20年前、車内から見た駅は今…

 ある日、まだ廃線となる前の深名線の写真を懐かしく見ていた。すると夜の鷹泊駅の写真があった。1990年代前半の冬、深川行きの列車に乗っていて、鷹泊駅に停車した時、車窓の外にたまたま駅舎が入ったのでシャッターを切ったのだろう。

 その頃は木造駅舎に興味は無かったが、当時、深い興味を持っていたら絶対に下車していただろう。お客さんをひたすら待つように、灯りをともし夜の沈黙の中で浮かび上がる姿を見つめながら、ひたすら惜しく思った。

1990年代前半の深名線、車内から見た鷹泊駅舎
JR深名線・鷹泊駅、駅舎改札口付近、廃線後

 あの一枚を撮影してから20年過ぎた頃、鷹泊駅の跡地に立っていた。1995年(平成7年)、深名線が廃止されてから18年、あの時、灯りをもらしていた窓は塞がれ、廃れた姿を晒しながらも、いまだに残っていた。よく残っていたものだ。

廃線から時が過ぎ、朽ちてもなおも佇む木造駅舎

JR北海道・深名線・鷹泊駅、廃線後も健在な木造駅舎

 駅舎の正面に回ってみた。駅名版はとうに無く、ホーム側同様に窓のほどんどは塞がれていてる。壁面の木材は古び、正面下部の板張りはベニヤ板に張り換えられていたりと老朽化は進んでいた。しかし、昔のままの姿をよく保っていて、駅らしい雰囲気はまだ良く留めていた。

JR深名線・鷹泊駅の木造駅舎、廃線後、待合室は倉庫に…

 出入り口の窓からガラス越しに内部を覗いてみた。待合室や駅事務室だった所には、何かの袋に入った建材らしきものや肥料やらが山積みにされていた。廃線後、駅舎はどうやら倉庫として利用されているようだ…。ゴミ捨て場みたいにごちゃごちゃに物が置かれた様子は、歴史ある駅舎の扱いとしては哀れに思うが、廃線後、一応、用途を与えられたからこそ、ここまで生きながらえてきたのも事実だろう。

 よく見ると、積み上げられた物の間から、窓口の造りが良く残っている事に気づいた。暗くてよく見えないが、待合室も往時の姿をよく保っているようだ。

JR深名線廃線後の鷹泊駅の木造駅舎ホーム側

 ホーム側にまわって駅を眺めてみた。駅舎はホーム側の上屋が崩れかかっているが、かろうじて駅らしい姿を留めていた。あの時の水色の塗装もそのままだ。

JR深名線・鷹泊駅周辺の風景

 プラットホームの跡は残ってたが、どこからどこまでが駅の跡はよく分からない。年月の流れで周辺の土地に取り込まれてしまったのだろうか。

 2013年は寒い日が続き、5月になっても北海道では畑や原野には雪が残っている場所も多かった。鷹泊駅の道床跡や周辺に広がる畑は、雪を被った湿原のようにぬかるんでいた。少し遠くに学校が見えた、そしてその後ろの小高い丘の上にはお寺のような建物があった。

 周辺の畑には何が植えらているのだろう?お米だろうか、それとも蕎麦だろうか。深名線廃止が迫った1995年の夏、車窓から見た一面真っ白の蕎麦畑がきれいだったなあ…。

JR深名線・鷹泊駅の旧駅舎、ホーム側の上屋は崩落寸前

 駅舎は「崩れかかっている」というレベルではなく、上屋は今にも崩落しそうな程ボロボロで、年月は確実に古き駅舎を蝕んでいる事を痛感した。放っておけば数年の内に崩れ落ちるだろう。何とかならないものだろうか。

鷹泊駅に残る深名線の遺構、何か木造の小屋

 駅舎から少し離れて、小さな木造の小屋が建っているのが見えた。鷹泊駅跡に残るもう一つの深名線の遺構なのだろう。こちらは駅舎以上にボロボロで、廃墟の様相を呈している。

 詰所だろうか、倉庫だろうか…? 何だろうと思ってカメラを隙間に押し込んでシャッターを切った。

JR深名線・鷹泊駅、廃線後も残るトイレ

 カメラのモニターで確認すると…、右側に扉のある小室があるのが目に付いた。どうやらトイレのようだ…。左横下部のコンクリート壁のあたりは、溝があるだけの小用便器だろう。

 だけど、この建物の外観は荒れているが、内部はそれほど荒れてもいないようで、廃線から18年経っても茶色く塗られたペンキはいまだ色艶を保っているのが不思議だ。壁で雨風に直接晒されなかったからかもしれないが、もしかしたら近くの農家の人が誰かが、廃線後も修復して使っていたのかもしれない。

JR深名線・鷹泊駅、駅前の農業倉庫

 駅前には石造りの農業倉庫も健在で、駅の最盛期を偲ばせる。かつては盛んに農産物が鉄道で出荷されていった事だろう。

JR深名線・鷹泊駅跡、駅の面影が残る駅前

 名残惜しいが、そろそろ鷹泊駅を去らなければいけない時が来た。駅から伸びる道道693号線は鷹泊鷹泊停車場線という名称で、深名線が廃止された今でも鉄道の名残を留めている。

 周囲は畑は広がる中、建物が道沿いにポツリポツリと建つ静かな集落だ。

廃線となったJR深名線の代替バス、JR北海道バスの鷹泊待合所

 国道275号線に出て少し歩くと、深名線代替バスの待合所があった。程なくすると、深川行きのバスがやってきた。観光バスのような車両で、ローカル路線バスにしては豪華だ。しかし乗っていた乗客はわずか数人だ。

 今回の旅で訪れたのはこの鷹泊駅だけだが、2013年当時、深名線には他にも添牛内駅、沼牛駅、政和駅にも木造駅舎が残存しているという。政和駅は一時期、飲食店として使われていたようだ。これほどまでに残っているのは、跡地利用のあてもなく、そのままにしておいても差支えがなかったからだろう。だけど運良く生き長らえた深名線の忘れ形見だ。何とか保存できないものだろうかと思いながらバスに揺られた。

[2013年(平成25年) 5月訪問](北海道深川市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の保存・残存・復元駅舎

鷹泊駅・基本情報+

鉄道会社・路線名
JR北海道・深名線
駅所在地
深川市多度志町字鷹泊
駅開業年
1926年 (大正15年)11月10日(鉄道省・雨龍線、多度志‐鷹泊間開通により開業。)
駅舎竣工年
??
駅営業形態 (廃線時)
無人駅。
その他
廃線後のアクセスは代替バス・ジェイアール北海道バス・深名線、鷹泊停留所から徒歩2分ほど。(時刻表はリンク先の「深川方面時刻」へ。)
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秘境駅集団!?白滝シリーズの頂点に立つ駅!?

 北海道のJR石北本線、下白滝駅‐上川駅間の約50kmの区間内には、下白滝駅旧白滝駅、白滝駅、上白滝駅、奥白滝駅と、白滝と名の付く駅が連続し、いつしか「白滝シリーズ」と称されるようになった。奥白滝駅こそ2001年に旅客廃止、信号所に格下げになってしまったが、それでも4駅白滝と連続する様は異様で、白滝シリーズの面目は十二分に保っている感はある。

 しかし、これらの駅で、白滝駅以外は、停車する列車はとても少ない。そして、沿線では過疎化が進み人口が減少していて、秘境駅と言えるような駅ばかりだ。白滝駅こそ、白滝村が遠軽町と合併する2005年までは村の中心駅で、平成元年(1989年)に改築された立派な駅舎があり、駅前にそこそこの街並みが形成され、一部の特急列車が停車する。しかし無人駅化されているので、状況は推して知るべしと言った所だろう。

 その中でも、上白滝駅は列車本数が朝の遠軽行きが1本、夕方の旭川行きが1本…、つまりは上下各1本、1日1往復と言う究極の少なさで、白滝シリーズの駅の中でも突出した存在感を放っている。

 なので、列車での到達は困難を極める。しかし、上白滝駅の西隣の白滝駅との駅間は3.3kmと歩けなくも無い距離で、駅間徒歩で比較的楽に到達できそうだ。東隣の上川駅からだと約34kmもの距離があり、峠越えという厳しい道なので、徒歩での訪問は不可能だ。なので今回の上白滝駅訪問は、白滝駅から徒歩で目指す事にした。国道333号線がほぼ石北本線に沿っているので、道は間違え様が無いだろう。しかし、5月とは言え、道東ではついこの前まで雪が降り続いて、積雪状況が気になっていた…。

白滝駅から歩いて上白滝駅へ

 下白滝駅を訪ねた後、列車で白滝駅に到着した。少し写真を撮影すると、上白滝駅に向けて歩き出した。

石北本線で駅間徒歩、白滝駅から上白滝駅へ…

 白滝駅前から十数分歩くと、もう人家や建物はまばらとなり、山林を切り開いた国道333号線をひたすら歩き続けた。時々、ダンプカーやトラックが飛ばしてゆくが、交通量はさほどでもない。意外だが、時折左手に見える旭川紋別自動車道の影響も大きいのだろう。専用の自動車道だが、現状、ほぼ全区間が無料なため、短距離の移動でもそちらに流れやすいのだろう。

 交通量の少なさに加え、歩道がしっかりと設けられているのも安心だ。駅間徒歩をしていると、道路脇に申し訳程度に白線を引いただけの狭い歩道も珍しくない。そんな所では、私の真横を飛ばす車に常に神経を使わなければいけない。そう思うと、天と地の差ほどの安心感がある。

 心配していた積雪もほとんど無かった。しかし、まわりの山々はまだ雪を被り、そして空気はほのかにひんやりしている。やはりこの地に春の便りが届くのは、まだ先になりそうだ。

遠軽町、上白滝駅前の集落付近

 途中で白滝温泉のホテル、合気道ゆかりの地記念碑などを見ながら歩き続けた。そして、遠く先の方に建物が点在する地帯が見えてきた。やっと人里だ。あの辺りが上白滝駅前の集落なのだろうか…?

 そんな風景の中、私の数百メートル先を歩く人の姿が目に入った。あれ…、こんな所を。地元の人?もしかしたら同じ駅巡りの人?!しかし、途中で見つけた上白滝神社を見ている間に、その人の姿は消えていた。

1日1往復しか列車が来ない秘境駅の木造駅舎を堪能

 そして、その集落の中に差し掛かった。人家の他、牛舎らしきもの、小さな商店など10軒ばかりの建物がゆったりとした間隔で点在している。山間の長閑な田舎風景だ。

JR北海道・石北本線・上白滝駅と周囲の風景

 集落の中の国道から右手の少し奥まった所に、上白滝駅の駅舎が見えた。

JR北海道石北本線・上白滝駅、昭和の木造駅舎
石北本線・上白滝駅の木造駅舎、古びた木の質感が印象的

 白滝駅から1時間弱の徒歩の後、ようやく上白滝駅に辿り着いた。サッシ窓に替えられていたりなど、改修箇所が目に付くが、それでも使い込まれ渋い色を帯びた外壁が古い木造駅舎らしい雰囲気に溢れる。1時間歩いて来る価値があるだけの駅舎だ。駅開業の昭和7年(1932年)築という歴史を十二分に感じさせる。

 白滝シリーズでは、下白滝駅にも古い木造駅舎が残っている。内部の待合室は昔のままの造りを留め興味深かったが、外壁の補修箇所が目立つなど、外観は満身創痍と言った雰囲気で、やや痛々しげな印象だった。

石北本線・上白滝駅の木造駅舎、車寄せの笠付き裸電球

 駅の出入口の上には柱の無い小さな車寄せが付いている。車寄せも外観同様使い古した木のままで、丸い笠付きの裸電球が付いている。レトロ感漂うこんな小さな屋根でも、まるで木造駅舎というタイムマシンに誘われているかのような不思議な気分にさせられる。

JR石北本線・上白滝駅の木造駅舎、待合室

 中に入ると、まず頭上を横切るストーブの煙突が目に入った。無人駅となり、もう何十年も使われないままなのだろう。すっかり錆びきっている。内部は窓口跡など、改修の跡があるものの、比較的、昔の雰囲気を留めているように思える。そして思ったよりきれいだ。1日1往復の列車しか来ないとは言え、掃除など手入れもされているようで、荒んだ雰囲気はしなかった。

JR石北本線・上白滝駅、手小荷物窓口跡の台

 出札口跡、手小荷物窓口跡は無人駅となり改修され塞がれてしまった。しかし、後者の受付台はペンキが厚く塗られてはいるが、木造のままでよく原型を留めている。台の上には漫画や小説など十数冊の書籍が置かれ「上白滝駅文庫」の風情だ。これだけあれば、帰りの列車を待ちつつ、この駅で1日過ごせそうだと思った(笑)

石北本線の秘境駅、上白滝駅の時刻表

 そして手小荷物窓口跡の壁には、上白滝駅の列車発車時刻表が掲示されていた。下りが7時4分に来て、次の列車が上りの17時8分、上り下りとも1日1本。空白ばかりが目立ち、10時間と14時間の間隔はとてつもなく長い…。

JR石北本線・上白滝駅、待合室に置かれた古い木のベンチ

 出札口跡の前には古めかしい木製のベンチが置かれていた。ずっとこの駅で使われ続けたものだろうか?全体的に黒ずみ腐っているのではないかと思わせる風体だ。ちょっと座っただけで、私の重みで崩れてきそうで、遂に座る事は出来なかった。手で押した限り、頑丈で大丈夫そうだったが…。

JR石北本線・上白滝駅の木造駅舎、ホーム側

 上白滝駅駅舎をプラットホーム側から眺めた。元々、二面二線の相対式ホームだったというが、現在は片方撤去され、一面一線の棒線駅だ。ホームは砂利敷きでローカル線の秘境駅らしい野趣溢れる雰囲気だ。

JR石北本線、キハ54の特別快速きたみ号が上白滝駅を通過

 そして下りの特別快速きたみが通過していった。上白滝‐上川間では、各駅停車の下各1本を除けば、優等列車ではないという意味で、この区間を走る唯一の列車だ。

JR北海道・石北本線の秘境駅、上白滝駅前の風景

 上白滝の駅前からは、意外な程、人の気配がした。何かの工場が隣接していて、作業の気配が伝わってきた。ある家屋の煙突からはもくもくと煙が立ち昇っていた。

 そして国道沿いの商店はなんと現役だ!上白滝駅のような秘境駅に限らず、ローカル線の駅前商店は店じまいしている所も多く、その痕跡だけが残り侘しさを募らせる事も多い。ここも過疎が進んでいる事に変わはりないのだろう。しかしいつまでも、このこじんまりとした田舎の駅の原風景を留めていて欲しいものだ。

JR石北本線・上白滝駅、古い木造トイレ

 そして、1日1往復の秘境駅でありながら、別棟のトイレが現役だったのも驚きだった。駅舎同様、中も外も骨董品級の古めかしい造りだった。当然、汲み取りだ。しかし、意外なことに奇麗に掃除され、不快という程でもなかった。

JR北海道・石北本線・上白滝駅、木造駅舎を支えるジャッキ

 駅舎ホーム側の軒を見ると、鉄パイプ状のジャッキで支えられているのに気付いた。築80年となり、人に打ち捨てられたも同然の今、だいぶガタが来ているのだろうか…?

唯一の?地元乗降客との出会い、例え一日2本の列車でも…

JR北海道・石北本線・上白滝駅唯一の上り列車が入線

 太陽が沈み寒さが見に染み始めた頃、上川行きの列車が入線してきた。この1日1本の列車に乗車したのは私だけで、そして下車した人も居なかった。

 二十年程前、既に今のようなダイヤになっていたある日、偶然にも上白滝駅の地元利用者の方と乗り合わせた事がある。


~ある年の夏、上りの上川方面行きに乗った。少ない乗客は鉄道ファンばかりだった。そんな中、1人だけ旅人の雰囲気とは違った初老の男性が乗っていた。その方が上白滝駅でひとり下車したのを見て、こんな駅でも利用者がいるのだと驚いたものだった。

 翌朝、上川駅から下りの始発普通列車に乗った。乗客は私だけだった。そして上白滝駅に停車すると、あの男性がまた乗ってきたのだった。その光景を見て、昨日の事を思い返した。きっと、この列車で出掛け、夕方の列車で帰ってくるのだろう。たった一往復になっても、この方にとっては停車する列車と…、そして上白滝駅はかけがえの無い大切なものなのだと深く心に刻まれたものだった。

 私も昨日の今日だったが、おじいさんにとってもそうだったのだろう。私の事を覚えていて、「あなた、昨日も乗ってたでしょ?」と声を掛けられ、不思議と嬉しさを感じだ。そして、二、三、言葉を交わした。何を話したか今となってはほとんど覚えていない。だけど、遠軽に出かけると言っていた事はよく覚えている。~


 夕刻、上白滝駅から離れゆく列車の中で、昔のそんな事を思い出していた。

[2013年(平成25年) 5月訪問](北海道遠軽町)

追記: 上白滝駅など白滝シリーズの3駅廃止へ

 2015年7月22日、JR北海道が遠軽町に、同町内にある上白滝駅、下白滝駅、旧白滝駅の3駅を2016年3月のダイヤ改正で廃止する意向と伝えたと、北海道新聞のウェブサイトが報じた。JR北海道は経営建て直しのため、利用者が非常に少ない数十の無人駅を廃止する方針を公表していた。

 JR北海道の方針を受け、遠軽町は上白滝駅に関しては、今後、通学での利用が見込まれる子供が駅近辺に住んでいる事から、存続を要望しているという話があった。

 しかし2015年12月18日、JR北海道から平成28年(2016年)3月26日のダイヤ改正において、上白滝駅をはじ下白滝駅、旧白滝駅の3駅など、利用が極端に少ない8駅を廃止する事が正式に発表された。廃止駅の最終営業日はダイヤ改正前日の3月25日となる。

 廃止が迫った2016年2月、上白滝駅を含む白滝シリーズへの惜別の旅をし、姉妹ブログに旅行記を掲載した。上白滝駅のページは下記へどうぞ!

廃止直前!冬の上白滝駅を楽しむ~3駅廃止目前!冬の白滝シリーズ制覇の旅(2)~


 廃止から2ヶ月半が過ぎた6月中旬、遂に上白滝駅舎の取壊し作業が始まったと報道された。記事の中では、上白滝駅と同日に廃止された石北本線の下白滝駅と金華駅の駅舎は、除雪作業員の休憩所として今後も残存する事も付け加えられていた。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の失われし駅舎

上白滝駅基本情報+

鉄道会社と路線
JR北海道・石北本線
駅所在地
北海道紋別郡遠軽町上白滝
駅開業年
1932年(昭和7年)10月1日
駅廃止日
2016年(平成28年)3月26日
駅舎建築年
1932年(昭和7年)※開業以来の駅舎。 廃駅後に取壊し。
駅営業形態
無人駅
その他
上白滝駅跡など白滝シリーズ廃駅跡の訪問は、白滝駅前のタクシー事業者・白滝ハイヤーが便利。但し1台での営業。丸瀬布駅前にもタクシー事業者が1つあるが、こちらも1台での営業と思われる。確実に確保したければ予約ば無難。
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白いレトロ駅舎

 2013年年明けの紀勢本線(きのくに線)駅巡りの旅で、最後に訪れたのが木造駅舎が残る紀伊浦神駅だった。駅舎は傾く太陽の光を浴びながら佇んでいた頃だった。

紀勢本線・紀伊浦神駅の木造駅舎、ホーム側

 ホームから列車が離れた後、駅舎を見てみた。改修されていて木の質感溢れるいでたちという訳ではないが、木の柱や建物下部にコンクリートの装飾が施されているのが目を引いた。

紀勢本線・紀伊浦神駅ホームと駅舎

 プラットホームの幅は国鉄・JRの島式ホームとしては狭く、中小私鉄を思わす。普通より1~2m程狭く細長いといった印象だ。この旅で下車してきた紀勢本線の駅には、狭い幅のホームが多く感じた。この辺りのローカル駅はみなこのような感じなのかもしれない。

 駅舎へはホーム端の構内踏切を渡り、更に構内通路を通らなければいけなく、随分と遠回りさせられている気分でめんどくさい。

JR西日本紀勢本線・紀伊浦神駅の木造駅舎、木の柱

 駅舎の軒下に差し掛かると、古めかしい木の柱に赤色で「再確認」と書かれた看板が取り付けられているのを発見した。有人駅時代の表示だろうが、一体何の確認をしたのだろう…。

JR西日本・紀勢本線・紀伊浦神駅、古い木造駅舎が残る

 紀伊浦神駅の駅舎は、壁をモルタルで改修された木造駅舎が現役だ。改修されと言っても、何十年と長い年月が過ぎているのだろう。白い駅舎は使い込まれ、味わいのある雰囲気を漂わせていた。

紀勢本線・紀伊浦神駅、駅舎前の花壇

 無人駅となっているが、駅舎の手前にはきれいに整えられた花壇があった。地元の人々が手入れしているのだろうか…?ただ冬の今、花は咲いていなかったが。

紀勢本線・紀伊浦神駅、昔の雰囲気残した待合室と出札口

 駅舎内部は外観同様、白く再塗装されるなど内部も改修されているが、昔の趣をよく留めている。出札口こそシャッター付きのものに改修されている。しかし、造り付けのベンチと手小荷物窓口の台はほぼ原形のまま。そして壁には木の骨組みが露出しているのが昔の駅舎らしい。味気なく改修されてしまう駅が多い中、ここまで残っていれば、木造駅舎好きの私としては上出来と思う。それに古いと言ってもひどく寂れた雰囲気は無い。手入れが行き届いているのだろう。かつての改札口には使われていない乗車証明書発行機がさび付いたまま放置されていた。

紀勢本線・紀伊浦神駅の木造駅舎、待合室の木のベンチ

 白いペンキが厚く塗られているが、まさに昔のままの造り付け木製ベンチは、まさに木造駅舎らしさ溢れる。ペンキ越しに木目が浮き出ているの。そしてベンチの脚が床面に向かって緩くカーブをしながら先細りしていく造りが面白い。まっすぐに加工した脚の方が手間が掛からなさそうなのに、細かい所に凝るものだ。

紀伊浦神駅の木造駅舎、漆喰の天井がある待合室

 そして更に面白いのが天井が漆喰で固められている点だ。中央の蛍光灯が設置されている場所には、円形の照明の台座も残っている。

紀勢本線・紀伊浦神駅、無人駅となり塞がれた窓口跡

 無人駅となり出札口と手小荷物窓口は閉じられていた。出札口はシャッター付きとなりカウンターも新しいものに替えられていた。紀伊浦神駅が無人化されたのが1985年。そして30年近くも、ずっとシャッターは閉じられたままなのだろう…。

紀勢本線・紀伊浦神駅、津波時の避難ルートの掲示

 待合室の壁には津波の避難経路と場所を標した紙が掲示されていた。今回、紀勢本線で下車した駅では、このように避難経路を掲示していたり、駅の海抜を標した表示があったりと、津波への警戒を呼びかける表示が目立ったのも印象的だった。東日本大震災を目の当たりにし、多くの区間で海が近い紀勢本線沿線の街では、特に危機感が強いのだろう。

駅前へ…

紀勢本線、那智勝浦町の紀伊浦神駅前

 駅前はのどかなローカル線らしい雰囲気だ。駅は少し奥まった入り江近くに立地する。駅前を少し歩いただけでは海の気配は感じられない。

那智勝浦町、紀伊浦神駅近くの街、魚を干している

 だけど駅前を歩くと、サンマや小魚を盛大に並べ天日干ししている干物店があり、海の幸の香りがほのかに漂う。ああ海に近いんだなと実感…

紀伊浦神駅、紀勢本線この辺の駅らしい狭いホーム

 さあ、もうすぐ列車が来るからもうホームで待ってようと思った。何げにホームにいると、中ほどでレールが埋まって所があって何だろうと不思議に思った。少し考えると、これはホーム切り欠いて作った構内通路の階段だったのだろうなと気付いた。この階段・通路跡と思われる所の行き着く先は駅舎改札口のほぼ正面だ。そして先程の「再確認」の赤文字…、それは構内通路を渡る際に注意を促すものだったに違いない。今でこそ、ホームと駅舎を行き来するには遠回りをしなければいけないが、駅員さんがいた頃は、少なくとも駅員さんは…、もしかしたら乗降客も最短経路の構内通路で行き来していたのかもしれない。

小さな疑問を解決し、すっきりした気分でこの駅を離れ、帰路に着いた。

駅舎リニューアル(紀の国トレイナートetc…)

 2016年、紀勢本線沿線で開催されたアートイベント「紀の国トレイナート」で、駅舎アートとして古い駅舎をアート化する企画で、紀伊浦上駅舎は廣本直子氏の「巡るうみとやま」をテーマにペイントが施された。

紀伊浦神駅、紀の国トレイナートの駅舎アートで「巡るうみとやま」をテーマにペイントされた待合室
(紀の国トレイナートでアート化された紀伊浦上駅舎(2025年))
紀勢本線(きのくに線)・紀伊浦神駅、スペースポート紀伊応援カラーに塗り替えられた木造駅舎
(カイロスロケット応援塗装に塗り替えられた紀伊浦神駅舎(2025))

 また紀伊浦神駅―紀伊田原駅間にある民間の小型ロケット打上場「スペースポート紀伊」でのカイロスロケット打ち上げにあわせ、応援装飾として、2024年に両駅舎は宇宙をイメージした濃い青色に塗り替えられた。

[2013年(平成25年)1月訪問](和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

レトロ駅舎カテゴリー:
一つ星 JR・旧国鉄の一つ星レトロ駅舎
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紀伊有田駅の風景

JR西日本・紀勢本線・紀伊有田駅、幅が狭いプラットホーム
( この辺の駅の島式ホームは旧国鉄の割に狭い。海に近く立地に余裕が無いからだろうか? )
紀勢本線・紀伊有田駅、歴史感じる石積みのプラットホーム
( 石積みの構造が残るホームは歴史を感じさせる。 )
JR西日本・紀勢本線・紀伊有田駅、昭和15年築の改修された木造駅舎
( 駅開業の昭和15年(1940年)築の木造駅舎が残るが、正面は新建材で改修されてしまった… )
JR西日本・紀伊有田駅、古い木造駅舎らしい質感残る側面
( しかし側面は古い木の質感露わな木造駅舎らしい造りを残す。 )
紀勢本線・紀伊有田駅、駅舎待合室の造り付けベンチは木で改修
( 待合室内の木製造り付ベンチは古いものの上に新しく木材を載せるという形の改修。脚は古いまま。 )
紀勢本線・紀伊有田駅、駅への道沿いにある桜並木
( 駅は集落から少し奥に立地。駅や周辺の桜の木々が、今度は春に来たいと思わせた。駅から7、8分歩くと海だ。)

紀伊有田駅訪問ノート

改修されてはいるけど、一応木造駅舎という事で、大した期待もせずに下車してみた。しかしその期待をいい意味で裏切る古い味わいを残す駅舎だった。

 石積みのプラットホーム、僅かに古さを残す駅舎外観も興味深かったが、特に驚いたのが、待合室内の木製の造り付けベンチだった。このようなベンチが改修される場合、古いものは取り払い、新しいものに交換するというパターンが多いように思う。そういう場合、大抵、素材は新しいものになり、味わいはいま一つ…。

 しかしこの駅では、古いベンチの構造を残し、その上に新しい木材を載せるというとてもユニークな改修方法が採られている。しかも、新しい方は古いものと比べても違和感の無い造りになっている。ザラザラとし、真新しさを感じさる木材の白々しさが眩しく私の目に映った。

 この木製ベンチがこれから何人もの駅利用客に座られ、年月を経て、どれだけいい味を醸し出すようになるのだろう…、それを見にまたいつか、この駅に訪れたいと思う。

[2013年(平成25年) 1月訪問](和歌山県東牟婁郡串本町)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 一つ星 JR・旧国鉄の一つ星駅舎

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築90年!昔のままの素朴な佇まいの純木造駅舎

 JR岡山地区の「レトロ駅舎スタンプラリー」で対象駅となっている姫新線の美作千代駅で降りた。8年振りの訪問だ。

JR姫新線・美作千代駅、古く趣ある木造駅舎は丸ポストが映える

 駅が開業した1923年(大正12年)築の木造駅舎は、押し縁下見板の板張りが特徴的だ。壁面板一枚一枚が使い込まれた古い木のままで、90年という大いなる年月を感じさせる佇まいだ。無数に浮かぶ木目や風化し古びた木の質感に溢れ、むせ返りそうになる程の木の味わいが迫り来る。銀色のサッシ窓が惜しい気がしないでもないが、そんな現代的なものを、まるでもとともしない味わい深さだ。

 そんな駅舎にはレトロな丸ポストがとてもよく似合う。

JR西日本姫新線・美作千代駅、大正築の木造駅舎

 駅舎正面には小さな車寄せが付いている。「千代駅」と書かれた、木から切り出した駅名看板も味がある。良く見ると「代」の字の辺りから、年輪が渦巻くように広がってい。この木は何歳だとうろ数えてみたい気もするが、輪が沢山過ぎる。この看板も古いのだろう。年月を経た駅名看板は、この古い木造駅舎にとてもよく似合っている

JR姫新線・美作千代駅の木造駅舎、年季入った柱

車寄せを支える柱はすっかり風化し、深く刻まれたような木目は、まさに長い年月に刻まれたシワそのものだ。それでもなおも支えようとしている。心強い。

JR姫新線・美作千代駅、駅前ロータリーと木造駅舎

 駅舎前にはロータリーがある。ロータリーの中心は直径3メートルはありそうな広い植え込みのスペースとなっている。色々な木々が植えられているが、無人駅のためか、やや荒れた印象…。

JR姫新線・美作千代駅の木造駅舎、待合室

 美作千代駅は無人駅となり、待合室は窓口跡などが改修されている。しかし、天井や木の造り付けベンチ、白い漆喰など、昔ながらの駅らしさをよく残す。

JR姫新線・美作千代駅の木造駅舎、窓口跡

 古い木製ベンチの後ろには、手小荷物窓口の痕跡が残っていた。カウンターは鉄板に替えられているが、すっかり錆び付き茶色くなっている。

JR西日本・姫新線・美作千代駅、廃止された反対ホーム

 かつては2面2線の相対式ホームだったが、反対ホームは廃止され、レールは剥がさている。そうなってかなりの年月が経っているのだろう…、ホーム跡の上の木はすっかり成長し、道床跡を覆わんばかりに枝が伸びている。

JR姫新線・美作千代駅、廃止された反対ホーム上の畑

 廃止された反対側のプラットホーム跡の新見寄りは、個人に払い下げられたのか、畑になっていた。葱や小松菜など、収穫間近の青々しい野菜でぎっしりだった。

JR西日本姫新線・美作千代駅の木造駅舎ホーム側

 駅舎ホーム側も昔の木造駅舎らしい佇まいを存分に残し味わい深い。鉄パイプの改札口跡とかプラスチック製のベンチなど新しめのものも置かれているが、程よく古びながらなおも使われている雰囲気を添えているようで、絶妙なレトロさを醸し出している。

地元の人に愛され大切に使われている駅

JR姫新線・美作千代駅、昔の雰囲気を留めた旧駅事務室

 ちょっとかつての駅務室の中を覗いてみた。こちらも大きな改修はされていないようだ。

 以前に来た時はカーテンが閉じられ、いかにも無人駅という雰囲気で、もの寂しさを感じたものだ。

 しかし今回は真ん中に椅子やテーブルが置かれ、室内は掃除されているようで汚さは感じなかった。出札口や手小荷物窓口と言った窓口裏側は昔の造形をよく留めている。そんな中、古いダルマストーブがいい味を出している。やかんが載せられているのを見るに、冬はこのストーブで暖を取っているのだろう。

 小奇麗に整頓され、地元の人が切符の販売委託を行っている、いわゆる簡易委託駅のような趣だが、無人駅であるのは相変わらずだ。地元の人が集会所みたいに使っているのだろうか…?

昔の美作千代駅の風景などが展示された駅舎ホーム側

 そして駅舎のホーム側の窓には、昔の美作千代駅の写真がたくさん飾られていた。まるで写真展をしているかのよう。上空から駅と周辺の街並みを撮った航空写真、昭和初期の駅員さんの集合写真、原木を積んだ貨車、平成に運転されたSL列車など…。どれもこの駅の何気ない風景ながら、この駅の歴史を感じさせる心に残る一枚だ。

 駅前ロータリー完成記念と題した一枚は先ほど見たロータリーだ。昭和30年4月28日完成と添えられ、駅員さん、背広姿の男性、子供を抱っこしたお母さんなど、十数人程度の人が寄り集まった集合写真だ。中ほどにいる作業着姿の人は作庭した庭師さんだろうか…。緑豊かなロータリーの完成を背景にした白黒写真は、この駅が昔から地元に人々に愛されている事を伝えてくれる。

 そしてNHK「にっぽん木造駅舎の旅」でこの駅が取り上げられた事も紹介されていた。

 無人駅となって廃れかけと思った駅だが、昔も今も地元の人々に愛され、そしてこれからもこの地に変わらず佇み続け、こんど訪れた時も変わらぬままでいてくれる…そんな雰囲気がしみじみと感じられた。

[2012年(平成24年) 11月訪問](岡山県津山市)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

美作千代駅基本情報

鉄道会社と路線:
JR西日本・因美線
駅所在地
岡山県津山市領家
駅開業年
1923年(大正12年)8月21日
駅舎建築年
1923年(大正12年)※駅開業以来の駅舎。
駅営業形態
無人駅
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夕陽が駅舎を染める頃

島根県奥出雲町、JR木次線・出雲八代駅

 ある夏の暑い日、芸備線、木次線の駅を巡り、その日の宿の最寄り駅の出雲八代駅に着いた。この日見てきた木造駅舎はどれも古き良き趣溢れる素晴らしい駅舎ばかりだったが、この出雲八代駅もそれらの駅に負けない雰囲気をまとっている。

JR木次線・出雲八代駅の木造駅舎、きれいに改修されたホーム側

 出雲八代駅の駅舎をホーム側から見渡してみた。1932年(昭和7年)の開業時以来の木造駅舎で、木の質感が豊かで味わい深さを感じる佇まいだ。でも近年改修されたようで、柱や外壁などの木材部分は再塗装され、まだつやつやとしている。屋根も赤茶色の新しい瓦に葺き替えられている。

JR木次線・出雲八代駅、ホームに備え付けられたはかり

 プラットホームの改札口付近には、昔、この駅で使われていただろう貨物用の重量計が置かれてたままだ。何十年も昔は、田舎の駅でも小さいなれどしっかりとした駅舎を構えた有人駅が多く、そんな駅では、貨物も盛んに扱っていたという。なので、そんな駅にはこんな小さな量りが置かれていて、駅員さんが地元の住人や乗客が持ち込んだ荷物を量っていたのだろう。

 床面に定位置を示すコンクリートの台座が作られているのが面白い。でも、もう測るべき荷物は2度と来ないのに、全身錆まみれになりながらも、なお同じ位置にじっとしている様は、どこか哀れで物悲しさを誘った。

JR木次線・出雲八代駅、ホームの花壇

 プラットホームに沿ってコンクリートの花壇がいくつも並び、草木や花々が植えられていた。きっと地元の方々が丹念に育てているのだろう。

JR木次線・出雲八代駅、廃止された反対側ホーム

 今は駅舎側の1線しか使われていないが、元々、2面2線の相対式プラットホームの配線だったようで、今でも2番線にはホームの遺構が残っている。恐らく使われなくなって久しく、夏の盛りで、すっかり草生している。徐々に自然に帰ろうとしているようだ。ホームには一部を切り欠いて作った構内通路の階段跡が残っていた。

JR木次線・出雲八代駅・廃ホーム跡、「やしろ」と鋳られた構内通路の蓋

 その階段跡をよく見てみると、乗降客が不用意に構内通路を渡るのを防ぐための、階段を塞ぐ鉄製の蓋が残ったままだった。2番線はとうの昔に廃止され、蓋はすっかり錆び付いている。

 この蓋、よく見てみると「やしろ」という文字が鉄板を鋳るように書かれていた。もちろん「やしろ」とはこの出雲八代駅の事で、この蓋はこの駅のためにわざわざ造られたのだ。こんな所にまで凝るんだ!と驚かされ感動すら覚えた。

JR木次線・出雲八代駅の木造駅舎、古い木の質感のままの窓口

 駅舎に入ると、待合室内部も原形を留めている事に驚かされた。手小荷物窓口の窓部分こそサッシに替えられているが、それ以外は完全に昔のままと言え、使い込まれ木目が浮き出る木の質感がたまらない。こちらも外観同様に再塗装、ニスもたっぷり塗られつやつやとしている。「出札口」の古い看板を掲げた窓口もほぼ原形のままで見事だ。出札口が手小荷物窓口跡より少し引っ込んだ位置に設置されているのが面白い。

 私が到着した夕方の時間帯は駅員さんは居なかったが、簡易委託駅との事だ。委託された地元の方が、あのレトロな窓口の奥に座り切符を売っているのだろう。この駅が昔のままながらきれいに保たれているのは、改修のお陰もあるが、委託の駅員さんが何かと気を配っているからなのだろう。

JR木次線・出雲八代駅の木造駅舎、木のカウンター残る手小荷物窓口跡

 手小荷物窓口跡は、サッシ窓に替えられたが、木製カウンターはそのままで、まだ使われているかのような輝きだ。木目が浮き出、走る様が味わい深く、思わず指で辿ってしまう。

JR西日本・木次線・出雲八代駅の木造駅舎、昔のままの風情溢れる待合室

 木の部分だけでなく漆喰もきれいに改修されていた。昔のままの姿を保ち渋さ漂う雰囲気は、まさに年月を経たものだけがまとう美しさと言えるだろう。駅舎を興味を持ち、日本中あれこれ見てきたつもりだが、まだこんな素晴らしい駅があったのだ。

 待合室はベンチが置かれている事を考えても狭く感じ、私鉄の古駅舎を思わす。鉄道院の流れを汲むいわゆる国鉄の小駅の木造駅舎は規格化され、いくつかの基本設計に則っているが、その中でもいちばん小さな部類なのではないだろうか・・・?

島根県奥出雲町、木次線・出雲八代駅近くの街並み

 駅前はやや寂しい感じがすると思ったが、少し歩くと町並みが形成されていて、商店や住宅が立ち並び、小学校なんかもあった。夕陽が街並みに陰を長く伸ばす中、今日の宿に向かった。

朝、1日の始まりを感じる駅にて

JR西日本・木次線・出雲八代駅、開業の1932年(昭和7年)以来の木造駅舎

 そして翌日、早めに宿を出て、再び出雲八代駅に戻ってきた。こんな素晴らしい駅にまた帰って来られ、今日の旅をスタートできるとは、とても幸せな気分だ。

 駅舎正面は押し縁下見張りの木の質感豊かな外観で、ホーム側同様に昔のままの素朴で味わい深い雰囲気に溢れている。

 しかし、ホーム側がニスや再塗装でつやつや徹底的にと思える程、仕上げられているのに対し、正面側はそこまででもないのは少々不思議だ。木次線のいくつかの木造駅舎でも同じような傾向が見られたが、おそらくはトロッコ列車「奥出雲おろち号」の車内から見て、見栄えするように改修したのだろう。奥出雲おろち号は木次線という枠にとどまらず、今では沿線の貴重な観光資源になってるとこの旅で肌で感じた。道中の代表的な見所、木次線の三井野原‐出雲坂根間三段スイッチバック、国道314号線の奥出雲おろちループほどではないが、レトロな木造駅舎はちょっとした見所の一つなのだろう。でも、どうせなら5分程度でもいいので、出雲八代駅など木造駅舎が残る駅で停車時間を取ってくれれば、木次線の魅力をより堪能できると思うのだが…。

JR木次線・出雲八代駅、JNRマーク付きの札

 駅舎出入口に「出雲八代駅協力員」と書かれた小さなプレートが取り付けられているのを発見した。その冒頭には国鉄のJNRロゴが付いている。何を意味しているか解らないが、相当古いものなのだろう。

早朝の出雲八代駅で荷物を下ろし一息…

 ホームに置かれた古い木製ベンチに座り列車を待ち・・・、そして出雲八代駅を離れるまでの残された時間を惜しんだ。前日の夕方、そして翌朝と、一度の旅で2回この駅を楽しめたので、離れがたさもひとしおだ。

 夏休み期間の早朝だというのに、部活動に向かう高校生達やおばさんなど、地元の人々が集まり駅は活気付き始めた。お陰で、待合室はほぼ満員だ。満員と言っても、あの狭い待合室だ。人数はほんの5、6人程度だった。

[2012年(平成24年) 7月訪問](島根県奥出雲町)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

追記

 2015年頃撮影されたウェブ上の画像では、駅舎正面側も再塗装されるなど、改修が進んだ様子。しかし、作業に伴ってか、正面の桜の木は伐採され、その跡はアスファルトで整地されている。木造駅舎は相変わらず素晴らしいが、ひどくすっきりしてしまい、何か物足りなくも感じる。

出雲八代駅・基本情報+

鉄道会社・路線
JR西日本・木次線
駅所在地
島根県仁多郡奥出雲町馬馳57
駅開業年:
1932年(昭和7年)12月18日
駅舎竣工年
1932年(昭和7年)※開業以来の駅舎。
駅営業形態:
簡易委託駅
その他
・映画「砂の器」に、プラットホームが亀嵩駅とした登場した。なお、その時、亀嵩駅駅舎として登場したのは同じ木次線の八川駅との事。
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暑さから逃れるように奥出雲おろち号へ

 真夏の駅巡りの火照りを冷ますように、秘境駅・備後落合駅から木次線のトロッコ列車・奥出雲おろち号に乗り、ひと時の癒しを感じた。木次線の出雲横田駅-備後落合間の定期普通列車は、1日3往復の超閑散区間で、乗り鉄、駅巡りの旅の難所とさえ言える。

 しかし一部の時期は、臨時のトロッコ列車・奥出雲おろち号がダイヤの隙間を埋めるように走ってくれ大助かりだ。

 奥出雲の自然豊かな車窓を楽しみ、国道314号線の奥出雲おろちループや、出雲坂根駅到着前の3段スイッチバックといったダイナミックな風景も見応えがあった。出雲坂根駅では、運良く露店で昼食を買う事ができた。

 出雲坂根駅を出ると、もう少しで八川駅だ。買った昼食は急いで食べた。

八川駅に到着したJR木次線・奥出雲おろち号

 そして、涼しく快適な車内に後ろ髪を引かれつつ席を立った。八川駅のプラットホームに出た瞬間、うだるような暑さが体にべったりとまとわり付いた。

改修されたが深い味わいを留めた木造駅舎

JR木次線・八川駅の木造駅舎、古びた木製改札口

 改札口には昔ながらの木製改札口が残っているのが目に入った。使い込まれて古び、皺のように木目が浮き出ている様が、この駅の年月を物語っている。

JR木次線・八川駅、駅名標と実は可動式の木製改札口

 木製改札口が残っている駅はまだあるが、この駅のものは何と現役時さながらに完全可動するのに驚かされた。列車の発着が無い時は改札口が開き、乗客がプラットホームへの進入するのを塞ぐ柵になる。そして改札時には、両側の柵を折り曲げ、囲いを作るような形となり、駅員さんがその中に入れば改札口となる。利用者数などを考慮し駅の規模が小さいため、常設のしっかりとした改札口は必要無かったのだろう。機能的に出来ているものだなと感心。

JR木次線・八川駅の木造駅舎、昔の趣の待合室

 そして待合室の中に入って更に驚かされた。改札口だけでなく、出札口、天井、ベンチなども見事に木の造りのまま残され、使い古された年季感じさせる空間だったからだ。これぞまさに昔の木造駅舎の待合室だ。タイムスリップしたような昔懐かしい感覚と、日本にまだこんな駅があったのかという驚きと感動がひしひしと胸に迫り来る。

 あまりに昔ながらの雰囲気を留めた待合室に、昔訪れ同じように感銘を受けた山陰本線の湯里駅の思い出が甦ってきた。湯里駅の木造駅舎は残念ながら失われてしまったが、この駅はいつまでもこのままの姿でいてほしいものだ。

JR木次線・八川駅の木造駅舎、出札口(切符売場)

 木目浮くカウンターや金銭受けの台など、切符売場も昔の造りのまま現役だ。無人駅となり使われなくなった窓口がそのまま残っている駅が多い。しかし、この駅の窓口が「出札所」のホーロー看板を高々と掲げてられていまだに使われいる様は、いっそう味わい深く映る。

 簡易委託駅で、内部は人が出入りしている形跡はあった。しかし、私が滞在した午後の1時間半程度の間には誰も居なかった。

JR木次線・八川駅の木造駅舎、一部改修された窓口

 手小荷物窓口だった部分だけ大きく改修され、サッシ扉になっているのが少々惜しい気はする…。しかし、こんな大きな改修をものともしない程、八川駅の待合室は非常に味わい深い雰囲気があるのが凄いなと思う。

 旧駅務室の中には「歓迎 野菜の駅やかわ…」などと書かれた立て看板があった。駅舎は地元のイベントなどで使われているのだろう。

JR木次線・八川駅の木造駅舎、造り付けの木製ベンチ

 長い間、使い込まれた造り付けの木製ベンチにはニスがぶ厚く塗られているのが目を引く。テカり過ぎな気はするが、大切に手入れされているんだなと思うと嬉しい。窓枠は新しいものに取り替えられているが木製で、待合室の雰囲気を壊してはいない。

JR西日本木次線・八川駅、開業の昭和9年以来と思われる木造駅舎

 八川駅の駅舎外観は、まるで新築のように改修されていた。ウェブ上で見た八川駅の駅舎は、ボロさが目立ち荒んでる感じがし大丈夫だろうかと思ったが、一安心した。新築同然と言えど、昔の趣は十二分に尊重されている。

 駅の開業は1934年(昭和9年)11月20日で、その頃は終着駅だったという。おそらくその当時からの駅舎なのだろう。そして備後落合駅まで延伸したのは1937年(昭和12年)12月12日の事だ。

 松本清張の「砂の器」に登場した駅として、同じ木次線の亀嵩駅はよく知られている。しかし1974年(昭和49年)の映画版「砂の器」では、八川駅のこの駅舎が亀嵩駅として使われたという。何でも、前年の1973年(昭和48年)に亀嵩駅で開業したそば屋の看板が邪魔だったのと、崖が迫りカメラが引けなかったという事情があり、八川駅に白羽の矢が立ったそうだ。

JR木次線・八川駅の木造駅舎、建物財産標

 木製の駅名看板は、右読みで「駅」の文字は旧字とレトロな趣だ。駅舎改修後数年で、その頃に新調されたのだろうか?新しい駅名看板はどこか瑞々しさ感じさせる。玄関縁の木枠が僅かに丸みを帯びた形状なのが面白い。その木枠には黒い建物財産標が取り付けられたままだ。建物財産標はいろいろな種類があるが、黒い鉄製のこの財産標は特に古そうな部類だ。「鉄 八川駅本屋○号 八川駅 昭和○年…」と箇条書きされいるが、年月など肝心の数字の部分は風化して読み取る事が出来なかった。

JR西日本・木次線・八川駅、枯れた池のある庭園

 駅舎に向かって右手には枯れ池が残されていた。水こそは無いが、木々はきれいに整えられて荒れた感じはしない。誰かがたまに手入れするのだろう。

 駅前には国道314号線が通り、駅への入口にはそば屋もある。周囲は水田が多くあちこちに民家などが散見されるのだかな雰囲気だ。

 駅近辺に飲料の自動販売機が無いのは予想外だった!日本では閑散としたローカル駅であっても、駅やその近辺で飲料の自動販売機を見つけられる場合がほとんどだ。駅での滞在時間が長いとつい手が伸び、待合室やホーム上で一息つく事も多い。暑い夏は冷たい飲み物にありつけるのは有り難い。駅前のそば屋で飲み物だけ買うという手もあったのだが、そこまする程でもなく、少し喉が渇き気味の気分で過ごした。

JR木次線・八川駅、駅舎ホーム側の丸太の柱

 駅舎ホーム側の柱は木製で円柱状に整えられている、根元はコンクリートの台座と更に鉄で固められ補強されているのが目を引く。

JR西日本木次線・八川駅、廃プラットホーム

 かつては2面2線の行き違いができる構造だったが、駅舎から遠い方のホームはもう使われていなく、レールは剥がされ、短かめのホームは草生している。

木次線キハ120形の普通列車、八川駅に到着

 いつの間にか、空は曇りがちになり、遂に強い雨が降り出した。今回のは旅では天気予報は晴れマークばかりで、まあ大丈夫だろうと思い、面倒で傘を持ってこなかったので戸惑った。強く雨が降る中、出雲横田行きの列車が入線してきた。

[2012年(平成24年) 7月訪問](島根県仁多郡奥出雲町八川)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

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改修された木造駅舎が建つひっそりとした駅

JR北陸本線・牛ノ谷駅、駅名標と521系電車
牛ノ谷駅はローカル区間の小さな無人駅だが、新しいホームにピカピカの車両が入線。
JR北陸本線・牛ノ谷駅、県境で秘境駅ムード漂う
特急街道の北陸本線だが、500m北が石川県で駅周囲は人家が少なくローカル線の趣き。どことなく辺境感が漂う…
JR西日本北陸本線(現・ハピラインふくい)・牛ノ谷駅、改修された木造駅舎
古い木造駅舎が残るが、新建材等で完全にリニューアルされ、古さやレトロさはさほどでも…
JR北陸本線・牛ノ谷駅の木造駅舎、改修された待合室
駅舎内部も完全に改修されている。壁際にベンチやゴミ箱が置かれただけのガランとした空間。
JR北陸本線・牛ノ谷駅前の空地に植えられた桜
駐車場には植えられたばかりの幼い桜の木が一本…。次に来る時が楽しみだ。
JR北陸本線・牛ノ谷駅、古い木造駅舎らしい柱が残る
すっかり改修された駅舎でも、ホーム側の柱は古い木のままで、この駅の歴史を垣間見せた。

牛ノ谷駅訪問ノート

 約500m北が石川県という県境の駅で、福井県最北端の駅だ。

 地方の県境付近の駅は、どこか鄙びてひっそりとし、大げさに言うなれば、秘境駅っぽいと言うか辺境感のようなものさえ漂わしている事さえある。この牛ノ谷駅もそんな雰囲気を漂わす。駅前の家屋は十件程度で、周囲は山林や小高い丘に閉ざされたような鬱蒼とした雰囲気だ。もう少し南に行けば人家などがまとまった地区があるらしいが。

 駅の開業は1918年(大正7年)11月15日、熊坂信号所としてだが、1921年(大正10年)4月5日に旅客駅に昇格した。駅舎は古くからの木造駅舎だろう。だが、外観も内部も改修され古さはほどんど感じない。

 ローカル駅でも北陸本線は特急列車などの往来も多い幹線だ。時折、列車の通過音がひっそりとした駅を賑わしていた

[2012年(平成24年) 4月訪問](福井県あわら市牛ノ谷)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 一つ星 JR・旧国鉄の一つ星駅舎

追記

 2024年(令和6年)3月15日の北陸新幹線の金沢-敦賀延伸開業により、北陸本線の並行区間は第三セクター転換され、福井県内の区間は「ハピラインふくい」となった。

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早朝の1番列車は私だけを乗せ吉松方面へ…

 人吉駅から吉松行きの始発列車に乗った。単行の列車に乗り込んだのは何と私1人。十何年前、初めて肥薩線のこの区間の下り列車に乗った時も1人だった事に驚いたが。

 肥薩線は2004年に九州新幹線が開業してから、観光路線として注目されるようになった。開業と同時に、鹿児島中央駅-吉松駅間では観光特急はやとの風号が、吉松駅-人吉駅間では観光列車いさぶろう・しんぺい号が運航開始となった。2009年には人吉駅-熊本駅間で、お洒落なリニューアル客車を連結したSL人吉号が走るようになった。3本の観光列車により、肥薩線には鉄道ファン以外の乗客も目に付くようになった。

 しかし、地域輸送という観点から見れば、依然厳しいという現実を突きつけられる。人吉-吉松間は普通列車は1日5本しか無い超閑散区間で、危機的とさえ言える状況なのだろう。

JR九州・肥薩線・矢岳駅に入線した列車

 朝日が虚しく座席を暖め続け、列車は矢岳駅に到着した。この駅で乗ってきた人もいなく、遂に乗客はゼロとなってしまった。終点までに誰か乗ったのだろうか…

肥薩線・矢岳駅の木造駅舎、使い古され年月を感じる柱

 プラットホームには木造駅舎の軒を何十年と支え続けた木の柱が並ぶ。雨風にひたすら晒され風化し、皺のように木目が露わに浮き出た柱が並ぶ様は、壮観でさえあり、この駅の歴史が迫りくるかのようだ。近年の木造駅舎風の新築駅舎とは天と地以上の「格」の違いを感じる。

肥薩線最高所の駅・矢岳駅、標高を標した碑

矢岳駅は肥薩線最高所の標高536.9mにある。人吉市街が標高約100m位なので、その差は何と400mだ。エンジンが息を切らせ、スイッチバックし、ループ線を通り…、20分足らずでこの高さを越えてきたのだ。

 晴れた春の日とは言え、空気は思いの他冷たく、風も吹きつける。ここまでの肥薩線の駅や沿線では桜が車窓を彩ってきたが、この寒さでは一つの花びらさえも開いていなかった。

肥薩線・矢岳駅、かつては矢岳越えの列車で賑わった広い構内

 駅として使われているスペースは、今やホーム沿いの1線のみ。かつての広い構内跡はすっかり草生している。片隅には石造りの給水塔跡の一部も残る。一体、かつては何本のレールが敷かれていたのだろう。

 肥薩線は1927年(昭和2年)の鹿児島本線(現:肥薩おれんじ鉄道転換区間含む)が全通するまで、鹿児島本線の一部で、九州を縦貫する重要なルートだった。広大な構内跡からはその威光が未だに伝わってくる。その当時は蒸気機関車や貨車など、多くの車両が側線を埋め、顔を黒く汚した駅員さんが忙しく動いていた事だろう。

明治の駅舎が佇む田舎風景

JR九州・肥薩線・矢岳駅、開業の明治42年の木造駅舎

 矢岳駅の駅舎は、開業の1909年(明治42年)以来の木造駅舎だ。趣を損ねるような改修をされていないのが素晴らしい。嘉例川駅など他の肥薩線の木造駅舎とほぼ同じ造りの「肥薩線型駅舎」と言える形状だ。面積の割に背が高いが、その割に軒は小さめでずんぐりとした印象を受ける。忘れ去られたようなローカル線の駅舎だから、同線の他の駅舎共々、これほどまでに昔の趣をを留めたまま現代まで残る事ができたのかもしれない。

 嘉例川駅と大隅横川駅の駅舎は既に登録有形文化財になっている。続いて、矢岳駅など同線他の7駅(八代駅、坂本駅、白石駅、渡駅、一勝地、大畑駅、真幸駅)の駅舎も、2012年中に登録有形文化財に申請する予定という。そして、その先にあるのは、肥薩線の世界遺産への登録という。他の名だたる世界遺産ほど有名でも華やかでもないが、明治の鉄道施設が多く残る肥薩線も、後世に残してゆくべき財産だと思う。

肥薩線・矢岳駅、木の質感豊かな木造駅舎

 近づいてみると木の質感は豊かで木造駅舎らしい趣に溢れる。だが、軒や屋根の木材が交換され、床面がコンクリートを塗り直されるなど改修もされ、大切にされている印象を受ける。

 2000年の前半に、初めて矢岳駅で降りた時は雨だった。その時、この軒下にかつてあったベンチで、ライダーがバイクを停め雨宿りしていた。なぜかそんな事が印象深く残っているか我ながら不思議だ。やっぱり駅は旅人を引きつける何かがあり、休憩する旅人が矢岳駅にもとても似合っていたからか…。今振り返ればそなんだろうなあと思う。

熊本県人吉市、肥薩線・矢岳駅、日本の原風景感じる駅前

 駅舎はもちろん、私が矢岳駅で好きなのが駅からの集落の眺めだ。山に囲まれたこじんまりとした風景の中、木造駅舎から一本の道が小さな集落に向け伸びている様が何故かとても好きなのだ。きっと何十年の前の田舎の駅風景はきっとこんな風だったのだろう。長閑な風景に癒される心地がする。今は冬枯れの趣き残る4月だが、もう1、2ヶ月もしたら眩しいまでの緑の風景へと移り変わっているのだろう。

肥薩線・矢岳駅、駅前の集落から駅の方を見る

 集落まで足を伸ばしてみた。民家が寄り集まる小さな集落だ。この集落の中に、旧国鉄の矢岳駅駅長官舎だった木造の建物が残っている。矢岳駅駅舎と同じ明治42年築で、現存する数少ない明治期の鉄道官舎建築として登録有形文化財になっている。今では何かに使われているようなので、少し離れた所から見上げただけだったが、機会があれば是非ともじっくり見てみたいものだ。

肥薩線・矢岳駅、すり減らされた駅前の階段

 駅への階段は、長年、地元の人々に幾度も踏まれ、ひび割れすり減らされている。そして利用客が激減した近年は、風雨がゆっくりゆっくりと削っているの。

肥薩線・矢岳駅の人吉市SL展示館、D51-170

 駅構内隅に、名物の人吉市SL展示館があり、D51 170が静態保存されている。日本全国で静態保存されている蒸気機関車は多いが、申し訳程度の屋根の下、ほとんど雨ざらしにされているものも少なくない。しかしここのデゴイチは屋内と言える環境に置かれている。随分と恵まれた幸せ者だ。すぐ側には民芸品や農作物を無人販売所もあった。

 2007年、このD51-170と矢岳駅が、南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産の1つとして選ばれた。

肥薩線・矢岳駅、駅構内片隅の詰所跡

 人吉市SL展示館の奥には、かつての保線員の詰所と思われる木造の建物があった。昔ながらの駅構内設備で、駅舎同様に古さがある。だが日常的に使われている形跡は無く廃れ気味だった。

肥薩線・矢岳駅の木造駅舎、天井が高く広い待合室

 矢岳駅の駅舎は大柄で、待合室内部の天井も一般的な木造駅舎より1.5倍程度高く広々としている。同じ肥薩線の木造駅舎でも、嘉例川駅、大畑駅真幸駅よりも広々としている。のどかな田舎風景の中にある駅でも、昔はさぞ賑わったのだろう事が察せられる。内部の漆喰や木の壁面は使い込まれた質感を留める。

肥薩線・矢岳駅の木造駅舎、昔のままの窓口

 今は無人駅となってしまったが、出札口跡、手小荷物窓口の跡が今でも残る。天井が高い中、窓口の周りには大きな黒い掲示板が3枚も掲げられ、回りが黒々、そしてつやつやとしているのが印象的だ。昔は駅員さん手書きの運賃表、路線図、手小荷物料金表が掲げられていたのだろうか…。

肥薩線・矢岳駅、国鉄時代のステッカーが貼られたままの出札口跡

 特に昔の切符売場… 出札口の跡は、木の窓枠や窓口が古い木のままの造りを残し味わい深い。今でこそ無人駅だが、昔は窓口が2つもあったんだなと、賑わっていたであろう遠い昔を思い感慨に耽った。

 窓口周りのガラス窓にPR用のステッカーが張られているのが目を引く。左から「ジパング倶楽部」「指定券発売日の案内」「トクトクきっぷうりば」のステッカーで時代を感じるデザインだ。矢岳駅の無人化は1986年(昭和61年)の11月と約30年前なので、それ以前のものなのだろう。

肥薩線・矢岳駅の木造駅舎、手小荷物窓口の持ち送り

 手小荷物窓口跡は引戸こそ新しいものに替えられているが、木製のカウンターや、それを支える持ち送りは古い木のままだ。特に持ち送りが絵画の雲のような曲線を描き、端が刃物のようにやや鋭く削られている造形が凝っていて非常に印象的だ。そして、それが木目浮き出使い込まれた質感に溢れる様は、古いものならではの美しささえ感じる。

 ホームの軒を支える柱同様、造りつけのベンチも風雨に晒され続けてきた。苔が生したように、少しカビてきている…。

肥薩線、いさぶろ・しんぺい号が入線し賑わう矢岳駅

 矢岳駅に吉松行きの観光列車いさぶろう号が入線した。朝から人気が無かった駅が一気に賑やかになり、乗客達は数分の停車時間を利用して、駅舎やSL展示館の見学にと急ぐ。4月上旬の平日でもこの賑わいなのだから、休日はもっと凄いのだろう。

 ちょっとの停車時間しかないのが惜しく、観光列車なのだから、そんなに急がないでもうちょっと…責めて10分位は停車して、駅舎とか駅前の風景とかもっと堪能して欲しいものと思う。だけど、肥薩線の木造駅舎に触れた人々の中で、一部でも地元の身近な木造駅舎の良さに気づいてくれる人が居るとしたら…、それは素晴らしい事なのかもしれないと思った。

[2012年(平成24年) 4月訪問](熊本県人吉市)

レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

追記: 駅長官舎がホテルに、しかし…

 矢岳駅の鉄道官舎は、ホテルに改装された。(株)CLASSIC RAILWAY HOTELによる古民家ホテル「CLASSIC RAILWAY HOTEL人吉球磨 星岳 月岳(ほしたけ つきたけ)」として、2019年(令和元年)8月2日にオープンした。一室につき定員は最大4名。お値段はなかなかのもの。隣の大畑駅の詰所跡には、同社が運営するレストラン「囲炉裏キュイジーヌ LOOP」がオープン。


 しかし、九州を襲った令和2年7月豪雨で、肥薩線の八代―人吉間だけでなく沿線地域も甚大な被害を受け、そしてコロナウィルスは収束の気配無く、経営環境は大きく悪化した。そのため同年11月、(株)CLASSIC RAILWAY HOTELは会社清算となった。

 しかし今後は、(株)NOTE人吉球磨を中心に、地域の人々が事業の継続を模索するという。何か動きがあれば公式ウェブサイトに情報が載るかもしれない。

矢岳駅・基本情報まとめ

鉄道会社・路線
JR九州・肥薩線
駅所在地
熊本県人吉市矢岳町4706
駅開業日
1909年(明治42年)11月21日
駅舎竣工年
1909年(明治42年)※開業以来の駅舎
駅営業形態
無人駅
その他
人吉-吉松間は、観光列車いさぶろう・しんぺい号を含めても1日5往復の超閑散区間。上下列車を組み合わせ駅巡りをしたい。大畑駅、矢岳駅、真幸駅近辺に食料品店は無いので食物は事前の確保が無難。矢岳駅に飲料の自動販売機はあったが。(2013年6月現在)
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明治の木造駅舎が残る駅

 肥薩線の旅を楽しんでいた4月のある夕方、人吉駅から吉松行きの列車に乗り、一駅の大畑駅(おこばえき)で下車した。

熊本県人吉市にあるJR肥薩線・大畑駅、桜が満開

 かつては難所「矢岳越え」を往来する列車たちが、ひと時、体を休めた広い構内跡のあちこちは満開の桜で彩られていた。

JR九州・肥薩線・大畑駅、ホーム上の湧水盆から湧き出る水

 プラットホームの端では、湧水盆という花の形をした盆から水が溢れ出ている水場があった。水はとめどなく溢れ出、ホームをも濡らしバラストまで伝い落ちている。蒸気機関車時代、機関車付け替えの合間に、機関士や乗客達がこの水ですすで汚れた顔を洗ったという。天然の湧水との事で、飲んでみたい気はするが、飲用禁止の看板が出ている。

JR九州・肥薩線の秘境駅、大畑駅の木造駅舎

 大畑駅には、明治42年(1909年)の駅開業以来の木造駅舎がいまだに残っている。駅事務室部分が拡張されるなど、改修の跡は見られるが、それでも昔の趣をとても良く留めた外観だ。

 もうすぐ日が落ちようとしている今、人の気配が無くひっそりとしている。しかし、いさぶろう・しんぺい号の運行など、近年の肥薩線活性化で観光客が増えたためか、カラフルな民芸品や記念撮影用のボードが駅舎を賑わしているのが目を引いた。

肥薩線、明治の木造駅舎が残る大畑駅、ホーム側の改札口

 駅舎に近づいてみると、改札口、造り付けのベンチなど、隅々まで木の使い込まれた質感が刻まれ、より味わい深い深さが迫ってくるかのようだ。改札口跡は狭く、ラッチがとても小さいのが印象的だ。山中の駅で、昔から利用者はさほど多くなかったのだろう。

肥薩線・大畑駅の木造駅舎、待合室の長椅子

 大畑駅名物と言えば、待合室の壁や窓に貼られた大量の定期券、名刺や紙切れの数々だ。全国からの大勢の訪問者が、大畑駅訪問記念に貼り残していったもので、よくもまあこんなに集まったものだと感心させられる。

 しかしそんなインパクトに埋もれながら、窓口跡など待合室は昔のままの造りを垣間見せる。造り付けの木製ベンチを支える持ち送りは、和風建築を思わすような曲線の形状をしている。すぐに造れるようなものではなく、100年も昔、一つ一つ大工さんが手作業で彫り込んで行ったものなのだろう。もっと簡単に、棒や板切れのようなものでも良さそうなのだが、こんな目立たない所に凝るなんて職人としての美意識かこだわりなのだろうか…?ただ感嘆だ。

 ベンチの表面には幾重もの木目が浮かんでいる。開業以来、大勢の人にひたすら座られ続けたのだろう。まるで削られるように、そして磨かれるように…。古い木造駅舎らしい、そんな使い込まれた質感が素晴らしい。

JR九州・肥薩線・大畑駅、明治42年築の木造駅舎が現役

 大畑駅駅舎を正面から見てみた。素朴で典型的な木造駅舎らしい雰囲気だが、肥薩線の他の木造駅舎と同じく、背が高めでずんぐりむっくりとしたデザインだ。ただ利用者数を考慮してか、嘉例川駅など同線他の駅に比べより小振りだ。木の板の古い質感はもちろん、庇のコンクリート瓦が苔むしている所などにも、この駅の過ごしてきた年月を垣間見る事ができる

 飲み物の自販機があるが、周囲は黒い板で囲われている。明治の木造駅舎には現代のモノは似合わない…、そういう配慮だろう。

 2007年に、この駅本屋や湧水盆、石造りの給水塔など大畑駅の古い鉄道施設が近代化産業遺産の中の「南九州近代化産業遺産群」に登録された。

大畑駅周辺を歩いてみる

JR九州・肥薩線の秘境駅・大畑駅前、人家は皆無の秘境駅

 駅前には道が1本通っているだけで、周囲は小高い山や林に囲まれている。この僅かな空間を拓きこの大畑駅を作ったのだ。まさに秘境駅と言える雰囲気だ。住人が姿を現す事も無く、私がいる間、僅か数組の車利用の観光客が訪れただけだった。でも、それ自体も驚きだが。

JR九州・肥薩線・大畑駅、木造の詰所跡

 道を進んでいくと、保線員の詰所と思しき木造の建物が残っていた。その背後には、蒸気機関車の給水塔だった石造りの円柱状の構造物が見える。

 ここから駅を離れ少し進むと、道は二手に分かれていた。う~ん、どっちに進もうか…。その一方に進んでみると、まさに山の中の道路だった。一分程歩くと何かの作業場らしき建物が見えたが。今日は休みなのか、既に廃業したのか、無人で明かり一つついていない。集落まで下りてみたかったが、先に見えるのは鬱蒼としてた山林の中に続く道のみで、すぐに人里が現れる雰囲気ではなかった。空は暗くなりはじめ、こんな寂しげな夜道を戻らなければいけないと想像すると不安になり、足は自然と駅の方に戻っていた。


 大畑駅は険しい地形を乗り越えるためのループ線の途上にあるスイッチバック駅で、駅から出発する列車は来た方向に引き返す形になる。では行き止まりになっている筈の、更に先はどうなっているのだろうと思って先に進んでみた。錆びた2線分のレールはいまだに残り、ゆるくカーブした後に車止めがあった。しかし、もう一線は更に延び続けていた…

JR九州・肥薩線の秘境駅、大畑駅から眺める絶景

 レールは直に途切れた。そして山深い景色が開け、人吉盆地を見下ろしていた。まさに絶景だ。人はこんな所を切り開き定住して、そして鹿児島までレールを通したのだと思うと、それがいかに凄くて、造り上げた人々がいかに偉大かを思い知らされる。

 天気が良いと、もっと広々とした素晴らしい眺めが望めるのだろう。そして山桜咲く春、緑眩しい夏、燃える紅葉の秋、雪で白く染まる冬…、四季折々の絶景が楽しめる事だろう。ここを展望台として整備すれば、大畑駅の新しい名物になるのではないだろうか…。

肥薩線「矢岳越え」の列車が身を休めた広い構内跡

 構内に留置される車両がすっかり無くなり寂しくなってしまっても、先人が植えた桜は春になると忘れずに咲き誇る。夜の帳が降りる暗がりの中、艶やかに咲く様が昼とまた違った魅力があり印象的だ。

肥薩線・大畑駅構内、鉄道工事殉職病没者追悼紀念碑

 桜並木の奥に入った所のループ線の入口辺りには、SLの動輪と「鉄道工事殉職病没者 追悼紀念碑」という碑がある。道無き道を切り開いた先人達の苦難を思い、私も静かに手を合わせた。

夜の闇の秘境駅、暖かな灯りに包まれ…

JR九州・肥薩線・大畑駅、待合室に貼られた定期券や名刺

 駅舎に戻ってくるとと、待合室には明かりが灯ってた。オレンジ色の灯りが、定期券と名刺がたくさん張られた古い待合室を温かに照らし、訪問者をノスタルジック感溢れるような…はたまた異世界のような不思議な空間へと導く。

JR九州・肥薩線、秘境駅ムード溢れる夜の大畑駅

 暗くなっていくと、至近に民家が無い大畑駅前はどんどん寂しい雰囲気になっていく。もう観光客の気配も無く、時折吹く風が木々をざわつかせ、私の足音がなるだけだ。そんな夜の秘境駅のムードに酔いしれるような、不安を感じるような気分が複雑に入り混じっていく。

肥薩線、夜の大畑駅、浮かび上がる定期券や名刺

 駅舎ホーム側の行灯式の駅名標が灯っているのに気づいた。下車した時に気づいていたが、随分古そうなので、閑散とした無人駅ではもう点かないだろうと思っていたが…。浮かび上がった大量の定期券や名刺と共に、独特の雰囲気を醸し出している

肥薩線、スイッチバックを下り大畑駅にやってきた人吉行き最終

 人吉行きの単行列車が軽やかにループ線を下り、スイッチバックし大畑駅に入線してきた。これが人吉行きの最終列車だ。この駅で下車した人は居なく、乗車したのは私だけだった。片手で数えられる僅かばかりの乗客を乗せ、列車は大畑駅を後にした。

[2012年(平成24年) 4月訪問](熊本県人吉市)

レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

追記: フレンチレストランが開業、しかし…

 2018年(平成30年)9月8日、駅構内の詰所跡を改装し、フレンチレストラン「囲炉裏キュイジーヌ LOOP」が開業した。要予約。矢岳駅駅長官舎を改装した宿と共に、株式会社CLASSIC RAILWAY HOTELの経営。ディナーはホテル宿泊客の限定との事。


しかし、令和2年7月豪雨の影響で、地域は甚大な被害を受け、不通となった肥薩線も復旧の見込みは立っていない。そして新型コロナウィルスの影響もあり、運営会社は事業継続は困難と判断し、同年11月に会社清算となった。 今後は、(株)NOTE人吉球磨を中心に、地域の人々が事業再開を模索するという。何か動きがあれば公式ウェブサイトに情報が載るかもしれない。

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.last-updated on 2021/01/30