大畑駅 (JR九州・肥薩線)~周囲に民家が無い秘境駅で夜を迎える…~



明治の木造駅舎が残る駅

 肥薩線の旅を楽しんでいた4月のある夕方、人吉駅から吉松行きの列車に乗り、一駅の大畑駅(おこばえき)で下車した。

熊本県人吉市にあるJR肥薩線・大畑駅、桜が満開

 かつては難所「矢岳越え」を往来する列車たちが、ひと時、体を休めた広い構内跡のあちこちは満開の桜で彩られていた。

JR九州・肥薩線・大畑駅、ホーム上の湧水盆から湧き出る水

 プラットホームの端では、湧水盆という花の形をした盆から水が溢れ出ている水場があった。水はとめどなく溢れ出、ホームをも濡らしバラストまで伝い落ちている。蒸気機関車時代、機関車付け替えの合間に、機関士や乗客達がこの水ですすで汚れた顔を洗ったという。天然の湧水との事で、飲んでみたい気はするが、飲用禁止の看板が出ている。

JR九州・肥薩線の秘境駅、大畑駅の木造駅舎

 大畑駅には、明治42年(1909年)の駅開業以来の木造駅舎がいまだに残っている。駅事務室部分が拡張されるなど、改修の跡は見られるが、それでも昔の趣をとても良く留めた外観だ。

 もうすぐ日が落ちようとしている今、人の気配が無くひっそりとしている。しかし、いさぶろう・しんぺい号の運行など、近年の肥薩線活性化で観光客が増えたためか、カラフルな民芸品や記念撮影用のボードが駅舎を賑わしているのが目を引いた。

肥薩線、明治の木造駅舎が残る大畑駅、ホーム側の改札口

 駅舎に近づいてみると、改札口、造り付けのベンチなど、隅々まで木の使い込まれた質感が刻まれ、より味わい深い深さが迫ってくるかのようだ。改札口跡は狭く、ラッチがとても小さいのが印象的だ。山中の駅で、昔から利用者はさほど多くなかったのだろう。

肥薩線・大畑駅の木造駅舎、待合室の長椅子

 大畑駅名物と言えば、待合室の壁や窓に貼られた大量の定期券、名刺や紙切れの数々だ。全国からの大勢の訪問者が、大畑駅訪問記念に貼り残していったもので、よくもまあこんなに集まったものだと感心させられる。

 しかしそんなインパクトに埋もれながら、窓口跡など待合室は昔のままの造りを垣間見せる。造り付けの木製ベンチを支える持ち送りは、和風建築を思わすような曲線の形状をしている。すぐに造れるようなものではなく、100年も昔、一つ一つ大工さんが手作業で彫り込んで行ったものなのだろう。もっと簡単に、棒や板切れのようなものでも良さそうなのだが、こんな目立たない所に凝るなんて職人としての美意識かこだわりなのだろうか…?ただ感嘆だ。

 ベンチの表面には幾重もの木目が浮かんでいる。開業以来、大勢の人にひたすら座られ続けたのだろう。まるで削られるように、そして磨かれるように…。古い木造駅舎らしい、そんな使い込まれた質感が素晴らしい。

JR九州・肥薩線・大畑駅、明治42年築の木造駅舎が現役

 大畑駅駅舎を正面から見てみた。素朴で典型的な木造駅舎らしい雰囲気だが、肥薩線の他の木造駅舎と同じく、背が高めでずんぐりむっくりとしたデザインだ。ただ利用者数を考慮してか、嘉例川駅など同線他の駅に比べより小振りだ。木の板の古い質感はもちろん、庇のコンクリート瓦が苔むしている所などにも、この駅の過ごしてきた年月を垣間見る事ができる

 飲み物の自販機があるが、周囲は黒い板で囲われている。明治の木造駅舎には現代のモノは似合わない…、そういう配慮だろう。

 2007年に、この駅本屋や湧水盆、石造りの給水塔など大畑駅の古い鉄道施設が近代化産業遺産の中の「南九州近代化産業遺産群」に登録された。

大畑駅周辺を歩いてみる

JR九州・肥薩線の秘境駅・大畑駅前、人家は皆無の秘境駅

 駅前には道が1本通っているだけで、周囲は小高い山や林に囲まれている。この僅かな空間を拓きこの大畑駅を作ったのだ。まさに秘境駅と言える雰囲気だ。住人が姿を現す事も無く、私がいる間、僅か数組の車利用の観光客が訪れただけだった。でも、それ自体も驚きだが。

JR九州・肥薩線・大畑駅、木造の詰所跡

 道を進んでいくと、保線員の詰所と思しき木造の建物が残っていた。その背後には、蒸気機関車の給水塔だった石造りの円柱状の構造物が見える。

 ここから駅を離れ少し進むと、道は二手に分かれていた。う~ん、どっちに進もうか…。その一方に進んでみると、まさに山の中の道路だった。一分程歩くと何かの作業場らしき建物が見えたが。今日は休みなのか、既に廃業したのか、無人で明かり一つついていない。集落まで下りてみたかったが、先に見えるのは鬱蒼としてた山林の中に続く道のみで、すぐに人里が現れる雰囲気ではなかった。空は暗くなりはじめ、こんな寂しげな夜道を戻らなければいけないと想像すると不安になり、足は自然と駅の方に戻っていた。


 大畑駅は険しい地形を乗り越えるためのループ線の途上にあるスイッチバック駅で、駅から出発する列車は来た方向に引き返す形になる。では行き止まりになっている筈の、更に先はどうなっているのだろうと思って先に進んでみた。錆びた2線分のレールはいまだに残り、ゆるくカーブした後に車止めがあった。しかし、もう一線は更に延び続けていた…

JR九州・肥薩線の秘境駅、大畑駅から眺める絶景

 レールは直に途切れた。そして山深い景色が開け、人吉盆地を見下ろしていた。まさに絶景だ。人はこんな所を切り開き定住して、そして鹿児島までレールを通したのだと思うと、それがいかに凄くて、造り上げた人々がいかに偉大かを思い知らされる。

 天気が良いと、もっと広々とした素晴らしい眺めが望めるのだろう。そして山桜咲く春、緑眩しい夏、燃える紅葉の秋、雪で白く染まる冬…、四季折々の絶景が楽しめる事だろう。ここを展望台として整備すれば、大畑駅の新しい名物になるのではないだろうか…。

肥薩線「矢岳越え」の列車が身を休めた広い構内跡

 構内に留置される車両がすっかり無くなり寂しくなってしまっても、先人が植えた桜は春になると忘れずに咲き誇る。夜の帳が降りる暗がりの中、艶やかに咲く様が昼とまた違った魅力があり印象的だ。

肥薩線・大畑駅構内、鉄道工事殉職病没者追悼紀念碑

 桜並木の奥に入った所のループ線の入口辺りには、SLの動輪と「鉄道工事殉職病没者 追悼紀念碑」という碑がある。道無き道を切り開いた先人達の苦難を思い、私も静かに手を合わせた。

夜の闇の秘境駅、暖かな灯りに包まれ…

JR九州・肥薩線・大畑駅、待合室に貼られた定期券や名刺

 駅舎に戻ってくるとと、待合室には明かりが灯ってた。オレンジ色の灯りが、定期券と名刺がたくさん張られた古い待合室を温かに照らし、訪問者をノスタルジック感溢れるような…はたまた異世界のような不思議な空間へと導く。

JR九州・肥薩線、秘境駅ムード溢れる夜の大畑駅

 暗くなっていくと、至近に民家が無い大畑駅前はどんどん寂しい雰囲気になっていく。もう観光客の気配も無く、時折吹く風が木々をざわつかせ、私の足音がなるだけだ。そんな夜の秘境駅のムードに酔いしれるような、不安を感じるような気分が複雑に入り混じっていく。

肥薩線、夜の大畑駅、浮かび上がる定期券や名刺

 駅舎ホーム側の行灯式の駅名標が灯っているのに気づいた。下車した時に気づいていたが、随分古そうなので、閑散とした無人駅ではもう点かないだろうと思っていたが…。浮かび上がった大量の定期券や名刺と共に、独特の雰囲気を醸し出している

肥薩線、スイッチバックを下り大畑駅にやってきた人吉行き最終

 人吉行きの単行列車が軽やかにループ線を下り、スイッチバックし大畑駅に入線してきた。これが人吉行きの最終列車だ。この駅で下車した人は居なく、乗車したのは私だけだった。片手で数えられる僅かばかりの乗客を乗せ、列車は大畑駅を後にした。

[2012年(平成24年) 4月訪問](熊本県人吉市)

レトロ駅舎カテゴリー: 三つ星 JR・旧国鉄の三つ星駅舎

追記: フレンチレストランが開業、しかし…

 2018年(平成30年)9月8日、駅構内の詰所跡を改装し、フレンチレストラン「囲炉裏キュイジーヌ LOOP」が開業した。要予約。矢岳駅駅長官舎を改装した宿と共に、株式会社CLASSIC RAILWAY HOTELの経営。ディナーはホテル宿泊客の限定との事。


しかし、令和2年7月豪雨の影響で、地域は甚大な被害を受け、不通となった肥薩線も復旧の見込みは立っていない。そして新型コロナウィルスの影響もあり、運営会社は事業継続は困難と判断し、同年11月に会社清算となった。 今後は、(株)NOTE人吉球磨を中心に、地域の人々が事業再開を模索するという。何か動きがあれば公式ウェブサイトに情報が載るかもしれない。