「くわばら」と国鉄時代を再現した駅名標なのだ。仮乗降場は、駅名標に次の駅として表記されないのが通例だったが、舟子駅の場合は例外的に、国鉄時代からこのように下に小さく「(ふなこ)」と標されていたという。そんな事までこだわるとはマニア心をくすぐる。

 たかが駅名標一つで複雑…。しかし会津鉄道に限らす、第三セクター鉄道転換後は、国鉄・JR時代の長い駅間の間に、駅が新設されるケースはよくあり、観光・レジャー利用を狙った駅名になる場合も多い。そんな歴史に触れた気分だ。

芦ノ牧温泉駅内にある会津鉄道神社

 かつて貨物取扱エリアだったと思われる位置に、会津鉄道神社があった。多分、何かの設備だったコンクリートの建物を神社にしたのだろうが、沿線の由緒ある神社の神様をご神体として祀り、会津鉄道の安全を祈願している。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅にに残るレトロな木造建築、倉庫と上りホームの待合室

 木造倉庫と反対ホームに見える木造待合室、二つ同時に見ると、懐かしい昔の駅の風景を残しているかのように味わい深い。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、側線ホームの猫駅長の墓

 トロッコ列車が留置されている側線ホームに行き止まり部分には、猫駅長「ばす」「らぶ」のお墓があった。たくさんの花や水が添えられ天国のお花畑のように華やか。あさって4月22日で、初代名誉駅長のばすが虹の橋を渡ってちょうど10年。きっと天国から現役駅員の仕事ぶりを見守っている事だろう。

芦ノ牧温泉駅、国鉄時代は側線など貨物取扱エリアだったと思われる一帯

 側線ホーム横の一帯は、今では駐車場などに使われている。猫駅長目当てに団体が訪れる事もあるのか「バス優先」の区画が二ある。

 だけどここはかつて貨物を扱ったり、駅に関連する建物がいくつも建っていたエリアだったのだろう。かつては停一号から二号、三号…、そして八号の本屋、九号の倉庫と、少なくとも九棟の建造物があったのだろう。それらはきっと貨物上屋、駅員宿舎、浴場、詰所などなど…。そんな上三寄駅時代のいちばん賑やかだった頃を思うと、胸が熱くなる。今ではバスが2台停まっても有り余る広いスペースと、駅の方を向いた石造りの倉庫が、古の賑わいを伝えるだけだ。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅、切符売場のレトロな木製カウンターと金銭受け

 去り際に窓口を見てみると、古い木のカウンターのまま。特に分厚い金銭受けの木の板が目を引いた。

会津鉄道・芦ノ牧温泉駅で行違う上下列車

[2026年(令和8年)4月訪問](福島県会津若松市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎

信楽高原鉄道唯一のレトロ駅舎を訪ねる

 30年振り位に信楽高原鉄道を訪れていた。

 信楽には奈良時代の745年、僅か4か月だけ都となった紫香楽宮があった。742年から離宮ではあったが、その期間も含めても短命。しかし後に東大寺の大仏へとつながる廬舎那仏の詔は、この紫香楽宮で発せられたので、歴史的な意義は大きいと思う。


 貴生川駅からぐいぐいと坂を登り山深さを増す風景を見るにつけ、都となって間もない恭仁宮を捨ててまで、よくこんな所に遷都しようと思い立ったものと思い列車に揺らていると、雲井駅に到着した。

信楽高原鐵道・雲井駅1面1線の棒線配線のプラットホーム

 雲井駅は1面1線のシンプルな配線の棒線駅で、無人駅。古い木造駅舎が残るっているという。

 ホームを歩いていると、植木の向こうに、もう一つ駅舎っぽい建物を発見した。
「あれ?どっちが駅舎!?」
と、一瞬、戸惑ったが、よく見ると植木に隠れた南側の建物はトイレだった。

信楽高原鉄道・雲井駅の木造駅舎ホーム側

 赤い柱などトイレと似た色使いだが、北側の貴生川方の建物が駅舎だった。

雲井駅、駅名標の側らには信楽らしく信楽焼のタヌキ像が…

 信楽と言えば、信楽焼のたぬき。駅名標の側にも、でっぷりと太ったたぬきが居ついていて信楽らしさ溢れる。

信楽高原鉄道・雲井駅、紫香楽宮跡をイメージしてか駅舎の軒や柱は赤色

 駅舎ホーム側の軒や柱は古い木のままだが、紫香楽宮をイメージしてか赤く塗られ宮廷のような趣だ。軒越しに、同じような色使いのトイレが見え、宮廷でまるで建物が二つ並んでいるかのような佇まいだ。

信楽高原鉄道・雲井駅、貨物ホーム・側線跡。

 貴生川方には、本線から分岐した貨物ホーム跡が残っていた。レールはさすがにもう無いが。

信楽高原鉄道・雲井駅、開業の昭和8年以来の木造駅舎が残る

 駅舎の正面にまわった。駅開業の昭和8年(1933年)5月8日以来の木造駅舎で、今年2026年で築93年の古豪。

 しかし近年、改修されたようで、レトロ駅舎風の新築駅舎と言った雰囲気が漂う。右3分の1ほどの外観は、木目浮かび木の質感溢れる。だけど改修前と比べると違っているので、改修により後付けでこうなったのだろう。

信楽高原鐵道・雲井駅、駅名をイメージしてか駅舎正面には雲のレリーフが…

 駅舎正面の左3分の2ほどは白一色となっていた。「雲」と付く駅名からか、雲をイメージした大きな和風のレリーフが施されている。

信楽高原鐵道・雲井駅に入線した貴生川行きの列車

 貴生川行きの列車が入線してきた。やってきた列車は忍者のラッピングが施されたSKR331形車両だ。信楽町は2004年に周辺の町と合併し甲賀市となった。だから今や忍者の町でもあると言える。

 この車両、さっき乗って来たのと同じだ。14.7㎞の短い路線。今日はこの車両がひたすら行ったり来たりしているのだろう。

信楽高原鉄道・雲井駅の木造駅舎。完全にリニューアルされた待合室

 待合室も完全にリニューアルされ、窓口跡と言った昔の面影は全くなかった。

雲井の町へ…

滋賀県甲賀市信楽町、信楽高原鉄道・雲井駅前の街並み

 ちょっと町の方に出てみようと駅から歩くと、すぐに南北に伸びる道に突き当たった。両側に店舗のような建物がいくつもあったが、今やほとんど閉業となっているようだ。かつてはささやかな駅前商店街があったのだろう。

 横断歩道には飛び出し注意を促す子供の看板「飛び出し坊や」の看板があった。よく見るレトロなタイプのと比べやや現代的なタッチ…。飛び出し坊やは今や日本全国で見られ、路上観察のアイテムとして人気だが、発祥はこの滋賀県との事。

甲賀市信楽町、雲井駅前にある雲井小学校、二宮金次郎像とタヌキ像のコラボ

 街の中には雲井小学校もあった。正門の植込みには小学校の定番、二宮金次郎像も。その下には、こども110番をアピールするたぬき像が賑やかに並んでいた。信楽の小学校らしい楽しい風景だなあ…

離れ際を惜しみつつ…

信楽高原鐵道・雲井駅、古さ残す駅舎側面

 駅に戻り、この駅から立ち去る名残りに、駅舎を再びつぶさに見てみた。妻面から突き出て屋根を支える木材、腰壁の砂利混じりのコンクリート…、古い木造駅舎らしさ残し、確かに90歳越えの味わいを感じさせた。

信楽高原鉄道・雲井駅、古い木造駅舎らしさ残すホーム側の木の軒

 ホーム側の軒の木の柱は、風化し木目浮かびヒビが入りしわがれているかのよう。軒の木の質感も良い。

雲井駅、信楽高原鉄道の列車に乗って下校する小学生

 信楽行きの列車がやってきた。ちょうど小学校の下校時間と重なり、黄色い帽子をかぶった子供たちで駅にはささやかな賑わいが訪れた。地元の人達の生活に密着した風景っていいよなぁ…

[2026年(令和8年)3月訪問](滋賀県甲賀市)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星 JR・旧国鉄のレトロ駅舎

日本三大車窓、善光寺平を抱く駅

 2026年新春、篠ノ井線の駅を巡り、姨捨駅で下車した。平成の初期に訪れて以来か…、いや2000年代初めの頃にも訪れたか…?とにかく20年以上振りの久し振りの訪問。特急しなので何度も通る機会はあったが、再び降り立つまで随分と経ってしまったものだ。


 姨捨駅と言えば日本三大車窓と称される絶景が有名な駅。まず名高い風景を見ようと2番ホームに向かうため跨線橋に上った。

JR篠ノ井線・姨捨駅、展望台のような跨線橋

 すると、跨線橋ですら風景を一望できる展望台のような造り。この跨線橋を設置した人、解ってるなぁ~と感心。

 2番ホームに立つと、信州の山々に囲まれた善光寺平が一望の下に広がっていた。冬だが積雪はほどんど無く冬枯れ。だけど空気は澄み遠くまでよく見える。善光寺や長野市は奥のあのあたりだろうか…

JR東日本・姨捨駅、昭和初期築の洋風木造駅舎

 反対側の1番線に駅舎が建っている。1934年(昭和9年)築の木造駅舎は健在で何より。元々、洋風の洒落た造りだったが、リニューアルでお洒落な山荘のようなムードに。

スイッチバック駅の姨捨駅、本線上を特急しなのが通過

 2番ホームの眼下にある本線を、名古屋行きの特急しなのが松本方面に向け坂を駆け上がっていった。

 姨捨駅は蒸気機関車の給水のため、スイッチバック構造の駅として設計されたと言う。松本からやって来た下り列車は姨捨駅に停車した後、出発すると、一旦、松本方面に戻り、数百メートル先で停車すると進行方向を変え、篠ノ井方面に下っていく。

 篠ノ井方面から来た上り列車は、姨捨駅を少し通り過ぎるとバックし2番ホームに進入してくる。

姨捨駅、トランスイート四季島の停車に合わせて作られた展望ラウンジ・バー

 駅舎の横にはホームに沿って長細い建物が新築されていた。これは姨捨駅がクルーズトレイン「トランスイート四季島」の停車駅になった事に合わせ設置されたラウンジ「更級の月」。基本的には同列車の乗客専用施設で、私が訪れた平日昼間は閉まっていた。だけどJR東日本系列の会社が、ランチやディナーを旅行商品として売る事もあるようで、高額なTS四季島に乗らなくても利用できるので狙い目だ。

リニューアルされた駅舎と記憶の中の姨捨駅

篠ノ井線・姨捨機の木造駅舎、古い造りを残した閉塞器室

 駅舎はリニューアルされお洒落な山荘風になったとはいえ、古き良き趣は伝わる。閉塞器室と呼ばれるホーム側の出っ張りも、木材や木枠の窓のペンキ越しに風化した木目が皴のように浮かび上がっていた。無闇に改修するのではなく、残すべき所はしっかり残しているように思う。

JR篠ノ井線・姨捨駅、駅舎の大きさに比し大きな扉

 出入口の扉は、駅舎の規模に比し大きめに思う。そんな出入口に横幅が広い引戸が2枚取り付けられていた。この大きさにする理由はあったのだろうか…?

姨捨駅の木造駅舎、レトロな趣きにリニューアルされた窓口跡と待合室

 待合室はすっかりきれいに改修され、くすんだ雰囲気は無い。レトロな木造駅舎のイメージに合うよう、木が多用されている。切符売場、手小荷物窓口はレトロな造りが復元されていた。

 初めてこの駅に訪れた1990年頃、キオスクがありお年を召した女性が店番をしていたのは不思議と記憶に残っている。昔はそこそこの駅にはキオスクがあったものだが、当時ですら
「こんな駅に…!!」
と思ったのだろう。そのキオスクも失われてだいぶ年月が流れたけど。あと待合室内に小上がりがあったような…。これは記憶違いかもしれないけど。

JR東日本・篠ノ井線・姨捨駅、洋風駅舎らしい縦長の窓

 窓は洋風駅舎らしく縦長。しかも大きい。出入口だけでなく窓も立派なもの!

姨捨駅の洋風木造駅舎、昭和の古い造りを残す木の窓枠

 窓枠や周辺の枠も古い木のまま。使い込まれ古びた質感は、リニューアルされた素材とは明らかに違い渋い。窓枠の下の方にカーブが入った真鍮の金具が取り付けられていた。これも年季が入っている。窓の開閉用の取っ手かと思い、試しにつまんで上に上げて見ると、窓は見事に持ち上がった。

個性的な装飾が印象的な洋風木造駅舎

 外に出て駅舎を眺めた。

 半切妻のファサードを持つ急角度の屋根や縦長の窓を持つ木造駅舎は洋風の趣きに溢れる。

 この駅舎は1934年(昭和9年)築。2010年(平成22年)にリニューアル工事が行われ、待合室だけではなく外観も改修されている。改修前は横板張り(もしくは横板張り風の建材)だったのが、改修後は縦板張りになった。

洋風木造駅舎が残る姨捨駅、正面のレトロな装飾

 姨捨駅舎はより洋風のムードにしているものが、半切妻ファサードの白い部分の装飾。中でも特徴的なのが、小窓回りのピエロのペイントのようなインパクトのある装飾。あるいはウォータークラウン(水滴が水面に落ちた一瞬にできる王冠のようなもの)、星のようとも言えるかも…。これが有ると無いでは、この駅舎の印象もだいぶ違ってくる事だろう。

 そのやや下の両脇に、四角の中に玉があるレリーフも面白い。

庄うわ初期築の特徴的な洋風木造駅舎が残る姨捨駅。斜めから

 姨捨駅は山の斜面にあり、駅前には並行して道がやっと一本通っているだけで狭い。側面も含め立体的に撮影したいが、ズームレンズを広角側の24㎜にしてやっと。屋根の側面にもあのピエロ模様があるが、こちらは窓ではなく、通風孔となっている。

JR篠ノ井線・姨捨駅、駅舎出入口の正月飾りのしめ飾り

 正面側も出入口がやはり広めに思う。

 両側には玄関の正月飾り、しめ飾りが掛けられ、駅巡りに新年らしさを添える。だけどしめ飾りは赤色の紙が混じるなど、もう少しカラフルな気がするが、長野のしめ飾りは他の駅でも見たのだが、しめ縄に松、白い紙と、地味めのようだ。

姨捨駅の洋風木造駅舎、駅舎正面の装飾の採光窓を待合室から見る

 ピエロ模様の小窓は、待合室から見るとどうなっているのだろうと見上げてみた。するとちょうど裏側、天井が一部繰り抜かれたような部分に、同じ長細い窓があり、僅かに光を取り込んでいた。おお!ただの飾りと思っていたが、採光窓だったのだ。もしかしたら、昔は天井が高く、小さい窓なれど駅にもっと光をもたらしていたのかもしれない…

JR姨捨駅から去りゆく列車から眺める風景

 もっとこの駅舎を見ていたい気もするが、キリが無いので、また来ればいいと思いながらギリギリまで撮影をして長野行きの列車に飛び込んだ。スイッチバックする列車の車内から、名残惜しく善光寺平を眺めた。

[2026年(令和7年)1月訪問](長野県千曲市)

レトロ駅舎カテゴリー:
三つ星 JR・旧国鉄の三つ星レトロ駅舎

三木城址近くの築堤横、街を見下ろす駅

鈴蘭台駅から粟生行きの列車に乗り、三木上の丸(みきうえのまる)駅で下車した。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅プラットホーム

 築堤上のレールに合わせたプラットホームは一面一線。

 副駅名は三木城址前。三木城は駅の南西側一帯にあった。

 三木城は織田氏と別所氏の三木合戦で有名。織田方を率いた秀吉は三木の干し殺しと称される兵糧攻めを行い、城主一族を切腹に至らしめた。

 ホームと反対側、木々の向こう側すぐの所に三木城跡上の丸公園がある。三木城址の北あたりになり、駅は上の丸と名付けられたのだろう。

三木城址近く、神戸電鉄・三木上の丸駅から見た三木市街

 高い位置のホームから町を見下ろせばお城から見ている気分。三木市中心街のやや外れと言った位置だろうか?

古さ漂う木造駅舎は嵩上げされ…

神戸電鉄・粟生線、レトロな木造駅舎が残る三木上の丸駅

 木造駅舎も線路の高さに合わせ、土台でかさ上げされ掲げられるように建っていた。それ以外、これと言って特徴的な造りがある訳では無いが、素朴な木造で趣感じさせる。駅の中に入るためには、急なスロープか階段を上がらなければいけないのはちょっと面倒…

 三木上の丸駅の開業は、三木電気鉄道時代の1937年(昭和12年)12月28日。広野ゴルフ場前駅から当駅間の約5.1㎞延伸開業時の時で、当初の名称は三木東口駅と言った。駅舎はその頃からのものだろうか…?

 駅名は1939年(昭和41年)に上の丸、1948年(昭和23年)に現在の三木上の丸に改称されている。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、道路沿いの一見駅舎?のトイレ

 坂の下に下りてみると、道路沿いに立派な公衆トイレがあった。「神戸電鉄 三木上の丸駅」の看板を絶妙な位置にでかでかと掲げ、道路から見るとこっちが駅舎に見えてしまうだろう(笑)

三木上の丸駅、斜面の路線に合わせ嵩上げされた木造駅舎

 坂の上の駅舎に戻ってきた。

 嵩上げされた駅舎は2階建ての高さがある。下の部分は板で覆い隠され、奥は壁で見えず、今やどうなっているかわからない。何かあったのだろうか…?

 ウィキペディアに載っている1955年以前という三木上の丸駅の画像を見ると、面白い事に気づいた。駅舎への出入口で、今は急なスロープとなっている部分が、昔はそうでなく、線路に並行して通路が伸びていたようだ。柵がある事から、それなりの高低差があり、柵の切れ目には、階段か梯子か何かがあったと思われる。

 元々、その通路が下の道路あたりまで緩やかな坂となって続いていたのだろう。しかし駅周辺が造成され、従来の通路が無くなり、駅舎の真下にスペースが作られ、スロープや階段が出来たのでではないだろうか…?

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅の木造駅舎出入口

 駅舎出入口には小さな軒が取り付けられていた。木造らしくいい造りだ。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、レトロで古色蒼然な木造駅舎

 駅舎外観は白いクリーム色に塗られていたようだが、それも剥がれ、木の板張りが露出し古色蒼然さ溢れる。窓はサッシだが、重なるように木枠の部分があり、昔はそこが窓だったのだろう。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、無人駅となり窓口は塞がれた

 無人駅となり窓口は塞がれている。色々改修されているのだろうが、天井は木の板張りのまま。ポツンとはめ込まれた、小さな防犯カメラは、怪しい駅オタクに目を光らせている事だろう(笑)

 床面はコンクリートだが、隅に四角い継ぎはぎのような部分があった。何かがあった痕跡なのだろう。同じ粟生線の三木駅旧駅舎には売店の跡らしきものが残っていたが、この駅にも売店でもあったのだろうか…?それかまさか駅舎の下の階に下りる階段を潰した跡とか!??

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、到着した列車から下車した乗客

 ホームに至るためには、更に締めの階段を上がらなければいけない。

 新開地行きの列車が到着し。数名の人が下りてきた。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、ホームから見た木造駅舎

 ホーム側から見る駅舎もなかなか渋い。一部が張り出した造りになってるが、水道管らしきものが壁から出ているので、水場があったのだろうか。

 だけど築堤の高さには、駅舎とホーム以外の敷地は無く、周辺の土地も民家に取り囲まれごくわずか。スペースに余裕はほどんど無く、将来、駅舎が取り壊される事になったら大変そうだ。

 通常、駅舎を取り壊す時、駅敷地内に仮駅舎や別の動線を作って対応する。もちろんこの駅も、そう言ったものを作ろうを思えば作れるのだろうが、敷地が狭い上、築堤のレールに合わすとなると、手間な分、費用も掛かりそうだ。それが三木上の丸駅の駅舎が、木造のまま残っている理由なのかもしれない。

 なので取り壊しの時は、工事期間中、駅の休止もあり得そうだ。もちろんレトロ駅舎好きとしては、そんな時なんか来なく、この木造駅舎がずっと高く掲げられる姿を見ていたいものだ。

神戸電鉄・粟生線、三木上の丸駅、ホーム上の木造上屋の待合所

 ホーム上の木造上屋も相当に年季が入っていた。

神戸電鉄、三木上の丸駅に入線する粟生行きの1100系電車

 今度は粟生行きの列車が坂を下り入線してきた。

神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅、古い電車に味わいある駅のレトロな風駅

 約半世紀前の1970年あたりに製造された1100系電車に、古レールが支え使い込まれた木のベンチがある待合所、そして木造駅舎。何とレトロで味わいのある粟生線の風景か…

[2025年(令和7年)10月](兵庫県三木市)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 私鉄の二つ星レトロ駅舎

広大な留置線(跡)にレトロなホームに…

 暑い9月の夕刻前、船で松山に渡る前に呉駅を二つ通り越した吉浦駅に立ち寄った。

JR西日本・呉線、吉浦駅プラットホームと駅舎

 ホームは駅舎に面した1面と島式1面だが、1番線が両ホームに挟まれた2面2線の配線。しかし島式の駅舎に近い方はフェンスで塞がれ使えなくなっているが。

JR呉線・吉浦駅、ホームから見える駅南側の留置線とその跡の駐車場

 2番線の向こう、駅の南側には留置線があり、保線車両が留置されている。架線柱を見ると、そのさらに奥の駐車場まで跨いでいる。昔はあの駐車場にも留置線が広がっていたのだろう。更に西側すぐの海上自衛隊施設の港湾まで引込線が伸びていたというので、貨物でもさぞ賑わっていたのだろう。

JR呉線・吉浦駅、ホームに残る木造の古い上屋

 駅には古い跨線橋が残っていた。2番線は階段が二手に分かれていて、ホームの上屋は、呉寄りが古レール造り、広島寄りが木造と、違う造りなのが面白い。最初、呉寄りに居て、その後、広島寄りに降りると違う駅にいるかのような錯覚を覚えた。

JR西日本・呉線、吉浦駅、堂々たる佇まいの駅舎ホーム側

 駅舎の方を見てみた。軒を支える木の柱が何本も立ち並び、屋外の改札口跡の上屋も残る。昔の駅らしい堂々したムードを感じさせる。

ターミナル駅のような戦後築の木造駅舎

JR呉線・吉浦駅の木造駅舎、天井が高く広い待合室

 駅舎の待合室に入ると、その広々として空間に驚かされた。床面積もだけど、天井の高さも2階分はあり、ちょっとしたイベントができるホールのよう。古さは感じるけど、内部の壁の板が張り換えられるなど改装されていた。

 こんなに大きく立派な駅舎だけど。2022年4月から無人駅となった。窓口跡は虚しく塞がれていた。

JR呉線・吉浦駅、戦後昭和21年築の威風堂々の木造駅舎

 外に出て駅舎を眺めると、その大きさに更に驚いた。派手な造りは無いが、まるで主要駅、ターミナル駅のような威厳感じる。待合室側は吹き抜けと言える高さだったが、駅事務室側は2階建てなのだろうか?

 この木造駅舎は、戦後の1946年(昭和21年)築。戦後の復興期、規模は必要だが、物が足りなかったりデザインに凝る余裕もなく、実用本位の質素な駅舎となったのだろう。

JR西日本・吉浦駅、倉庫も併設した大柄な木造駅舎

 ただでさえ大きな駅舎だが、左側が木造建築物が付け足されたような造りになっていて、更に駅舎を大きく見せる。

JR呉線・吉浦駅、駅構内のタクシー事務所のレトロな小屋

 駅舎右側にはタクシー会社の小屋がポツンと置かれている。正面がスクラッチタイルで装飾され、レトロで小洒落ている。昔のちょっとした規模の駅では、こんなタクシー会社の小さな事務所のようなものをよく見かけたものだ。

広島県呉市、吉浦駅前のアーケード街から見た駅

 駅前からアーケードのある商店街が真っすぐ伸びている。

 アーケードから駅を見ると、駅前の蘇鉄がまるで写真のフレームに収まったかのように映った。地元の人から見たら、吉浦駅は南国風の木がある駅という認識なのかも…

駅舎真横の謎の木造構造物??

JR呉線・吉浦駅、駅舎左側の木造倉庫のようなもの

 駅舎左側の木造部分も堂々としている。他の部分は違う建材なのに、こちらは木の質感豊かな木造のまま。土台は丸みのある岩が埋め込まれレトロなムード。階段も同じ感じだ。

 見た所、倉庫のように思えるが…

JR呉線・吉浦駅、木造倉庫?正面出入口の呼鈴

 扉の横には呼鈴のブザーらしきものが設置されている。駅員さんが中に入りたい時は「ブーッ!」と鳴らしたのだろう…

広島県呉市、JR吉浦駅、狭い駅前

 倉庫らしきものの階段の上にあがって駅前を眺めてみた。

 旧国鉄の駅は、貨物を扱った側線ホームの段差を無くし荷物のやりとりをしやすくするためか、駅周辺のスペースが駅舎など駅の諸施設に向かって、段差無く微妙な上り坂になるように設計されている事が多い。

 しかしこの吉浦駅はそのように設計されていなく、駅舎に出入りするためには階段を上り下りしなければいけない。海に近い立地で、広い留置線も設けねばならず、駅舎前のスペースは限られ、このようになったのだろう。

JR呉線・吉浦駅、木造倉庫軒の古い木製碍子らしきもの

 階段からふと頭上を見上げてみた。すると小さな軒に変わったオブジェが吊るされているのを見つけた。金属の輪っかに、木の小さな栓のようなものが5個、半円を描くように取り付けられていた。オブジェ…、という訳ではなく、何らかの設備だったのだろうが。

 これは…、もしかしたら電線の電流を絶縁するための碍子(ガイシ)なのだろうか?碍子だとしたら、陶磁器のものはよく見るが、木製は珍しいのでは?だとしたら輪っかが錆びている所も察するに、相当古い部品なのだろう。

JR呉線・吉浦駅、不思議な威厳感じさせる駅舎の階段

 駅舎に出入りするための何段もの階段、そして軒を支える何本もの古い柱…、歴史的建築物の威厳を感じさせる佇まいだ。

あの木造倉庫のようなものは…

 あの倉庫のようなものをホーム側から見てみようと駅舎を通りぬけた。

JR呉線・吉浦駅舎、駅事務室出入口の注意書き

 駅事務室の扉横に
「管理者の許可なく入室を禁ずる. 駅長」
という注意書きが残されたままだった。今は無人駅だが、自体がレトロでかわいい。

JR呉線・吉浦駅に残る国鉄時代からの木造貨物上屋跡

 そしてあの木造構造物の前に立った。

 正面側は一面の古い木造だが、ホーム側は下部の3分の2程はそれよりは新しい建材の壁となっている。

 小さな扉があって、よく見るとその横に古い建物財産標が取り付けられたままだった。見てみると…
「財 第14号… 貨物上家…」
と標されていた。
貨物上屋!!側線など貨物取扱所にある、東屋のようなものだったのだ!

 貨物の「貨」の字は、偏(へん)がにんべんの旧字体だった。

年月を見ると
「昭 〇9年 3月 〇日」
となっていた。〇の部分ははっきりと判読できなかったが、「年」の部分は1と書かれているか、何も書かれていないように見えた。つまりは19年か9年か…。だとすると、この貨物上屋は昭和21年築の駅舎より早く建てられていた事になる。

 貨物上屋は通常では、駅舎からやや離れ、独立して設置されている事が多いが、吉浦駅のこの上屋は駅舎に密着した造りで、珍しいかもしれない。そういう珍しい造りは、貨物上屋が先に建っていたのが関係してるのかもしれない。

 そして壁で完全に覆われ、外部とは分断されている。美作滝尾駅とか、見てきた貨物上屋は、もっと開放的な造りだったよなぁと思い出していた。

JR呉線・吉浦駅の木造貨物上屋跡、鉄板のスロープ

 貨物上屋の出入口には鉄板が敷かれ、ホームとの段差を無くしている。荷物のやりとりをしやすくするため敷いたのだろうが、もうすっかり錆びつき過ぎ去った年月を感じさせる。それにしても出入口が小さすぎると、作業がし辛そうだ。

 このように貨物上屋が壁で塞がれたのは、もしかしたら倉庫など他の用途に転用するためだったのかもしれない。それか荷物の盗難防止とか…

JR呉線・吉浦駅、単線だが本数が多く227系同士のすれ違いが行われる

「見応えのある駅だった、来てよかった。」
と思いながら、呉駅に引き返した。2時間後は海の上だ。

[2025年(令和7年)9月](広島県呉市)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎</a>

雨の1日目

 旅二日目、雨の中、会津大塩駅から只見線沿線を折りたたみ自転車で、会津中川駅までの約20㎞走った。そして列車でこの日の泊地である三島町の会津宮下にやってきた。

只見線・会津宮下駅、列車すれ違いができる2面2線の配線

 小さい駅ばかり見てきたが、すれ違いできるホームが生きている構内を見て、大きな駅に来たものだと感じた。

会津宮下駅、古めかしい木造倉庫

 駅舎のすぐ隣には古めかしい木造の小屋が残っていた。建物財産標を探したが見当たらなかった。倉庫だろうか…?

会津宮下駅、古い木造の小屋のハーフティンバー調の装飾

 この木造の小屋、妻面を見ると、三角屋根の頂上には先端が丸くカットされた板が並べられた軒飾りがあり、上部の白壁には木組みが露出したハーフティンバー調の装飾が施されていた。木の棒が縦に3本配され、両端の木の上部から真ん中の棒の下部に向かって曲線を描いた木が配されている。この曲線、どこか象徴的というかアクセントのように見える。

 古びた小屋と侮っていたが、小洒落たものと思ってまじまじと見ていたら、
「あっ!?」
と、ある事が思い浮かんだ。
このハーフティンバー調の独特な装飾…、もしかしたら宮下、駅開業時の1941年は宮下村の「M」を模ったのだろうか?

 木造倉庫だけでなく、駅本屋も古い木造だ。

 ホーム側の軒を支える柱は、表面が平に整えられていなく、まさに丸太のまま。切り落とした枝の跡があちこちに残りでこぼこしている。

 両側に伸びる支えの木は、あのハーフティンバーと同様に、カーブが入っている。こちらもそんなに整えられていなく、でこぼこ感がある。

JR東日本・只見線、会津宮下駅。古い国鉄型の駅名標

 壁には古い駅名標が掲げられていた。シンプルな駅名標はレトロで味わいある。国鉄時代からのものだろうか?

JR只見線、会津宮下駅の木造駅舎ホーム側

 ホームには、あの丸太のような柱が賑やかに並び、上屋を支えてる風景が面白い。

JR只見線・会津宮下駅待合室、桐のテーブルとベンチ

 待合室に入ると、地元で伐採された桐で造られたテーブルやベンチが置かれていた。

JR只見線・会津宮下駅、窓口跡の木のカウンター

 会津宮下駅は2023年に無人駅となった。出札口の閉じられたカーテンはもう開くことは無いのだろう。

 その隣の低いカウンター、手小荷物窓口の台も木のまま。昔ながらの造形を残しているのが見事。カウンターの上には本棚が置かれ、観光パンフレットや不要となった本が寄贈され、ミニ図書館が出来上がっていた。

会津宮下駅、待合室の国籍別訪問者数ボード

 待合室の片隅に、会津宮下駅がある三島町への国籍別の訪問者数の一覧があった。来訪者が自分の国籍の所にシールを貼っていくやつだ。

 それによると圧倒的に多いのが台湾。近場の日本に旅行に来る人が多く、何回も来ていれば有名でない三島町に目が向きやすいのだろうけど、台湾の歌手・故テレサテンが三島町の特別町民で縁があるからかもしれない。

 あと、インドネシア、香港、中国と続く。欧米もちらほら。インバウンド旅行者の急増は、福島県の山奥にあるこんな小さな町にも波及しつつあるようだ。


 外に出て駅舎を正面から撮影しようとしたが…、レンズの中がすっかり曇ってしまった。一日中、雨に降られたせいか曇りは頑固で、ちょっと待っても完全には落ちなかった。なあに…、駅近くの宮下温泉泊なので明日もこの駅にやってくる。そう思い、自転車を展開し、雨の中、今日最後のひと走りにペダルをまわし宿を目指した。

快晴の二日目

 翌朝、再び会津宮下駅にやって来た。天気は昨日と打って変わって快晴。眩しい程の太陽の光が降り注ぐ。

 さあ、駅舎の撮影と思ったが、町営バスが2台、駅前に停まっているいる。まあ、その内出発するだろうからと前景の撮影は後にした。

JR只見線・会津宮下駅舎、車寄せの木の装飾

 車寄せもあの倉庫や柱のように、ハーフティンバーや軒支えなど、カーブが賑やかに躍るようなユニークなデザインだ。同じ軒飾りもある。

JR只見線・会津宮下駅の木造駅舎、車寄せの柱

 駅舎の規模に比し、やや大きめの車寄せは、6本の丸太の柱で支えられている。まるで木が林立した森を思わす。

JR東日本・只見線、会津宮下駅の木造駅舎

 町営バスは2台とも出発した。

 木造駅舎は1941年(昭和16年)10月28日の駅開業以来のもの。築80年越えの古豪だが、割と近年、改修されているだけあって、きれいに保たれている。

 だけど、やはり車寄せの特徴的な曲線の装飾はやはり印象的で、お洒落でハイカラなムード。会津宮下駅の象徴的デザインと言え、あの倉庫も駅舎のデザインが取り入れられたのだろう。

 ハーフティンバーの装飾は丸太の柱は、どこか山荘風。山深い地域だからそういうデザインにしたのだろうか?

JR只見線・会津宮下駅の木造駅舎、右側のトイレ部分

 駅舎の右横にも建物が続き、トイレとなっている。

 以前もここはトイレだったようだが、改修前は上屋で繋がっていたものの別棟になっていて、その間に降車用の改札口があった。

 トイレ側面にもカーブが入ったハーフティンバー調のデザインが残されている。ホーム側の丸太の柱が支える軒もそのまま。旅行者としてきれいなトイレが使えるのは嬉しいが、よく特徴的な部分を保ちながら改修したもの。

JR只見線・会津宮下駅の木造駅舎、左側部分

 駅舎左側も建物が繋がったようになっている。あのホーム側の軒と一体となっていて元々あったが、正面側が3分の1ほど増築され今の姿になったと思われる。増築が必要なほど、賑わっていた時代もあったのだなあ…

JR只見線・会津宮下駅、木造倉庫

 駅前からもあの木造倉庫が拝める。

 側面に掛けられたはしごの陰に「少量危険物取扱所」という赤い看板が掲げられていた。何と!これは倉庫でも、ランプ小屋、または危険品庫、油庫と呼ばれるものだったのか!?

 ランプ小屋とは、照明や燃料のための油を収納した数畳ほどの小屋。電気が普及した現在では、本来の目的で使われる事はほとんど無いのだろうが、古くからの駅で残っているのをたまに見かける。火災につながる危険物という事で、通常はレンガや石など耐火性のあるもので造られ、駅舎から少し距離を取って設置されている事が多い。

 それを思うと会津宮下駅の場合は木造で、駅舎のすぐ近くと変則的。元々、ただの倉庫だったものに、油類を入れているのだろう。今も使われているかは不明だが…

只見線・会津宮下駅、木造倉庫の古い注意書き

「掛員以外立入禁ズ 駅長」
消えかかりながらも残る注意書きが味わい深い。

JR只見線・会津宮下駅舎と周辺の桜の木

 本名駅、会津中川駅…只見線のいくつもの駅で見事な桜の木々を見てきた、この会津宮下駅も、周囲に何本もの立派な桜の木があった。また春に訪れたいものだ。

只見線・会津宮下駅、三島町の名誉町民でもあるテレサ・テンの歌碑

 駅前には三島町ゆかりの歌手、テレサ・テンの歌碑がある。去年2024年11月できたばかりだ。歌碑には特別町民になるきっかけとなった曲「ふるさとはどこですが」の歌詞が日本語と中国語で刻まれ、歌も流れるようになっている。

 日本でも人気があったテレサ・テン。衝撃の急死から今年2025年で30年。もうそんなになるのだ…。でもテレサ・テンと聞くと、印象的な歌声で「時の流れに身をまかせ」など、いくつかの代表曲が、今でも頭の中に流れて来る。

会津宮下駅ですれ違いする只見線のキハE120

 9時15分、会津川口行きと、早朝に小出を出てきた会津若松行きがすれ違った。

 只見線と言えば、国鉄型の気動車が走っているイメージがあったが、只見線からは退きキハE120に主力交代。たまに見たキハ110系でさえもはや古参。

 私が乗る会津若松行きもキハE120だが、1両は昔の名残を留めるように肌色とオレンジ色の国鉄色をまとっていた。

[2025年(令和7年)6月訪問](福島県大沼郡三島町)

レトロ駅舎カテゴリー:
二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎

世界初の3Dプリンター駅舎が話題の初島駅

 和歌山県有田市にある、紀勢本線(きのくに線)の初島駅では、戦後の1948年(昭和23年)築の木造駅舎が現役だが、老朽化のため建替えられる事になった。新駅舎は近年、急速に技術が発展し私たちの生活にも浸透してきた3Dプリンター製になるという。

 3Dプリンターと言えば、容易に色々な物が複製でき、拳銃さえも複製できるらしい。3Dプリンターによる駅舎建設は世界初という。大幅な工期短縮ができるのがメリットで、他で造ったパーツを現地に運んできて組み立てればすぐとの事。

 初島駅に初の3Dプリンター駅舎が設置されるのは実験的で、海までの距離が600mほどのため、塩害の影響も見るにも適地だったという。問題が無ければ、他の駅の建替えにも採用される見込みという。

 駅舎のパーツを作る作業をニュース映像で見たが、表層は特殊なモルタル製で、言うなれば枠か殻のようなもの。機械が規則正しい動きでモルタルを抽出し、どんどん塗るように積み上げてら形作られる感じだ。それはまるでケーキのクリームを塗っているかのよう。こうして作られた枠の中に鉄骨を入れコンクリートを流し込みパーツは完成となる。

 2025年3月25日に現地で行われた建設工事では、23時57分に終電が出た後にクレーンなどを操作し工事が始まり、約6時間後の始発に間に合ったという。


 それから1ヶ月後、紀勢本線の駅巡りの旅をしていた。予定が変わり、帰路のルートを変更し、ついでにいくつかの駅で降りてみようと思った。ふと木造駅舎は健在だろうかと初島駅の事を思い出した。

ファーストコンタクト!3Dプリンター駅舎

JRきのくに線(紀勢本線)初島駅プラットホーム。

 4月終わり、雨の日の午後、初島駅に降り立った。

JR紀勢本線(きのくに線)、もうすぐ3Dプリンター駅舎に建て替えられる初島駅

 木造駅舎はまだ健在だった。一瞬で3Dプリンター駅舎が建ったと言うから、もしかしたらもう利用停止されているかもと思ったが。

 ホーム側の軒を支える柱がピンクと黄色のツートンなのが目を引く。何かお菓子っぽい感じ…

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅、ホーム側にあるトイレ

 軒下には、仮設の小さな小屋のようなものがあった。警備会社のシールが貼り付けられ、最初、自動券売機でもあるのかと思ったが、よく見るとトイレマークが取り付けられていた。

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅、姿を現した3Dプリンターの新駅舎

 そして現駅舎の隣にアイツがいた…

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅、工事中の3Dプリンター駅舎

 跨線橋を上り、駅舎側に渡ってくると、あの3Dプリンター駅舎が建っていた。1ヶ月前に建物自体は組み上がったが、電気設備の工事や、周辺の整地と言った駅として使うための全体的な完成はまだのよう。素人考えでは、意外とのんびりやっているように思えるが、人員の都合とか何か理由があるのだろう。もし集中して工事すれば、もう竣工していたかもしれない。

 それにしても小さい…。簡易駅舎になる事は解っていたが、自動券売機一つ置いたら、もう他のものは置け無いのでは?ベンチさえも。

3Dプリンター駅舎が出現した初島駅、側面のトビウオのレリーフ

 側面には何やら魚のレリーフが刻み込まれていた。太刀魚で、初島駅のある有田市は太刀魚の漁獲量が日本一なのだとか。

JR初島駅、世界初となる工事中の3Dプリンター駅舎、壁の質感。

 一見、コンクリートを白く塗ったような質感に見えるが、表層はモルタルだ。縦に細い線が細かく刻まれている緻密さは、3Dプリンターが成せる技か…?

戦後築の個性的な木造駅舎

 さて、現駅舎を見てみよう。

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅の木造駅舎、ホーム側の木の柱

 あのピンクと黄色の柱は、3本の木を一つに束ね、下部は板で囲まれ装飾されている。ちょっと大柄な駅舎を支えるため、このようにしたのだろう。まさに三本の矢の発想。

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅、一面に絵が描かれた待合室

 駅舎の中に入ると、まるで壁をキャンバスにしたかのようにポップなイラストが描かれていた。雲浮かぶ青空の下、気球が飛び、エッフェル塔などパリの名所が描かれていた。ここは和歌山のパリ?古くくすみがちな駅舎が楽しげなムードだ。

JR紀勢本線(きのくに線)、無人駅となり塞がれた窓口跡

 駅は2018年に無人化された窓口は完全に塞がれていた。自動券売機まわりはカフェをイメージしたイラストが…

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅、戦後の昭和48年築の木造駅舎。

 駅舎の正面に出てみた。有田市の中心駅は箕島駅だが、やや大きめの木造駅舎で、当時の初島駅の規模や地位を感じさせる。

 戦後の1948年(昭和23年)築の木造駅舎は、今年2025年で築77年。色々と改修されているが、戦後築のユニークさは今でも存分に残し目を引く。

JRきのくに線(紀勢本線)初島駅、戦後築らしい木造駅舎

 建物より少し窪む形で造られた車寄せ、大きめの駅舎を支え得る三本一束の木の柱、出入口上部のダイヤのチェック状の通風窓…。木造駅舎には戦前戦中の駅舎には無いユニークさ溢れ、新しい時代の機運が今でも漂ってくるかのよう。

JR紀勢本線(きのくに線)初島駅の木造駅舎、ユニークな3連の窓

 窓は大きなものではなく、小さな小窓が縦に三連並んだ独特な造り。そのぜいか待合室がちょっと暗く感じる。だけど、なぜこんな形にしたのだろう?

JRきのくに線(紀勢本線)初島駅の木造駅舎、ユニークな3連の木枠の窓

 縦三連の小窓はホーム側も同じだ。窓枠が木枠なのがいい。

 よく見ると、窓を縦に90度ばかり回転させて開閉できるようになっている。

JR初島駅、戦後築の木造駅舎。正面の謎の壁。

 そして車寄せの左横には、謎の大きな壁が…。なぜ、この部分をこうやって仕切る必要があったのだろう?不思議な造りだ。

 3連の小窓など諸々、デザイン性を感じさせる。洗練されてはいないが、ユニークさが楽しい。きっと設計した人が人々に愛される駅舎をと、色々考えてこんなにユニーク木造駅舎が出来上がったのだろう。

世界初の3Dプリンター駅舎となる初島駅の新駅舎。まだ工事中。

 木造駅舎の右横に、あの3Dプリンター駅舎が出現している。現駅舎を堪能した後だと、余計に小さく見えてしまう。

きのくに線、3Dプリンターの新駅舎、有田市名産のみかんのレリーフ

 正面の象徴的なレリーフ、動輪かと思ったが、有田市の名産品のみかんの断面を模ったものとの事。

 みかんは形が左右均等ではなく、特に中心部がズレて不均等になっている。あえてそうしたのか…?それとも3Dプリンターがちょっとミスってしまったのか…?

JR初島駅、取り壊しとなる木造駅舎と工事中の3Dプリンター新駅舎。

 訪れから1ヶ月半。今頃、新駅舎とその周辺はもっと駅らしい姿になっている事だろう。

 新駅舎は7月より供用開始の予定。この新旧の駅舎が並び建つ風景もあと僅かだ。

[2025年(令和6年)4月訪問](和歌山県有田市)

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二つ星 JR・旧国鉄の二つ星レトロ駅舎

.last-updated on 2025/06/18