幸せの黄色いハンカチがはためく駅
JR九州・日田彦山線の大行司駅で降りると、ホームに沿ってズラリと黄色い布が万国旗のように巡らされている様に驚かされた。鄙びたローカル駅が明るい色で華やぐものだ。
この黄色い布が掲げられている光景を見て、多くの人が映画「幸福の黄色いハンカチ」を思い出すものだろうが、まさに幸福の黄色いハンカチをイメージして飾り付けたものだ。作品の舞台は北海道だが、主演の高倉健の父親が宝珠山村の鉱山で働いていて、高倉健も幼少の頃この駅を利用していた事にちなみ、このような飾りが施されているという。
プラットホームは山沿いの斜面にあり、街を一望のもとにする事ができる。山の間に小学校や民家などが寄り集まるようにしていて、こじんまりとした雰囲気だ。
駅舎もホームからは見下ろす位置にあり、77段もの階段で結ばれている。下りはともかく、ホームに上る時は少々大変そうだ。黄色い旗がホーム沿いからさらに〝下界〟にも連なっている。山沿いに黄色い布が連なってる様は、集落からでも駅の位置を容易に確認できる程、よく目立っていた。
階段を下りると、右横に坂があるのが見えた。ホーム上ではまわり道として、もう一つ出口が紹介されていたが、それがこちらなのだろう。坂の入口に門のように藤棚があった。11月の今、錆びたポールに枯れた葉が絡み付き荒れた雰囲気だが、5月になるときれいに花を咲かせて乗降客の目を楽しませてくれるのだろう。
古い木造駅舎と駅前の建物
駅舎ホーム側は、木の造りや改札口など比較的、昔の雰囲気を留めているが、無人駅となり窓は板で塞がれていた。そして人の気配が無い様はもの寂しい。
待合室も木の天井、木の窓枠、造り付けの長いベンチなど、昔の木造駅舎さながらの造りを保っている。無人駅となりやや寂れた雰囲気はするが、改装されペンキもしっかり塗られるなど、一応は手入れがされていてる様子が嬉しい。
無人駅となり久しいが、窓口跡は現役時の姿をとてもよく留めていた。しかし手小荷物窓口跡のカウンターの前には、ベンチが立ちはだかっていて、もう利用されていないことを物語っていた
大行司駅の駅舎は押縁下見の素朴な造りの木造駅舎だが、やや奥行きがあり気持ち大きな感じがする。駅開業の昭和21年(1946年)築で、当時は終着駅だった。
2005年3月28日に大行司駅があった宝珠山村は小石原村と合併し東峰村となった。合併前は村の中心駅で、近くには村役場もあったという。そのため村の中心駅として、やや大きめの駅舎が建築されたのだろう。
窓まわり以下がクリーム色のような白、それより上が木の色を露出させる特徴ある塗り分けで、同じ日田彦山線で、久大本線との接続駅の夜明駅旧駅舎も、同じような塗装だった。
駅舎周辺を取り囲むように植栽が配され、緑豊かに駅が飾られている様が優雅で、木造駅舎をより印象的にしている。この風情をモチーフに、駅舎の模型を造って盆栽を作るとさぞ面白いだろう。
植栽の影には、縦向きの細い木「押縁」で横張りの板を押さえつけた押縁下見の造りが隠れている。白く塗られているものの、木の質感がペンキ越しによく伝わり、長い歴史を感じさせる。窓枠は木製のままだ。
駅の前は国道211号線が通っている。旧村役場が近くで旧宝珠山村の中心地と言えるが、片側一車線の道でこじんまりとした感じだ。
駅から出て左手方向に古い木造の建物が三棟建っているのが見えた。家屋や商店が並ぶ風景の中、一目で一層古いとわかる建物はかなり異彩を放ってる。手前の洋風の造りの建物が元村役場だ。一つ家屋を挟んで、倉庫を併設した建物も古さを漂わし気になる。色褪せている看板から推察するに、元農協の建物だろう。
そして三つ目の純木造家屋も強く目を引いた。古色蒼然とした2階建ての大仰な建物の屋根の上には、小さなマンサード屋根を戴きハイカラさを漂わす。しかし空き家となり、ろくな修復もされていないだろう建物は廃れゆく一方で、自慢のマンサード屋根は崩れかかっている。
通りかかった地元の人に聞いたら、元郵便局との事。ガラス窓の割れ目から中を覗くと、木のカウンターがある受付窓口がそのままの姿を留めていた。
大行司駅に戻り旧駅事務室を覗いてみると、物が雑然と置かれていた。無人駅となり倉庫同然に使われているようだが荒れた印象だ…。
秋も終わりが近づくと日は短くなり、午後5時を前に待合室はもう薄暗くなっていた。木のカウンターを残したくすんだ出札口跡で、楽しげなポーズを取るサンタクロースの人形が不思議な色彩を放っていた。
夜がすぐそこまで迫り来ようとする中、日田行きの下り列車に乗った。そして、多くの幸せの黄色いハンカチに見送られながら大行司駅を後にした。
2010年に入り、同じ日田彦山線の夜明駅、大鶴駅の木造駅舎が相次いで取り壊されたという。何かいい駅舎がどんどん取り壊されていく気がし、「ああまたか」と無常感に包まれ、大行司駅の駅舎も危ないのではと思った。
しかし、大行司駅は私の訪問後にペンキを新たに塗りなおすなど改修が施されたという。これならとりあえずは大丈夫だろう。またいつの日にか、大行司駅を訪れた時も、古い駅舎と幸福の黄色いハンカチに出迎えられたいものだ。
[2008年(平成20年) 11月訪問](福岡県朝倉郡東峰村宝珠山)
追記: 九州北部豪雨で駅舎倒壊、そして復元
駅舎は改修され、旧駅事務室内部には飲食店「駅喫茶 匙加減」が入居した。また、2015年辺りに訪問された方の記事によると、黄色い旗は現在では掲げられていないようだ。
2017年(平成28年)7月上旬に九州北部を襲った豪雨の影響で、路盤が土砂崩れをおこし、大行司駅のこの木造駅舎は押し潰されてしまった。7月5日の夜9時頃に発生したとの事で、駅利用者はいなく、匙加減は営業時間外で、犠牲者がいなかったのが不幸中の幸い。しかし1946年(昭和21年)築という、この名駅舎をこんな形で失おうとは…。落胆はとてつもなく大きい。
添田駅‐夜明駅間は災害による不通、代行バスによる運行が続き、復旧の見込みはたっていない。JR九州は同社有数の閑散区間である事から、鉄道による復旧に難色を示している。代替交通機関や復旧した場合の費用負担の割合と言った経営上の問題など課題は多く、バス・ラピッド・トランジット (BRT)による復旧が提案された。
そんな中、2019年(令和元年)12月、大行司駅の駅舎が再建された。村のシンボルだった駅への住民の愛着は並々ならぬものがあり、日田彦山線の復旧を願う気持ちで村の玄関たる駅を先行して再建を決めたという。資料を元に被災前の姿をできる限り再現したという。
しかし、そんな願いも虚しく、2020年5月、鉄道による復旧を強く主張していた東峰村がBRTによる復旧を容認した。これで不通区間は廃線に大きく傾いた。
2020年6月、代行バスで大行司駅、宝珠山駅など日田彦山線の不通区間の駅を巡る旅をした。その時の旅行記は以下へどうぞ。
廃線が濃厚になった日田彦山線不通区間の駅を代行バスで巡る
~ レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の保存・残存・復元駅舎 ~
駅舎が復元された大行司駅+筑前岩屋駅、宝珠山駅…