駅と駅舎の旅写真・homeへ

姫路モノレール・大将軍駅の痕跡が色濃く残る高尾アパート


伝説の姫路モノレール

 新幹線で姫路の街並みを通り抜ける時、姫路モノレールの廃線跡には強く目をひきつけられたものだ。廃線後も長く、コンクリートの軌道跡は留め置かれ、21世紀になってもなおも残り続けた。その廃れた様は、まるで市街地中心部に大蛇がうねってるようにように私の目に映ったものだ。

 姫路モノレールは正式には姫路市交通局モノレール線と言う。公営だったのだ。開業は1966年(昭和41年)5月17日。姫路駅と手柄山駅の1.6kmを結び、唯一の中間駅として大将軍駅があった。手柄山では同年に姫路大博覧会(姫路博)が開催され、モノレール開業の名目は会場へのアクセス手段としてだった。しかし最終的には市内の交通機関としてだけでなく、鳥取まで延伸する壮大な構想さえあった。

 しかし姫路博が終わると利用客は激減し、1974年(昭和49年)4月11日に休止、1979年(昭和54年)1月26日に正式に廃線なった。

 終点の手柄山駅は取り壊される事なく残存し、内部には当時の車両も保管されていた。しかし、今でこそ手柄山交流センターとして広く公開されているものの、30年以上もの間、車両は山肌の駅舎内部に封印され非公開とされ続けてきた。

 このように、実運行期間が10年に満たない短命さ、姫路市内に残り続ける廃線跡、そして手柄山で眠る車両のため、鉄道ファンにとって、姫路モノレールはどこかミステリアス存在であり、大いに興味をそそったものだ。

 姫路モノレールの大きな遺構としてもう一つ、唯一の途中駅だった大将軍駅も往時の姿のまま残っている。姫路駅にほど近い街中にあり、かつての日本住宅公団(現:都市再生機構)の高層アパート・高尾アパートの中に設置された駅だ。しかし、姫路駅から近過ぎる割に運賃は高いため利用客は少なく、開業から1年半を過ぎた1968年(昭和43年)1月31日に駅休止となり、廃線まで復活する事は無かった。

 それにしてもそんな場所にさえ、現在も、色濃く痕跡を留めているとは驚きだ。廃線時、高尾アパートには既に多くの住人が住んでいたため、取り壊す訳にいかなかったのだろう。

 街中に堂々と遺跡のように痕跡を留めていた姫路モノレールだが、手柄山駅跡の公開、軌道の撤去など、近年で状況は大きく動いてきた。そして、高尾アパートも耐震性の問題から、遂に解体される事になった。予定では2015年中に取壊し工事に入るという。

街中になおも残る廃線跡

 改修が完了し公開が再開された姫路城の喧騒を後にし、地図を頼りに大将軍駅跡こと高尾アパートを目指した。地図で見ると両者の間には、姫路城の敷地一つ位の間がある。意外に近く見えるが、建物が密集する街中の慣れない道を迷いながら進んだ。もしモノレールが姫路城まで開業していたら、姫路城へのアクセス手段として現代まで生き残り、今頃賑わっていたのだろうか…、歩きながらそんな事がふと頭を掠めた。

 だんだん近づいてはいるのだろうと思いながら歩いていると、突然、一本のコンクリートの柱が目に飛び込んできた。

姫路市の街中に残る姫路モノレール廃線跡の橋脚
(街中に忽然と表れた姫路モノレールの橋脚。)

 街角に意味無さそうに佇む長さ10m弱のこのコンクリートの棒こそが、姫路モノレールの廃線跡の遺構で、軌道を支えた橋脚だ。この上に載っていたコンクリート軌道こそ撤去されたが、インパクトは十分。うわ、遂に出てきたかと驚かされ、まじまじと見つめた。

立ち並ぶ商店の建物の中に残る姫路モノレールの橋脚
(建物には橋脚が残ったままだ…)

 左手を見ると、立ち並ぶ商店や飲食店の中から生え出たかのように、何本ものコンクリートの橋脚が突き出ている。橋脚の列は姫路駅の方に向かって点々と続いている。ここまでくれば大将軍駅跡もかなり近いだろう。後は姫路駅とは反対方向に橋脚を辿るだけだ。

街中に残る巨大遺構、大将軍駅があった高尾アパート

姫路モノレール廃線跡、大将軍駅跡こと高尾アパートと橋脚
(廃線跡の巨大遺構、大将軍駅跡こと高尾アパートが現われた…)

 そして、すぐに大将軍駅が入っていた高尾アパートを見つけた。市街地で建物が密集する中、10階建ての抜きん出て高い建物で、まるで要塞のように立ちはだかる巨大な様を見上げだ。ちょうど軌道のカーブ部分のため、建物も緩くカーブが入っている。

 アパート東側には2本の橋脚が残っている。残った橋脚には草木が絡みついている。よく見ると橋脚にはネットのようなものが覆い被され、草木が絡みつかせ緑化しているようだ。

高尾アパート・大将軍駅脇の廃線跡を使った小さな公園。
(緑化された橋脚の間は小さな公園になっていた。)

 そして、2本の橋脚の間は、ベンチや銅像、花壇が配された小さな公園のように仕立てられていた。街中の廃線跡が殺風景にならないように、有効的に活用しているのだろう。 だけど橋脚で草木を生育し見せてしまうとは考えたものだ。

 高尾アパートが取り壊されると、この小さな公園はやはり失われてしまうのだろうか。大将軍駅や姫路モノレールの歴史を留める記念碑的な存在として残せば、手柄山駅跡の車両とは違った面白さがあると思うのだが。

高尾アパート・大将軍駅を貫く姫路モノレールの軌道
(高尾アパートの3,4階部分に大将軍駅があった。今も痕跡が残る)

 駅のプラットホーム部分より少し出たところまでは軌道が残り、往時をより彷彿とさせる。建物は何度か修繕されているせいもあるのか、古くてもボロさはあまり感じない。しかし、軌道と橋脚は廃線以来手付かずなのだろう。すっかり黒ずんでいる。

 建物中層のやや下の3階4階部分を軌道が貫き、駅が設置されている。カーブした軌道からは今にでもモノレールが…、いや、巨大な要塞のようなこの建物にあっては、飛行物体か何かが射出されそうな未来的な雰囲気さえ感じさせる。

高尾アパート: 姫路モノレール・大将軍駅北側
(北側から見た高尾アパート。)

 高尾アパートの北側にまわってみた。かつての日本住宅公団が建てただけに、ニュータウンとか大団地にいくつも立ち並んでいそうな高層マンションを思わせる造りだ。

高尾アパート・大将軍駅跡の駅施設があったと思われる部分
(一角には駅施設だったと思われる構造物も…。)

 住宅公団仕様と言った造りだが、左下の北東側に、何か構造物が付け足されたような造りになっている。ちょうど駅のプラットホームとほぼ同じ高さだ。もしかしたら切符売場、改札口、駅事務室言った駅の各種施設が入った「駅舎」と呼べるような部分だったのかもしれない…。

高尾アパート屋外のコンクリートベンチ
(コンクリートの造り付けベンチ。)

 駅舎だとしたら入口はどこだろうと探したが、30年以上前も前に廃止されたので、店舗など他用途への転用がされたのだろう。駅の入口を見つける事はできなかった。

 建物には半円形のコンクリートの造り付けのベンチが添えられていた。円の内側は植え込みだったようだ。かつては住人や近所の人が散歩の途中や夕涼みなどで、気軽に腰掛けくつろぎ、そして、近所づきあいが自然と生まれるような場所だったのだろう。しかし、植え込みの草木は荒れ、コンクリートは黒ずみ苔が生す。荒んだ様が高尾アパートの終りを感じさせもの哀しさが漂う。

高尾アパート: 大将軍駅下層の店舗部分。しかし退去済み。
(大将軍駅の下は商店などが入っていた。)

 1階など駅の下層部分は店舗として活用されていたようだ。しかし取壊しが迫り、店舗の退去が進み、いまではその痕跡が荒れたまま残るだけだ。

姫路モノレール・大将軍山駅の痕跡を留める高尾アパート南側。
(街中に堂々と残る姫路モノレールの大将軍駅跡。高尾アパート。)

 今度は南東側から高尾アパートの全容を見渡してみた。多くの同じ大きさの窓が、規則的に一糸乱れ無くびっしり並んでいる様が、まるで幾何学模様のようだ。北側から見ると公団仕様マンションだが、こちら側はビルのようだ。そしてレールが建物内の駅構内に吸い込まれていく様子がよく見え、駅があった痕跡を色濃く留めている。

 駅下の1階2階部分は店舗が入り、2階部分は2000年ちょっと過ぎまではビジネスホテルだったというから驚きだ。今思えば、そのホテルに泊まってみたかったものだ…。

 駅部分より上の5階から10階までが公団アパートとなっている。その下には建物に沿って14本の柱が等間隔に並んでいるのが見える。北側も含めれば28本の柱で支えられている事になる。まるで櫓の上にアパートを載せたような造りになっていて、その下に店舗やらが付け足された造りになっているのが面白い。

高尾アパート3階4階: 姫路モノレール・大将軍駅プラットホーム部分をズーム。
(プラットホーム部分をズーム。)

 そして、上層のアパートと下層の店舗に挟まれた空洞に、モノレールが発着するプラットホームがあった。建物の3階4階にあたる部分だ。

 柱の駅部分には、帯のように壁が取り付けられていて、駅内部はほとんど見る事はできない。しかし柱と壁のすき間から、駅の一部をなんとか垣間見る事ができる。プラットホームの縁は赤色だが、色褪せている。もっと何か見えないかと、レンズをズームしファインダー越しに痕跡を探した。しかしこれと言ったものは見つけ出せなかった。だだ、面白半分に何者かが侵入したのか、壁にスプレーで落書きされているのが見えた。

 そういえば、アパートにはベランダが無い。何でそのような設計にしたか知らないが、洗濯物を乾かす時は、難儀したのではないだろうか…。家に帰って高尾アパートの間取りを検索してみると、窓際は部屋に含まれない細長い小室となっているようだ。恐らくここがベランダ代わりの洗濯物干し場だったのだろう。

 窓全体を見渡したり、一つの窓をじっくりと眺めてみたりもした。窓は住人の息遣いが表れる部分だからだ。。しかし、窓のほとんどから、そんな雰囲気は感じられなかった…。いくつかの窓に、洗濯物が干されているのが見えただけだった。迫る解体に向け、店舗だけでなく住人の退去もかなり進んでいるのだろう。

大将軍駅があった高尾アパートを南西側から見る。
(南西側から高尾アパートを見る。)

 南西側から高尾アパートを見上げてみた。東側はカーブの外側に駅舎と思われる構造物が付け足されているが、こちら側はカーブの内側に構造物が取り付けられている。有効に土地を利用しようとしていた事が窺える。こちら側にも店舗か何かが入居していた痕跡があるが、今は寂れたシャッターで堅く閉ざされている。

山陽新幹線高架下の姫路モノレール軌道跡
(すぐ側にはコンクリート軌道が残った部分も。)

 手柄山方面を見てみると、道路を挟んだ反対側は途切れていた軌道がまだそのままだった。その上を山陽新幹線の高架が覆いかぶさる。

姫路・高尾アパート、ずらりと並ぶ郵便受け。
(高尾アパートの郵便受け。)

 アパートに戻り、入口から少し中を見てみたら、郵便受けが多数並んでいた。正面とその右横とL字状にズラリと小箱が密集している様は、まさに昭和のマンモス団地の趣だ。しかし、よく見るとほとんどの投函口は透明のテープで塞がれている。ただ小箱の数だけがかつての賑わいを物語る。

大将軍駅、駅名看板を留めていた?フレーム
(駅名看板を留めていた…?フレームが残る。)

 北東側の駅施設跡と思われる建物の外観をもう一度見てみた。すると建物角、1階の窓の上あたりに看板か何かを繋ぎ止めていたと思われるフレームが残されているのを発見した。何を繋ぎ止めていたのだろうか…?もしかしたら、「姫路モノレール 大将軍駅」と駅名を掲げていたのかもしれない…。

 高尾アパート…、いや私にとっては大将軍駅の跡を存分に堪能したが、やはりプラットホームなど、駅の内部も見てみたい。取壊し前に特別公開でもしてくれないだろうかという思いを残しつつ、姫路モノレールの橋脚を辿り歩くと、10分ほどで姫路駅に着いた。

姫路駅にて…

 姫新線の列車の出発まで時間があり、3・4番ホームを歩いていた。ホーム先端あたりから街の方を見ると、遠くの山々に抱かれた街並みの中、あの高尾アパートが頭二つも三つも飛び出したように建っているのが私の目に強烈に映った。姫路駅前のビルやホテルを除けば目立って高く、そして大きく壁のようにそびえ、眼下の低い建物を悠然と見下ろしている。

姫路駅ホームから見た高尾アパートと姫路市街
(姫路駅から見渡した姫路市街、そして高尾アパート。)

 今でこそ、この風景の中でこれ程のインパクトを放つのだから、建てられた1966年(昭和41年)当時は、どれだけ斬新で堂々とそびえていると人々の目に映った事だろうか。現代の私達が、3~40階建ての超高層マンションを見上げるのと同じ気持ちで、当時の人々は見上げた事だろう…。きっと姫路の人々にとって、高尾アパートの住む事が憧れだった時代もあった事だろう。そして、そこにあった駅は早々に打ち棄てられても、その中に吸い込まれ、颯爽と走り抜けるモノレールは、近未来を先取した風景だったに違いない。街中の大蛇のように異様なものと受け止めていたかつての印象は、姫路を立ち去る頃には塗り替えられていた。


[2015年4月訪問](兵庫県姫路市)

追記: 高尾アパート、遂に解体へ…

 大将軍駅跡こと高尾アパートの取り壊しは、2013年には発表されていた。解体着手は2015年の予定とされていたが、2016年に入っても残存し続けていた。

 しかし2016年6月に、NHKの兵庫県ローカルニュースで高尾アパートの解体が報じられた。5月には姫路市により、解体業者の入札が行われていた。解体は2016年9月からの予定と報道されていたが、7月には既に解体前の細かい準備作業には入っていたとの事。工期は2017年末までの予定。解体には4億円近い費用が掛かるとの事だ。

 取壊しを直前した8月13日14日、姫路市により大将軍駅跡の見学会が開催された。休止より48年振りに一般に公開されるだけあって各メディアで報道され、鉄道ファンに限らず大きな話題を呼んだ。応募が殺到し、定員を400人から700人に増やしたにも関わらず、抽選倍率は10倍を超えた。筆者は残念ながら外れてしまったが。

近未来的駅舎

屋島山上駅(屋島登山鉄道)
※超個性的コンクリート駅舎。2004年10月16日休止、2005年8月31日廃線。(香川県高松市)