石庭、そしてもう一つの庭園…
JR九州・肥薩線の真幸駅は、日本三大車窓の一つと称される絶景、矢岳越えを控えた山深い風景が有名だ。険しい地形を越えるため、スイッチバック駅となっている。
駅至近に人家は皆無で、少し離れた所に集落があるだけ。今や地元の駅利用者はほとんどいなく、秘境駅として有名だ。
かつてはホーム上に、京都の龍安寺を思わす、白い小石を敷き詰めた石庭があった事でも知られていた。現在では木造駅舎とホームの間に石庭は移された。しかし、小石は少々荒れていて、ポツンと岩が残っているのが辛うじて庭園の体裁を保ってはいるが、寂れ気味だ。
そして、この駅にはもう一つ、庭園がある。いや「あった」と言った方が正確だろう。駅舎から少し離れた位置に、緑が豊かに整えられた空間があり、よく見ると小さな池のある庭園だった。しかし、こちらも池は枯れ上がり、石庭以上に打ち棄てられた雰囲気が漂う。
石庭の方は、ブログなどでたびたび触れらるが、池庭跡の方は、そうではない。乗降客の目に付きやすい所ではなく、やや外れの端の方にある。おそらく、この池庭は目立たない存在だったのだろう。
池庭跡の方は、周りには色々な木々が植えられていて、目立たない存在ながらも、駅員さん達が丹念に手入れしていた様子が目に浮かぶ。
池の前にコンクリートの板がベンチのように置かれていた。ちょうど池の正面にあり、まるでここに座ってどうぞ枯池をご鑑賞下さいと言わんばかりだ。有人駅時代、この池周囲は一般乗降客が立ち入る事が出来ない業務用の区域だったと思われる。きっと駅員さん達が仕事の合間に、しばしの安らぎを求め、ここに座って、池や木々を眺めながら一息ついたのだろう。
木々の中で、後ろの背の高い木が一際目立つ。多分、植えられた時は小さかったが、年月が過ぎゆきどんどん成長していったのだろう。真幸駅の元駅員の方が久しぶりにこの地を訪れたら、この木の成長振りに年月の流れを実感し、そして池に癒されたものだなと、かつてを懐かしむのかもしれない。
枯池の大きさは家庭用浴槽程度の大きさで、中に入って鑑賞してみた。びっしりと生い茂った苔が、水が抜かれてからの長い年月を物語っていた。
[2007年(平成19年) 6月訪問](宮崎県えびの市)
真幸駅訪問ノート
1911年(明治44年)の駅開業時の素朴な木造駅舎が現役。肥薩線の木造駅舎と言えば、鹿児島県にある嘉例川駅のように、面積に比しやや背が高いずんぐりした感じのものが多いが、それを思えば、真幸駅の駅舎は小ぶりだ。
1972年(昭和47年)7月6日、豪雨の影響により、裏山の一部が崩落し土石流となって駅と周辺の集落を襲った。山津波とも言われる激しい土石流は、死者4名を出し集落を壊滅させた。被害を受けた全世帯が移転を決め、駅周辺は無人地帯になったという。これほどの被害を受けながらも駅舎は、損傷を受けただけで、奇跡的に助かった。
秘境駅と称されるが、人吉‐吉松間の観光列車「いさぶろう・しんぺい」号が停車するひと時は多くの乗客で賑わう。乗客達はホーム上にある「幸福の鐘」を鳴らすなど、真幸駅でのひと時を思い思いに楽しんでいる。
レトロ駅舎カテゴリー: JR・旧国鉄の三つ星駅舎