赤坂本町駅跡 (西濃鉄道・市橋線)~中山道の宿場町に残る駅の痕跡~



半世紀以上前は旅客も扱っていた貨物鉄道の駅跡

 JR東海道本線・美濃赤坂線の美濃赤坂駅からまっすぐ伸びる細い道を数分歩くと、商店などが並ぶ通りに出た。車の通行や人通りも程ほどにあり町の中心と言った感じで、裏道にあるような美濃赤坂駅駅前とは雰囲気が違う。

岐阜県大垣市、中山道・赤坂宿を横切る西濃鉄道の踏切

 この道、江戸時代は五街道の一つに数えられた中山道(なかせんどう)で、この地に宿場町「赤坂宿」も置かれた。赤坂宿は江戸幕府の14代将軍家茂に降嫁した皇女和宮が宿泊した事で特に知られている。その事が決まった際、幕府が街道沿いの建物を徹底的に修復させたいわゆる「お嫁入り普請」は、幕府がいかに和宮…、しいてはこの婚儀を重視していたかの表れだろう。本陣跡や宿場町の面影を感じさせる古い建物など、往時を偲ばせるものを眺めながら、東に歩みを進た。その内、中仙道を横切る西濃鉄道市橋線の踏切に差し掛かった。

中山道赤坂宿、西濃鉄道踏切「赤坂本町駅跡」の記念碑

 踏切の側には「赤坂本町駅跡」と書かれた石碑が置かれていた。ここに駅があったのかと思い線路を見てみると、美濃赤坂方に、一目でプラットホーム跡と解る石垣の構造物があった。

踏切から西濃鉄道・赤坂本町駅を眺める

 遠目に見ても、ホーム跡はたった一両分長さしかなく、幅もかなり狭く細長く、無理すれば人がすれ違える程度だ。ホームに密着するように民家が建っているが、駅のスペースが、このか細く短いスペースのみとはさすがに考えづらいので、民家は廃駅後にホームの一部を削り建てられたのだろう。

 西濃鉄道は現在こそ、貨物のみとなっているいが、1930年(昭和5年)2月1日~1945年(昭和20年)4月1日の間、旅客列車も運行されていて、この場所に赤坂本町駅が置かれていた。ガソリン気動車が大垣駅と赤坂本町駅、もしくは路線終端の市橋駅の間を結んでいた。後に市橋駅までの利用者が少ないことから、赤坂本町駅折り返しの運転になった。しかし、戦時中の燃料統制により運行ができなくなり、旅客営業が廃止となり、同時に駅も廃止になった。

西濃鉄道、廃駅となった赤坂本町駅跡、石積みのホームが残る

 踏切側の反対から見ると、階段と解る段差も残されている。古めかしい石積みのプラットホームだが、旅客廃止からゆうに半世紀以上過ぎているのによく残っていたものだ。

 美濃赤坂駅から徒歩十数分程度と大きくは離れていないので、復活させる必要も無かったのだろう。だけど、町の中心にある赤坂本町駅もあった方が、利便性が高まるだろうし、レールがもう敷かれ、プラットホームも一応は残っているので、割と容易に再旅客化ができそうに思えてしまう。「中山道赤坂宿」なんて駅名にしたら、観光的にアピールできるだろう。

 しかし、現在ではプラットホームの背後に民家が建ち、駅としての敷地の確保など面倒な事も多い。加えて制度上、設備上など、難しい事も色々とあるのだろう。何よりも、JR美濃赤坂支線の運転本数が昼間は2時間以上も空く事から、採算が取れる程、旺盛な需要が期待できる訳ではないので、数々の無理を押してまでする価値はないのだろう…

[2007年(平成19年) 1月訪問](岐阜県大垣市)