行川アイランド駅~楽園の入口だった駅は秘境駅に…~



閉園後も駅名に名を残す…

 JR東日本・外房線、千葉県の勝浦市にある行川アイランド駅が秘境駅として見られるようになったのは、行川アイランドそのものが閉園され乗降客が激減したにも関わらず、駅は廃止されず、駅名にその名を残しているからだろう。

 行川アイランドは様々な鳥類や植物の展示し、設立に際し「鳥の楽園」を目指したという。他に、ホテル、プール、野外ステージなどを擁した一大レジャー施設で、1964年に開園した。特にフラミンゴ・ショーは同園の目玉として特に有名だったという。

 その最寄り駅として、行川アイランド駅は1972年の7月2日に臨時駅として開業し、JR化時に常設駅に昇格した。だが、入場者数が徐々に減っていき、2001年8月31日を最後に閉園されてしまった。私は元々、そういうレジャー施設的なものへの興味は薄いので、当時は違う地方にある行川アイランドに興味を持つ事は無かったし、閉園のニュースに接した記憶さえも無い。

 だが、今頃になって関心を持つようにになったのは、秘境駅・行川アイランド駅の存在が鉄道ファンとして気になるようになったからだろう。また、話によると、行川アイランドは閉園後5年以上が過ぎても、施設が取り壊される事は無く、寂れていく姿を晒しているままだという。

上総興津駅のフラミンゴ!?

 行川アイランド駅に行く前、隣の上総興津駅で下車してみた。古い木造駅舎が残っているからという理由だったのだが、外に出て驚いた。レンガの外装を持つ水槽のような池があり、そこに何と2羽のフラミンゴのオブジェがあったのだ。駅の坪庭、枯池に興味を示す私だが、この池とは…、そしてフラミンゴとは…、まさに行川アイランドをモチーフにしたものに違いない。展示されていた数々の鳥の中から、フラミンゴがこうして選ばれるのは、フラミンゴはやはり行川アイランドのトップスターだったのだ。フラミンゴのいるこの池を見て、行川アイランド訪問の気分を高揚させたり、この池とともに記念撮影をする人も大勢いた事だろう。

JR東日本・外房線・上総興津駅、フラミンゴのいる池

 行川アイランド駅の設置が1972年で、それまでは同じ勝浦市内にある上総興津駅が行川アイランドへの最寄り駅だった。行川アイランドが閉園になった今も、最寄り駅の座を奪われたこの駅の池は枯れることなく水が注がれ、フラミンゴがスラリとした長い脚を誇るように佇む姿は、どこか皮肉に見える。そして、本物のフラミンゴはどこに行ってしまったのだろうか…

 このフラミンゴのいる池を見て、行川アイランド駅訪問の気分が高まり、次の外房線下り列車を待った。

行楽駅の面影残す寂れた駅を歩く

 やって来たのは最新鋭の特急車両E257だった。間合いで普通列車として運用されているいのだろう。

外房線、E257運用の普通列車で行川アイランド駅へ

 一区間で下車するのは惜しいと思いながら外を眺めていると、両端を緑が迫る谷間に、アスファルトが敷かれた広大な土地が忽然と姿を現した。行川アイランドの駐車場だった所だ。東京など首都圏から車で来園する人も多かったのだろう。だが、2001年、閉園されてから跡地再利用の目処がなかなかつかなく、広大な空地が残ってしまった。そんな所を、地元の人がのんびりと犬の散歩をしているのを車内から眺めながら、ここはもう閉園されているのだと実感した。

JR東日本・外房線の秘境駅!?行川アイランド駅ホームと待合室

 列車は一面一線のプラットホームに入線した。ローカル線小駅の典型的な配線だが、かつては特急も停車していたためか意外と長く、ホーム床面には特急停車時の扉を位置を示した表示も残る。

 緑深い谷の間に強引に作ったような駅で、道路西側はすぐにトンネルとなっているどんづまり感のある立地だ。国道が併走している他、駅の周囲にこれと言ったものは無く、至近に人家さえも見えない。だが、学生が一人下車して驚かされる。閉園後、利用者が激減し廃止も検討されたと言うが、地元の要望で残されているらしい。閉園され利用者が減り、秘境駅と呼ばれるようになっても、地元の人には大切な駅なのだ。

外房線・行川アイランド駅、簡素な待合室内部
JR東日本・外房線・行川アイランド駅、待合所?

 プラットホーム上には簡素な待合室があるのみだが、駅舎やトイレなど駅の諸施設への距離は、1面1線の棒線駅にしては異様に長い。待合室横の階段を下りて、ホーム沿いに行川アイランドの方に数十メートル歩かなければいけない。通路と言える空間だが、まるで、駅舎とホームの間に駐車場が立ちはだかっているかのように、アスファルトの空地ががらんと広がっているの。

 すぐ側に駅舎とホームをつなぐ階段を作ればいいのにと思い不思議に思った。しかし、遠足など団体の列車利用もそれなりにあったのかもしれない。なので、狭いホームが大人数で溢れかえる危険な状況を作るよりは、混雑時に団体客が待機したり整列したりする中間地点を作って、安全を確保したのだろう。もしかしたら千葉県内の幼稚園や小学校などの定番の遠足先だったのかもしれない。

 そう想像を巡らすと、普段は静かな駅が、団体の喧騒で包まれる光景が思い浮かんだ。活気ある駅の様子を嬉しく思ったり、一方で、こんな状況に遭遇したら、一人旅の自分はきっと身の置き場に困惑してしまうだろう…。しかし、もうそんな場面に遭遇する事がないのに気づき、私の頭の中に再現された賑やかだった時代が一瞬にしてかき消された。

JR東日本・外房線・行川アイランド駅、寂れたトイレ

 待合室からその場所まで歩いて来ると、駅の諸施設に至る。まず右手に男女共用のトイレがあった。中は見ていないが、古びたまま放置された雰囲気で、入るのはおろか、ちょっと見るのさえためらわれる。それに、カメラ片手にトイレの中をうろつくと犯罪者扱いされてしまうので注意が必要だが(笑)

JR東日本・外房線・行川アイランド駅、今は使われていないロッカー

 トイレの裏は屋根が付いた物置のようなスペースとなっているが、何か注意書きがあり、よく見ると「コインロッカーのご使用についてという」ものだった。かつては、ここにコインロッカーが賑やかに並び、荷物を預けて手ぶらで遊ぶ事もできたのだろう。

JR東日本・外房線・行川アイランド駅、通路の藤棚

 その次に、通路をトンネルのように覆う植物棚が設置されている。小さな駅だが、駅利用者の大半を占た行楽客の気分を盛り上げるものとして設置されたのであろう。

 ここまで歩いただけだが、あちこちからレジャー施設の最寄り駅だった香りがいまだに立ち昇ってくるかのような心地を感じていた。

JR東日本・外房線・行川アイランド駅、今は無人駅…

 あれこれと物があり、ようやく駅舎に達した。駅舎は改札や切符販売など、駅窓口の機能しか有しない小さなものだ。待合室の類は、すぐ近くには併設されていなかったようだ。かつては有人駅だったが、行川アイランド閉園後に無人化され、今では窓口のシャッターや扉は固く閉ざされている。

千葉県勝浦市、JR外房線、南国ムード漂う行川アイランド駅

 寂れた改札口を通り抜け駅舎を正面から見てみた。駅前や駅舎周辺は、空を目指して伸びているかのように成長した蘇鉄たちに取り囲まれ、何とも南国的なムードが漂う。
「列車を降りたらトロピカルなムードが漂うリゾート!!」
温暖な房総地方や行川アイランドのイメージとともに、列車でこの駅を訪れた人々は、蘇鉄が醸し出す雰囲気に、旅の気分を高揚させたのだろう。今は秋の行楽シーズンの土曜日…、晴れた空…。だが、この駅が行楽客の賑やかな声でさざめく事はもう無い。国道をせわしなく行き交う車の音が響くだけだった。