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下切駅 (JR東海・太多線)~ありし日の春の風景を想う…


桜の名駅、太多線の下切駅へ…

 岐阜県の多治見駅と美濃太田駅を結ぶ太多線の駅の一つ、下切駅で下車した。単線上に一面のホームがあるだけの無人駅と、典型的なローカル線の駅だ。この駅は、ホーム沿いに何本も桜が植えられている事で、この地域の鉄道ファンにはちょっとは知られた存在だ。

太多線、下切駅ホーム
( 4月、桜を求め太多線の下切駅で下車した。)

 しかし、いざ下切駅に着くと、期待していたような最も春らしい風景が目の前にあったのではなく、まるで、この駅だけ冬であるかのように、枝だけの桜の木が並んでるだけだった。東海地方の平野部では桜が満開で、下切駅周辺が名古屋と比べて、特に気温の差が大きい訳ではない。仮に、これから咲くにしても蕾はもっと目に付いていいはずで、もう散ってしまったとしたら、葉桜となっていたり、花びらが地面に落ちていてもいいはずだ。しかし、それらのような様子は無く、狐につままれたような気分になった。

下切駅(JR東海・太多線)。花を咲かせていない桜の木。
( しかし、桜の木は枝のままだった… )

 そんな状況に戸惑いながらも、私は頭の中でもう一つの可能性を手繰り寄せていた。
「この桜の木々達は死んでしまったのか」と…。
そう思うと、心なしか木々はしわがれ、活き活きとした生命力が伝わってこない。折れた太い枝が、落ちそうになりながら、皮1枚で木と繋がったまま、風にぶらぶらと揺れている様が、そんな印象を強くする。

 しかし、よく見ると、複雑に伸びた多くの枝に埋もれるように、所々で薄いピンク色の花が咲いていた。違和感と不安に支配されながらも、桜の花が見られた事で、ホッと安心感も湧いた。 だけど、今思えば、それは桜の木々達の最期の輝きだったのだ…。

下切駅、僅かばかりの桜が花を咲かせていた。
( 桜は所々でひっそりと咲いていた。)

[2001年4月訪問]

それから…

 下切駅を訪れてから1年が過ぎ、また春がやってきた。高山方面に行った帰りに、美濃太田駅から多治見行きの列車に乗り込んだ。下切駅のあの光景が頭から離れなく、今年は見事に花を咲かせているのだろうかと気になった。

 下切駅到着直前、車窓の外を注視した。

 そして、列車は下切駅ホームに滑り込んだ。だが…、呆気無い程、すっきりした光景に我が目を疑った。ここは本当に下切駅なのかと一瞬疑った。だけど、駅名標を見直して、すぐに現実に戻った。ホーム沿いに賑やかに植えられていた桜の木々達は、見事なまでに消え去っていた。やはり、寿命か病気で、もう花を咲かせる事が出来なくなり、残しておいても倒木の危険があり早々に切り取られたのだろう。

下切駅(2003年6月)
( それから2年後の下切駅…。)

 そして更に、1年を過ぎた6月、再び下切駅に降り立った。梅雨どきで、空からは小雨がぱらついていた。

 去年、車窓から見た通り、プラットホーム沿いを賑わしていた桜並木は無かった。ただ、ホーム盛土の木々が伸びていた場所に、切り株だけが残されかつての面影を伝えていた。地中に伸び切った根まで完全に除去しようとすると、駅のホームそのものも取り壊す必要があるので、残してはいるのだろう。だが、切断面を露に切り株が残されている様は、骸が晒されているようで痛々しく、桜の木がかつてはここにあった事を忘れさせてはくれない。失われたものへの無念さを突き付けられながら、切り株を見るしかなかった。

  線路脇の紫陽花をよそに、雨の中、列車待ちの徒然に、ついに見る事が無かった桜がありし日の下切駅の春の風景を想像していた。

~列車がこの駅に進入すると、車窓は一瞬にして桜色に染まった。車内のあちこちからは、その美しさに感嘆の声が漏れた。
桜に誘われこの駅に降り立ち、ホーム沿いで咲き乱れた桜に彩られる駅の華やかさに酔いしれた。優しい風に揺られ、花びらがひらひらと私の足元に舞い落ちた。誰もいない駅で桜と戯れるように過ごす春の日…~


[2003年6月訪問](岐阜県可児市)

下切駅、桜は伐採され切り株だけが残る。
( 地面残る桜の切り株。)
下切駅待合室。
(待合室。)
雨の下切駅ホーム
(6月某日、雨に濡れる下切駅。)