地下宮殿!?のようなモスクワの地下鉄駅
モスクワメトロの駅と言えば、宮殿か歴史的建造物のような駅とは思えない豪華な装飾が有名で、モスクワの主要観光スポットにもなっている程。また 長いエスカレーターで降りる地下深くに位置するプラットホームは、冷戦時代、核シェルターとして使う事を想定して造られたとか…
海外の地名は、歴史的な事件や人物にちなんだものが珍しくない。モスクワメトロの路線図を眺めていると、そんな事を連想させる駅名が目に付く。コムソーモールスカヤ、スモレンスカヤ、パルチザンスカヤ、チェーホフスカヤerc…
モスクワ地下鉄にはクトゥーゾフスカヤという駅がある。4号線と環状の14号線が乗り入れる駅で、モスクワ中心部のクレムリンから直線距離で約4kmほど西に位置する。
ロシアの地名の末尾によく付いている「スカヤ」とは村とか集落程度の意味らしいが、「クトゥーゾフ」とはロシア・ロマノフ王朝、18世紀後半~19世紀前半あたり、エカテリーナ2世から、その孫のアレクサンドル1世の頃に武勲をあげた軍人
「ミハイル・クトゥーゾフ」
の事と思った。
有名なのが1812年、皇帝・ナポレオン1世が率いるフランス帝国が侵攻してきたロシア戦役(祖国戦争)。総司令官を引き継いだクトゥーゾフ将軍は、途中の自国内の町を焼き払い、フランス軍の補給を徹底的に断つ焦土作戦を継続し、旧都のモスクワまでフランス軍を奥深くおびき寄せた。そして、ロシアの厳しい冬とロシア軍の追撃が、撤退するフランス軍を苦しめ、ロシアを守り切りった。
ロシアを守った歴史的人物の名前を冠した、モスクワメトロの駅となれば、他の駅と同様に重厚な装飾が施され、クトゥーゾフ将軍の像が堂々とそびえているのだろうと想像が膨らんだ。
実際、クトゥーゾフスカヤ駅に行ってみると…
クレムリンやレーニン廟などモスクワ観光の定番スポットを巡り、メトロの駅をいくつかの駅を見て、夕方頃にクトゥーゾフスカヤ駅にやってきた。
何の事はない、東京や名古屋にもありそうな、ごく普通の現代の駅だった(笑) 地下鉄と言っても、この区間はお城の堀のように切り開かれた掘割式の線路で、見上げると曇り空が見える。駅舎はプラットホームの上にあるようだ。
4号線の隣には、ガラスの仕切りを隔て、14号線のプラットホームが並んでいる。建てられたばかりの最新の駅と言われても何の疑問が無い。きれいで新しい。
予想に反して、重厚でもなく豪華でもないクトゥーゾフスカヤ駅だが、それでもプラットホームを歩いてみた…
すると壁一面には、兵士が戦闘している戦争のイラストが延々と続いていた。兵士のレトロな格好からして、ロシア戦役のものだろう。プリントされたイラストが壁に貼り付けられただけで、重厚感には欠けるが…
もしかしたらと思い、イラストをひとつひとつ確かめながらホームを歩くと…
やはりクトゥーゾフ将軍の姿が!!
更に歩くと、まだがあった。クトゥーゾフ将軍は、戦傷で右目を失っていたため隻眼だった。
もう一つ、戦場で指揮を執るクトゥーゾフ将軍も。ああっ!でもクトゥーゾフ将軍といるのはナポレオン1世…!?? よく考えたら仲良くしているはずないだろう。
宿敵ナポレオン一世は他の所に描かれていた。
ちょっと外に出てみた。
駅舎はガラス張りで開放感ある現代的な造りだ。
駅から少し歩くと線路の上をクトゥーゾフ大通りが横切っていた。片側6車線、合わせて12車線もある化け物のような道路。まさに道路、車の海!東の道路の向こうに見える尖塔のような巨大なビルは、スターリン様式のビル、ラディソン・ロイヤル・ホテル・モスクワ。かつてのホテルウクライナだ。
北の方には、再開発地域「モスクワ・シティ」の未来的な最新のビル群が見えた。
駅から西に数百メートルの所に、ロシア戦役中でも特に激戦だった「ボロジノの戦い」を紹介した博物館「ボロジノ戦闘パノラマ館」がある。
帰国して改めてクトゥーゾフスカヤ駅の事を少し調べてみた。4号線は元々、モスクワメトロ初の路線である1号線の1部だったが、1953年に休止。1958年に4号線として運行が再開された時、キエフスカヤ駅から路線が延伸しクトゥーゾフスカヤ駅が開業したという。当時、モスクワの財政状況は良くなく、実験的にコストカットして造られた駅との事。当時、もし財政的にもっと豊かだったら、私が想像していた通りの駅が出来上がっていたかもしれない。
[2018年9月訪問]