築90年!昔のままの素朴な佇まいの純木造駅舎
JR岡山地区の「レトロ駅舎スタンプラリー」で対象駅となっている姫新線の美作千代駅で降りた。8年振りの訪問だ。
駅が開業した1923年(大正12年)築の木造駅舎は、押し縁下見板の板張りが特徴的だ。壁面板一枚一枚が使い込まれた古い木のままで、90年という大いなる年月を感じさせる佇まいだ。無数に浮かぶ木目や風化し古びた木の質感に溢れ、むせ返りそうになる程の木の味わいが迫り来る。銀色のサッシ窓が惜しい気がしないでもないが、そんな現代的なものを、まるでもとともしない味わい深さだ。
そんな駅舎にはレトロな丸ポストがとてもよく似合う。
駅舎正面には小さな車寄せが付いている。「千代駅」と書かれた、木から切り出した駅名看板も味がある。良く見ると「代」の字の辺りから、年輪が渦巻くように広がってい。この木は何歳だとうろ数えてみたい気もするが、輪が沢山過ぎる。この看板も古いのだろう。年月を経た駅名看板は、この古い木造駅舎にとてもよく似合っている
車寄せを支える柱はすっかり風化し、深く刻まれたような木目は、まさに長い年月に刻まれたシワそのものだ。それでもなおも支えようとしている。心強い。
駅舎前にはロータリーがある。ロータリーの中心は直径3メートルはありそうな広い植え込みのスペースとなっている。色々な木々が植えられているが、無人駅のためか、やや荒れた印象…。
美作千代駅は無人駅となり、待合室は窓口跡などが改修されている。しかし、天井や木の造り付けベンチ、白い漆喰など、昔ながらの駅らしさをよく残す。
古い木製ベンチの後ろには、手小荷物窓口の痕跡が残っていた。カウンターは鉄板に替えられているが、すっかり錆び付き茶色くなっている。
かつては2面2線の相対式ホームだったが、反対ホームは廃止され、レールは剥がさている。そうなってかなりの年月が経っているのだろう…、ホーム跡の上の木はすっかり成長し、道床跡を覆わんばかりに枝が伸びている。
廃止された反対側のプラットホーム跡の新見寄りは、個人に払い下げられたのか、畑になっていた。葱や小松菜など、収穫間近の青々しい野菜でぎっしりだった。
駅舎ホーム側も昔の木造駅舎らしい佇まいを存分に残し味わい深い。鉄パイプの改札口跡とかプラスチック製のベンチなど新しめのものも置かれているが、程よく古びながらなおも使われている雰囲気を添えているようで、絶妙なレトロさを醸し出している。
地元の人に愛され大切に使われている駅
ちょっとかつての駅務室の中を覗いてみた。こちらも大きな改修はされていないようだ。
以前に来た時はカーテンが閉じられ、いかにも無人駅という雰囲気で、もの寂しさを感じたものだ。
しかし今回は真ん中に椅子やテーブルが置かれ、室内は掃除されているようで汚さは感じなかった。出札口や手小荷物窓口と言った窓口裏側は昔の造形をよく留めている。そんな中、古いダルマストーブがいい味を出している。やかんが載せられているのを見るに、冬はこのストーブで暖を取っているのだろう。
小奇麗に整頓され、地元の人が切符の販売委託を行っている、いわゆる簡易委託駅のような趣だが、無人駅であるのは相変わらずだ。地元の人が集会所みたいに使っているのだろうか…?
そして駅舎のホーム側の窓には、昔の美作千代駅の写真がたくさん飾られていた。まるで写真展をしているかのよう。上空から駅と周辺の街並みを撮った航空写真、昭和初期の駅員さんの集合写真、原木を積んだ貨車、平成に運転されたSL列車など…。どれもこの駅の何気ない風景ながら、この駅の歴史を感じさせる心に残る一枚だ。
駅前ロータリー完成記念と題した一枚は先ほど見たロータリーだ。昭和30年4月28日完成と添えられ、駅員さん、背広姿の男性、子供を抱っこしたお母さんなど、十数人程度の人が寄り集まった集合写真だ。中ほどにいる作業着姿の人は作庭した庭師さんだろうか…。緑豊かなロータリーの完成を背景にした白黒写真は、この駅が昔から地元に人々に愛されている事を伝えてくれる。
そしてNHK「にっぽん木造駅舎の旅」でこの駅が取り上げられた事も紹介されていた。
無人駅となって廃れかけと思った駅だが、昔も今も地元の人々に愛され、そしてこれからもこの地に変わらず佇み続け、こんど訪れた時も変わらぬままでいてくれる…そんな雰囲気がしみじみと感じられた。
[2012年(平成24年) 11月訪問](岡山県津山市)
~◆レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎~
美作千代駅基本情報
- 鉄道会社と路線:
- JR西日本・因美線
- 駅所在地
- 岡山県津山市領家
- 駅開業年
- 1923年(大正12年)8月21日
- 駅舎建築年
- 1923年(大正12年)※駅開業以来の駅舎。
- 駅営業形態
- 無人駅