プラットホーム片隅の廃れた庭園
映画「男はつらいよの」第44作「寅次郎の告白」のロケ地になった事でも知られる、若桜鉄道・若桜線の安部駅で下車してみた。
プラットホームの片隅、太く高い木がどっしりと根付いている近くに、庭園の遺構があり、その中に枯れ池がひっそりと残っているのを発見した。池の中には小さな島が作られ、枯れた木が触手のように不気味に伸び出ている。
庭園には燈篭が添えられ、かつてはささやかながら日本庭園風だった事がうかがえる。コンクリート製灯篭の三日月形の窓が面白い。
安部駅の枯池はホームの駅舎や待合所の近い所にあり、割と目立つ存在だ。この庭がまだ奇麗だった頃は、車内からでもその存在に気づいた乗客は何人もいた事だろう。
家に帰って画像を拡大してよく見てみると、燈篭の脚に何か文字が掘り込まれているのに気付いた。不鮮明だがおぼろげに「昭和○九・・・」と書いてあるのがなんとか読める程度だった。居る時は気づかなかったので燈篭をクローズアップした写真を撮影していなかったのが痛恨の極み。観察が足りなかった。たぶんこの燈篭は何かの記念碑的なもので、池庭ができたルーツを伝える内容が刻み込まれていたのかもしれない…。今度、若桜鉄道を訪れた時の宿題ができた。
[2009年(平成21年) 4月訪問]
再訪… あの灯篭の文字と駅名の謎
2015年の夏、隼駅まつりで賑わう隼駅など、いくつかの若桜鉄道の駅に立ち寄った後、安部駅にも6年振りに訪れてみた。登録有形文化財となった木造駅舎は素晴らしいが、目下、この駅の最大の関心事といえば、やはり「昭和…」の文字が刻まれたあの灯篭だ。
灯篭の横にあった木が伐採されているのに気付いた。そのせいか、池庭跡はひどくすっきりした風景に見えた。
その文字は灯篭の脚に刻まれている。コンクリートが固まる前に、なぞるように文字入れしたのだろうが、しっかりとした明朝体風でなかなか上手く書けている。
縦書きで、おそらく「昭和○九年 上日下部」と刻まれている。○の部分だけは不明確で判別不能だ。しかし、言うなれば、カタカナの「サ」の真ん中が途切れているように見えるが…。いや、草冠だろうか…?小さく書かれた漢字の十がふたつ横に並んでいるようにも見えなくもない。もしかしたら十を二つ並べ「二十」を表わそうとしたのだろうか…?
ひょとしたら「二十」と書こうとしたが、書き損じスペースが少なくなりああなってしまたのかもしれない。しかし、大して気にも留められなかったような気がする。きっと駅員さんや地域の住人も「アハハハ~」と笑って済ませてしまうようなおおらかさがあり、後々まで話の種になって場を和ませていたのだろう。
「上日下部」の文字は、安部駅の所在地である日下部から来ていて、その中の上日下部という地域を指すのだろう。その事から察するに、おそらくこの池庭は上日下部地区の住人が寄贈するか、造園するなりして関わったのだろう。
駅の所在地は日下部だが、駅の近辺には駅名となった「安部」という地名すらない。なのに何故「安部」という駅名になったかと言うと、駅設置にあたり、実際に駅が設置された日下部地区と、八東川対岸にある安井宿と駅名の争奪戦になり、双方から1文字ずつ取る事により、この駅名で妥協したという。
[2015年(平成27年) 8月訪問] (鳥取県八頭郡八東町)
安部駅訪問ノート(駅舎etc…)
無人駅だが、昭和7年(1932年)築の古い木造駅舎が現役の安部駅。理髪店が入居し、その部分だけが真新しく、昔のままの部分との造りとはちぐはぐなのが残念な気も…。しかし、それでも木造部分は古い木の質感露わで、年月を経た深い味わいを感じる駅舎だ。2008年(平成20年)、駅舎とプラットホームが国の登録有形文化財となった。
待合室には「男はつらいよ」の安部駅でのロケの様子を写した写真が展示されている。
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の一つ星駅舎~