石炭輸送の残影… 道央の保存駅舎を巡る旅~ダイジェスト版~



函館本線から分岐していた廃線に残る旧駅舎を巡る

 青春18きっぷ並の価格で特急に乗る事ができ、指定席も4回取れる「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」。旅の主な目的の一つは、道央地区の函館本線から分岐していた廃線に残る保存駅舎を巡る事。

 昔の函館本線からは、短い支線がいくつも分岐していた。万字線、幌内線、歌志内線、上砂川支線etc… それらは沿線で採掘した石炭を運び出すために敷かれた鉄路だった。石炭輸送で賑わうだけでなく、沿線には人々が住み街は繁栄したという。

 しかし1960年代に起こったエネルギー革命により、石炭から石油へと燃料が移り変わると、炭鉱は次々と閉山になり、沿線から人々は去り衰退していった。そして石炭輸送のために敷かれた支線群はすべて廃線となってしまった。

 石炭の時代はもうはるか半世紀以上と遠くなった令和の時代でも、廃線となった支線のいくつかの駅舎は残っているという。そんな駅舎を訪ねようと思った。

国鉄万字線

1914年(大正3年)11月12日開業。1985年(昭和60年)4月1日廃止。

朝日駅

国鉄万字線・朝日駅、廃線後も保存される木造駅舎

 北海道中央バス、旧朝日駅前とそのままの名前のバス停で降りると、すぐに駅舎が見えた。素朴な外観の木造駅舎。

国鉄万字線・朝日駅舎、内部の窓口跡

 施錠されていて残念ながら中には入れなかった。しかし窓口跡、駅事務室は昔の造りを良く残しているのが伺えた。待合室はきれいでソファーが置かれていた。地元住民の集会場として利用されているのだろうか…

 プラットホームなどかつての駅構内は公園として整備され、蒸気機関車B20形1号機が静態保存されていた。

上志文駅

国鉄万字線・上志文駅、廃線後も残る木造駅舎

 そしてバスで岩見沢駅方面に折り返し、上志文中央停留所で下車。少し探すと上志文駅の旧駅舎を発見。万字線の起点・志文駅から一駅の駅だった。大きさは先ほどの朝日駅の半分ほどと小ぶりだ。保存の意図があって残っている訳ではないようだが、廃線30年が過ぎても生き長らえている駅舎。内部は駅事務室が取り払われがらんとした中、木製のベンチや竹が積まれていた。工作台らしきものあり、作業場…もしくは倉庫として利用されているよう。

万字線・朝日駅、古レールが軒を支える駅舎ホーム側

 駅舎ホーム側は整地されホームや鉄路の痕跡は失われてしまった。

 目の前に岩見沢萩の山市民スキー場が広がっている。これなら駅名を「スキー場前」いや「ゲレンデ前」としても良かったんじゃないだろうか。万字線が健在だった頃、僅かながら列車でスキーに来た人もいたのだろうか…

幌内線

 旅の二日目はまず幌内線の駅舎へ。

 幌内線の起源は官営幌内鉄道により手宮‐札幌―幌内間に開設された北海道最初の鉄道で、幌内線にあたる区間は1882年(明治15年)に開業。

 しかし国鉄の赤字ローカル線として、JR発足の僅か数か月後の1987年(昭和62年)7月13日に廃線となった。

萱野駅

JR北海道幌内線・萱野駅、廃線後はライダーハウスになった木造駅舎

 岩見沢駅から2つ目の駅だった萱野駅。岩見沢市街にほど近いが、三笠市内西端に位置する。廃線時は新建材等で改修された姿だったが、廃線後、木造駅舎らしいレトロな姿に改修され、現在ではライダーハウス(バイク乗りのための簡易宿泊施設)として活用されている。私の訪問時には1名の宿泊者がいた。

幌内線・萱野駅駅舎、長い歴史感じさせる軒の柱

 復原同然に改修されきれいになったとは言え、軒を支える柱は風雨に晒され木目浮き、継ぎ足し補修しながら利用されているものも。古い歴史感じさせた。

唐松駅

JR北海道幌内線・唐松駅、廃線後も保存された木造駅舎

 そしてファサードのマンサード屋根が堂々とした唐松駅。駅舎は開業の1924年(昭和4年)以来のものだが、乗客の増加で待合室が手狭になり、右手のマンサード状に作り変え増築したという。

唐松駅、往時のまま残る窓口跡には幌内線の写真が多数

 素晴らしいのが待合室が開放されている事。内部は窓口跡も含め現役時の面影がよく残る。待合室じゅうに列車や風景、駅員さんやその家族など、昔の幌内線の写真が大量に掲示されていた。こんな華やかな時代があったんだなあとしばし見入った。

幌内線・旧唐松駅舎、ホーム側の風景

 石積みのホームの上に佇む様は、廃線となってもなお堂々たる風格に満ち溢れる。

美唄鉄道唯一の生き残り駅舎、東明駅

 美唄鉄道は1914年(大正3年)開業、1972年(昭和47年)廃止。1950年(昭和25年)より廃線時までは三菱鉱業の所有になり、三菱鉱業美唄鉄道線となった。

 美唄駅から美唄市民バスに乗り東明駅跡へ。

 廃線から40年以上も過ぎてるが、当時の木造駅舎が地元住民の方々の「東明駅保存会」の手によりきれいに維持されている。大柄のごっつい感じで旧国鉄の木造駅舎とは一風違った風情だ。

 窓部分は白い板で完全にふさがれ、内部をうかがい知る事はできない。だけどたまに公開されているという。

 石炭輸送で賑わった頃を偲ばせる広い駅構内。片隅には美唄鉄道で活躍した4110形2号蒸気機関車が静態保存されている。

 この辺りの廃線跡はサイクリングロードに転用されたが、危険個所が発生したため再び廃止の憂き目に。

函館本線旧線跡の神居古潭駅

 この駅は石炭がらみではないが、道央の保存駅舎という事で…

 宗谷本線の秘境駅など道北を巡った後、再び函館本線に戻り、伊納駅‐納内駅の旧線跡に残る神居古潭駅跡へ。

 最寄りのバス停、神居古潭で下車した。車がせわしく行き交う中、人の気配が無い山間の国道にバス停のポールがぽつんと置かれているだけだった。近くのドライブインらしき家屋はもう廃墟だ。こんな所に本当に駅があったのかと思いつつ地図を見て歩くと、荒々しい川岸のつり橋の向こうが駅跡らしい。今風に言うなら完全に秘境駅の趣きだ。

国鉄函館本線旧線、神居古潭駅跡に復原された木造駅舎

 つり橋を渡り、坂を上ると神居古潭駅の木造駅舎があった。1997年、自転車で北海道を旅した時に訪れていて2回目の訪問だ。

 この駅舎は1989年(平成元年)に復元されたもの。復元のモデルとなった旧駅舎は1910年(明治40年)に建てられたたもので、西洋の意匠が取り入れられているのが特徴的だ。駅舎を軒が取り囲む様が回廊のようで、洋風の装飾が施された柱一本一本に支えられているのが優雅で端正な印象だ。

国鉄函館本線旧線、神居古潭駅跡に残る往時からの木造建築物

 駅舎は復元だが、隣に建つ古めかしい木造の小屋はどうやら現役時から使われているもののよう。建物財産標は剥がされ何だったのかはわからない。倉庫だったのだろうか…

国鉄函館本線旧線跡、神居古潭駅プラットホーム

 2面2線のプラットホームはほぼ当時のまま。しかし川側のコンクリートホームはガタガタになっている。レールこそ剥がされているが、カーブを描きながら伸びる様はいまだに駅の貫禄を漂わせていた。

まだある残存駅舎

 ダイジェスト版と簡単な形ではあるが訪問した駅を紹介した。

 今回は訪れなかったが、この地区には他に上砂川支線の上砂川駅跡、そして、少しそれて根室本線の芦別駅から分岐していた三井芦別鉄道の三井芦別駅跡にも当時の駅舎が残っている。いずれ訪れたいものだ。


 上であげた駅の中から、いくつかは詳細版の訪問記を作成しようと思う。