蔵宿駅 (松浦鉄道・西九州線)~枯池の記念碑は草に埋もれ…~



2010年6月、列車交換の合間に…

 JR筑肥線の肥前長野駅などを訪れ、伊万里駅で第3セクター鉄道・松浦鉄道の有田行きの列車に乗り換えた。

 列車は蔵宿駅で列車行き違いのため、数分停車するとアナウンスがあった。ちょうど駅舎側のホームでラッキーと思い、カメラを手にホームに出ると、左手にあった緑豊かな一角があった・・・。

松浦鉄道・蔵宿駅、駅舎横の枯池のあるミニ庭園跡

 気になって見に行くと、何と枯池だった!

 蔵宿駅は2006年にも訪れていたが、全く気がつかなかった。なので予期せぬ発見を嬉しく思った。もっとじっくり見たい所だが、僅か数分では反対列車が来る気配を気にしながら、数回シャッターを切るのが精一杯だった…。

5年後、じっくり再訪し驚きのモノを発見!!

 そして5年後、再び蔵宿駅に下り立った。今度は列車交換の短い時間ではなく、はじめから下車する予定だった。約10年振りに見る木造駅舎はもちろん、あの池庭跡も大きな目的のひとつだった。

松浦鉄道・蔵宿駅、駅舎横の池庭跡

 駅舎の横に相変わらず枯池はあった。ただ同じ6月とは言え、梅雨で雨をたっぷり吸い取った木々や草は、前回よりより盛んに生い茂り枯池を隠そうとしている。

松浦鉄道・蔵宿駅、植栽と木造駅舎

 古い木造駅舎と緑豊かな庭園があるプラットホームや駅構内は、まさに懐かしいローカル線の駅風景さながらなのだろう。

 ホームをのんびり歩き庭園を眺めていると、何かが雑草や木々の中に埋もれているのに気付いた。

松浦鉄道・蔵宿駅、1964年の東京オリンピック・東海道本線開通記念碑

 その物体はよく見ると、文字が標された小さな石碑だった。石碑には何かが書かれた陶器のプレートが埋め込まれていた。その文字をよく見てみると…。

「東京オリンピック 東海道新幹線開通 記念 1964年7月完成 蔵宿駅」
と標されていた。
「おお!これは…」
と思わず感嘆の声を上げずにはいられなかった。

…と言うのも、蔵宿駅から3駅南でJR佐世保線の乗換え駅である有田駅の1番線にも池庭跡があり、同じ趣旨の石碑があるからだ。そして有田駅のものには、当時の全駅員をはじめとした人々が、東京五輪と東海道新幹線開通という、1964年(昭和39年)の歴史的事業に沸き立ち、汗水流しこの池庭を造ったかが記されている。その文を読むと、駅に池庭が造られたのはこんな理由もあるのだと、深い感慨を覚えたものだ。

裏面にも何か書かれているかもと思い、雨露を厭わず雑草の中に割り入り、石碑の裏側にまわった。すると、造園に関わったと思しき人々の名前が記されていた。まず「蔵宿職員」として6名の名前が記されていた。次に部外協力者として、5名の名前が記されていた。

 有田駅の石碑裏にも同じ銘板があるが、職員ははるかに多い全47人もの名前がずらりと記され、駅の規模の違いを改めて印象付けた。

 蔵宿駅の方には記念碑の由来は書かれていなく、ただ単にタイトル的なものが記されただけだ。しかし「東京オリンピック」「東海道新幹線開通」の二つの言葉は、蔵宿駅でも当時いかに沸き立っていたかを感じさせる。そして同じ方法でその思いを表現した事は、よりこの池庭を印象深いものにしていた。

蔵宿駅訪問ノート

松浦鉄道西九州線・蔵宿駅、古い木造駅舎が現役

 蔵宿駅は1898年(明治31年)8月7日、伊万里鉄道が有田‐伊万里間を開業した当初から設置されている駅で、この区間は松浦鉄道の中で、最も早く開業した歴史ある区間だ。

 駅舎は年月感じる非常に味わい深い木造駅舎で、開業当初の明治~大正期に建てられたと思われる。面積に比し、やや背が高めかなと感じる。待合室と窓口跡はとてもよく昔のままの状態を留めている。

 2014年に新たにカフェが入居したが、残念ながら2015年の6月いっぱいで閉店してしまったようだ。


~◆レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎