飯田線の異空間!? 下地駅と船町駅~豊橋駅の次の駅とその次の駅~



長大ローカル線の片隅に…

 飯田線は愛知県第2の都市・豊橋から、自然豊かな奥三河、木曽山脈、伊那山地の山々の間を縫うように走りながら、長野県の辰野に至る195.8kmのローカル線で、全線がJR東海に属している。

 この195.8kmの路線には、数珠繋ぎのように何と100もの駅がひしめき合っている。飯田線は意外と距離は長くは無いが、山間の路線で、カーブが多いなど線形が悪く駅も多いため、全線を普通列車だけで乗り通すのとしたら約6時間も要する。ちなみに、東海道本線で東京から195kmと言うと、焼津と西焼津の中間位で、普通列車で行くと約3時間30分だ。

 そんな長大ローカル線、飯田線の始発の豊橋駅を出ると船町駅、その次に下地駅がある。共に豊橋市内の駅だ。しかし、船町駅、下地駅に停車する列車は、豊橋‐豊川間の普通列車が主だ。北を目指す列車、または、はるばる北の方からやって来る列車で、この両駅に停まるものは少ない。飯田線内の多い駅にも、一駅一駅丁寧に停車する列車さえも、下地駅、船町駅をほとんど無視してしまうのだ。

 また、下地駅と船町駅を含む豊橋-平井信号所間は、名鉄・名古屋本線と、JR東海・飯田線との共用路線となっている。しかし、両駅は飯田線だけの駅で、名鉄の列車は通過してしまう。

 なぜ、この区間が共用かと言うと、名鉄の前身、愛知電気鉄道が豊橋までの路線を建設する際、コスト削減のため、既に豊橋まで開業していた豊川鉄道(現・飯田線)と協調し、平行する互いの単線区間を、両社で複線区間として共用する事になったからだ。その取り決めは、現在でも受け継がれている。そのため、名鉄の豊橋駅乗り入れ本数は、1時間あたり6本という制限があり、名鉄豊橋口の足枷となっている感がある。

 木造駅舎から秘境駅まで、興味深い駅が多い飯田線だが、下地駅と船町駅も他の駅には負けない強烈なインパクトがありそうで、飯田線の中に秘かに存在する異空間であるとさえ言える。

気になるホーム配置の下地駅

 下地駅の1つ北の小坂井駅に訪れた後に折り返し、下地駅に降り立った。一級河川の豊川沿い、北岸側にあり、周りには住宅が立ち並び、県下第2の都市の雰囲気を感じる。しかし、利用者は少なく駅はひっそりとしている。

JR飯田線・下地駅、プラットホームに挟まれた駅舎

 プラットホームや駅舎がちょっと変わった独特のレイアウトなの気になる。例えるなら「2面2線の島式ホーム」と言った感じの不思議な構造だ。上下線のレールの内側に2本のプラットホームがあり、その間に、小さなコンクリートの駅舎が挟まれるように設置されている。2本のホームは豊川方の先端で繋がっていて、豊橋方に向けてV字状に広がっている。ホームとホームの間に空間ができる訳だが、橋が渡されている部分もあり、両ホームの行き来は困らない。下地駅はまるで島式ホームと相対式ホームの折衷型レイアウトを採っているようなちょっと変った駅構造だ。

 ホームとホームの間の空間を見ると、駅舎が挟まれている以外、地面には背の低い植木が植えられ、何故か赤茶けたバラストが中途半端に敷かれた状態のままになっている。その上には乗客の手持ち無沙汰を示す、タバコの吸殻、空き缶のゴミなどが散乱していた。

JR飯田線の下地駅を通過する!?名鉄名古屋本線の列車

 ホームをうろうろしていると、豊橋行きの名鉄電車が通過していった。

 30分に1本しか列車は停まらないが、飯田線の中長距離列車が通過していき、名鉄名古屋本線の列車、更に東海道本線も平行していて、列車の往来は多く賑やかだ。だけど、上記のような経緯があるとは言え、名鉄の赤い列車が、JRの駅をあたりまえのように通過していく姿はやはり奇妙な感じがする。形態は変則的な相互乗り入れという事になるのだろうが、両社の列車はまるで関係無いと言わんばかりに、そ知らぬ顔で共用区間を走り抜けている。

 名鉄の列車が通過していくたびに、この駅で停まってくれればどれだけ便利なるのだろうと思わずにはいられない。地元の人は尚更そう思うだろう。しかし、JRにしてみれば名古屋方面の乗降客を名鉄に渡すような事はしたくないのだろう。名鉄にしてみれば、豊橋駅の乗り入れ本数が制限されている中、急行などを止め列車の所要時間を延ばすと、全体的に見てかえってJRとの競争に不利になってしまうのだろう。また、面倒な交渉をしてまで列車を停車させるほどの駅でもないのだろう…

JR飯田線・下地駅への階段

 ホームに挟まれた駅舎の正面から、築堤の間を潜るように、階段が伸びている。築堤が高い位置にあるので、結構な段数のある階段だが、ローカル線の小駅にエスカレーターなどという洒落たものは無い。運動不足の私がこの階段を上がった時はややきつかった。

JR飯田線・下地駅、現在の上下線に挟まれたレンガの橋台跡

 下地駅のそばを流れる豊川沿いには、レンガの古い橋台が対のように仲良く並ぶ。使い古されたレンガからはレトロさが漂い飯田線の歴史を垣間見える。その両脇を飯田線、名鉄名古屋本線の列車が走り去っていく。

 下地駅の奇妙なレイアウトと、このレンガの橋台から推察すると、元はこの橋台を飯田線、名鉄の橋梁が掛けられていて、下地駅も一般的なホームだったと思われる。だが、橋梁、線路付け替えのため、新しい線路は旧線路の両脇に変更となり、駅舎の配置はスペースの都合上で空白となった旧線部分に付け替えられたのだろう。下地駅から平井信号所までの区間でも、複線の線路の間に、橋台など旧線の痕跡が見える。下地駅の2本のホーム間の地面がにバラストがあったのは、旧線の名残なのだろう。

貨物駅跡?横で肩身が狭い船町駅

 下地駅から豊橋行きの上り列車に乗り、豊川を渡り南岸に到達するとすぐに船町駅だった。

JR飯田線・船町駅、狭い通路とプラットホーム

 船町駅は下地駅と違い、普通の島式プラットホームの形状だが、線路の間で肩身が狭そうに佇むか細いプラットホームだ。通常の1面よりかなり狭い。そしてホームから階段を下りると、同じ幅の通路が続いている。柵こそあるが、線路と同じ高さで、真横を列車が駆け抜けてゆく。階段を下り降りて曲がりると狭い通路があり、下り線の線路の真下をくぐった。高さは低く、枕木と剥き出しのレールが眼前に飛び込んで来る迫力ある光景だった。

JR飯田線・船町駅、駅舎内の切符売場跡

 そして、駅舎内部に至った。ベンチ数脚しかなく、5、6人もいれば満員になってしまいそうな程狭い。小屋…? 入口にある守衛室のような趣の駅舎だ。これでも昔は有人駅だったようで、小さな切符売場跡が塞がれつつ残っている。

JR東海・飯田線・船町駅、小さな簡易駅舎

 築堤横にある駅舎は昔風の小さな駅と言った感じだ。「船町駅」と掲示された文字の形もどことなく昔風で、レトロな雰囲気を醸し出す。

 改めて外から駅を見てみると、あまりの小ささに驚かされる。奥行こそはやや長いが、駅事務室もかなり狭そうだ。駅舎は切符を売るための最小限のスペースと言え、旧国鉄の有人駅の駅舎としては、最も狭い部類に入るだろう。

 プラットホームの狭さも考えると、この地に無理やり駅を設置したという雰囲気を強く感じる。

JR飯田線・船町駅横の貨物ヤード

 船町駅の東側一帯には、貨物ヤードが広がっていた。だが、何本ものレールはすっかり錆び、枯草が構内に茂っている。一瞬、廃止された貨物ヤードなのかと思ったが、駅舎横の踏切は割と古びていなく、掛けられている注意書きも古そうではない。廃線になると、踏切には「この踏切は使われていません」などと掲示されている事が多いが、それも無い。構内には、貨物コンテナがいくつも積まれている。よく見ると、運送会社のスペースらしいが、ここに実際に貨物列車が乗り入れているかなど、運行の実態はどうなっているのだろうか…。

 船町駅から立ち去ろうと、切符売場跡を通り過ぎた。すると頭上からガチャンガチャンと鉄がやかましく響く音にびっくりさせられた。ちょうど豊橋方面への通過列車が駆け抜けていったいったのだった。

[2002年(平成14年) 1月訪問](愛知県豊橋市)

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