屋島山上駅 (屋島登山鉄道)~近未来的でレトロな…?超個性的駅舎~



2004年10月16日以来休止中の屋島ケーブル

 私が源平合戦の古戦場として有名な香川県高松市の屋島に行こうと思ったのは、NHKで放送中の大河ドラマ「義経」に触発されたから…、ではない!

 屋島登山鉄道(通称:屋島ケーブル)の屋島山上駅の存在ゆえだ。本で屋島山上駅の駅舎を目にし、近未来的でSFに出てきそうな不思議な建物が印象に残り、いつか見たいと思い続けていた。

 屋島は香川県有数の観光地で、見所の多くが地上約300メートルの屋島山上にある。源平合戦の史跡の他、四国八十八ヶ所84番札所の屋島寺、水族館、瀬戸内海を望める展望台などもある。それら観光スポットへのアクセスの一つがケーブルカーの屋島登山鉄道で、琴電屋島駅最寄の屋島登山口駅と屋島山上駅を結ぶ。

 だが、屋島登山鉄道は経営悪化のため、運行は2004年(平成16年)10月15日を最後に休止となってしまった。当初、ケーブルカーはかなり賑わったというが、有料道路・屋島ドライブウェイの開通やモータリゼーション化に客を奪われ、更に、近年の屋島山上観光の衰退も大きかった。

 運行最終日は、お別れ乗車をしようという乗客が多数訪れたというが、電気系統のトラブルのため、運行できなかったというトホホなエピソード付きだ。だが、あくまでも、廃線ではなく休止で、運行を引き継いでくれる事業者を探してるとの事だが、そのような事業者が現れる気配は無く、実質的には廃止と言えるだろう。そのような状態だから、いつ正式に廃止が決定されても不思議ではない。そうなったら、あの屋島山上駅は取り壊されるだろう。

 普通、鉄道が廃止されると、代替交通機関としてバス路線が開設される事が多い。だが、屋島山上に向かうバス路線は設定されなかった。いくらモータリゼーションが進んだ社会とは言え、私みたいに公共交通機関で屋島を訪れようとする者には大いに不便で、そのような人々への対策が考慮されない事へ疑問を感じた。(※1

 訪問手段は、登山道を上るか、タクシーで有料道路・屋島ドライブウェイを通るかしか無い。登山道は片道1時間以上も掛かる。タクシー料金は高い上、屋島ドライブウェイの通行料600円が上乗せされ、それが往復分掛かるのは痛いが、タクシーしか選択肢は無かった。

いざ屋島へ…

 琴電志度駅から列車に揺られ、琴電屋島駅で降りた。メルヘンチックに塗装された洋風駅舎を抜けると、緩やかな坂があり、坂の先には屋島登山口駅が見える。そして、木々を切り開き急峻な屋島を這い上がるような屋島登山鉄道の軌道が見える。この軌道の傾斜角度は日本一だったとか。

 駅前の坂に何台かのタクシーが停車していたので、先頭の車に乗り「屋島山上駅」までと告げた。走り出して程無くして、屋島ドライブウェイの料金所を通過した。運転士さんが、「ウチは回数券を使ってるから、500円で通れる」と自慢げに教えてくれ、少し得した気分。タクシーはぐいぐいと坂を登っていき、先程まで街中にいたのが信じられない位の高さで、もう海や街を見下ろしていた。

 10分もしない内に、タクシーは屋島観光の拠点となる大駐車場に着いた。ただっ広い駐車場だが、観光オフシーズンの平日のためか、車の数はまばらだ。運転手は、駐車場隅のレストランの前で車を止めた。私は「屋島山上“駅”までですが…」と言うと、一瞬、きょとんと呆気に取られた表情をした。車が入れるのがここまでと思い「行けないのですか?」と聞くと、そうではないようで、「分かりました」と再びアクセルを踏んだ。

 大駐車場を離れると、緑に覆われた山道のような道路になった。直に着くのだろうと思っていたが、なかなか着かなく、人の気配が無い道路を曲がりくねりながら、どこに行ってしまうのだろうと不安が過ぎる。もちろん、タクシー料金も大いに気になり、メーターと外の景色を交互に目を遣る。

 そう思っていたら、突然、白い要塞が目の前にそびえているのが見えた。
「!!!」
行き止まりに立ちはだかる建物の、写真だけでは感じる事が出来ない強烈な雰囲気に一瞬にして圧倒され、目が釘付けになった。もうタクシー料金がどうのと言うケチ臭い思考は、私の頭の中から完全に飛び去っていた。

廃虚と化した近未来的レトロ駅舎!?

 ケーブルカーが休止となった今、駅前に観光客の姿は無い。夕暮れ時、運行中なら、帰路に着く観光客で賑わう頃なのだろうが…

 駅前では、ここの住人なのか、中年の男性がのんびりと洗車をしている。放し飼いの犬が見慣れぬ訪問者に感心を示し寄り付こうとする。たじろぐが、洗車中の男性に窘められると、寄りつくのを止めた。随分とおりこうさんだ。

近未来的な洋風駅舎、ケーブルカー屋島登山鉄道・屋島山上駅
屋島山上駅、屋島ケーブル休止で固く閉ざされた駅舎。

 改めて、屋島山上駅に対峙するように立った。1929年(昭和4年)の開業時からの駅舎で、当時は屋島南領駅という駅名だった。戦時中の1944年(昭和19年)2月11日より休止となったが、1950年(昭和25年)に営業再開され、その時に屋島山上駅と改名された。

 それにしても凄い建物だ…。モダンな洋風駅舎、SF映画に出てくるような建物、秘密研究所、白亜の未来的城郭、アニメに出てくる基地…、しかし前時代的でレトロな雰囲気も漂わす…、何とも表現しがたい、いや、何とでも表現できてしまうような並外れて個性的で不思議な駅舎だ。

 いくつかの四角を組み合せたような形状で、そこからいくつもの庇が伸び出ていたり、大きさの違う窓があったりと、直線的で複雑な形状を作り上げている。出入口横に、小さな丸窓がある。小さいが、直線的な建物の中に埋もれる事無く存在感は十分で、むしろ直線だらけのこの建物を引き締めている。建物に調和し、いいアクセントになっている。

屋島登山鉄道・屋島山上駅、直線ばかりの駅舎の中、丸窓が一点。
屋島ケーブル・屋島山上駅、廃線同様で廃虚ような駅舎内部

 出入口の扉は、完全に閉じられいる。ガラス窓ぎりぎりまで顔を寄せ、中を覗いてみた。寂しくがらんとした様がまるで廃虚のようだ。しかし、3本の円柱の柱がどっしり打ち込まれたような重厚感ある洋風建築のムードだ。例え、ケーブルカーの駅としては復活できなくても、埋もれさ朽ち果てゆくままにするのはあまりに惜しい。何とか有効活用してほしいものだ。

 奥に「屋島ケーブル」と大きな看板を掲げた切符売り場があった。駅の出札口というより、売店と言った感じがする。その左側には乗車用の改札口が見えた。

屋島山上駅駅舎、頂上には電波のような形をしたアンテナがある。

 屋根からはアンテナのような不思議な棒状の構造物が天に向かって伸びる。棒の周りを複数の輪が囲み、上のリングになるに従い、大きくなる。これはアンテナか、避雷針か…、それともただのオブジェだったのか…。元々の設置目的は分からない。ただ、「電波を形にしたらこうなった」といわんばかりの形状は、眠りに就いている駅にあって、未だに何かを発していると感じさせられる強烈なインパクトがある。

屋島山上駅前の店じまいとなった土産物屋。商品が寂しそうに並ぶ。

 駅前の両脇には商店街のように土産物屋が数軒並んでいる。しかし、古びてくすんだ空気を漂わせ、扉はどこも閉じられ営業している気配は無い。屋島ケーブルが休止となり、場末となった行き止まりの山上駅は、屋島山上の中で辺境のようになり、観光ルートから完全に外れ、商売にならなくなってしまったのだろう…。

 ある土産物屋をガラス越しに覗いてみると、ショーウィンドーに商品の置物が並んだままだった。古いセンスが漂う商品は、たぶん長い間買われる事無く、店頭に並んでいたのだろう。そして、もう観光客に買われる事は無い。しかし、いまだに整然と並んだまま西日を浴びる様が、買われるのを待っている…、いや、私に買ってと必死に訴えかけているような物悲しさを誘う。ごめん…、と心の中で言うしかなかった。

 廃れた空気漂う駅前にあって、駅の左側にある、新しいピカピカの公衆トイレが異彩を放つ。多分、建てられて数年しか経ってないのだろう。隣には、荒れ果てた旧いトイレも残り、古びたものばかりのこの場所で余計に浮いて見える。観光客がほどんど寄り付かなくなった今となっては、この新しさは虚しく映る。大駐車場からここまで、これと言った建物は見当たらず、人も歩いていなく、突然、時代から取り残されたような駅舎と土産物屋が忽然と現われた…。ここだけが、まるで別世界だ。

屋島ケーブル・屋島山上駅、駅舎側面。
屋島山上駅に眠る屋島登山鉄道の車両、2号車の辨慶号

 駅舎の右手に周って見ると、ロープを張られた軒下に、降車口と書かれた札があった。その先の階段にはプラットホームがあり、ケーブルカーの2号車・辨慶号が暗がりの中で静かに眠っていた。源平の古戦場にあって、「辨慶」と来れば、1号車は「義経」だ。今は下の登山口駅で眠っているという。

 乗降分離をしていたようで、車両の両脇に階段状のホームがあり、乗車は駅舎内を通って、降車は駅舎内を通る事無く、外に出ていたようである。降車口の軒下に、駅舎内に入る事が出来る扉もあった。もちろん、今は固く閉ざされているが…。そのドアのノブに何気に目を遣ると、電力会社の「新しく入居される方へ」という書類がぶら下がっていた。ああ、この駅舎はもう棄てられたんだと思うしかなかった

屋島山上駅、駅舎2階には讃岐平野を見下ろすベランダがある。

 駅舎の2階には、屋島山上の下を見下ろすベランダがあったようだ。きっと讃岐平野が広がる絶景とケーブルカーが山林を掻き分けながら急峻な山肌を這う様子が眺められた事だろう。

 さっきから気になっていたのだが、駅前の廃店舗群の中の1軒の飲食店の扉が半開きになっていた。営業は止めたが、まだ住人がいるのだろう。そこから住人と思しき中年の女性が先程の犬を連れて出てきた。散歩の時間のようだが、綱で繋がれてはいなく、犬は息を切らせながら勝手に駆け出し姿をくらましてしまった。だが、女性は焦る事なくのんびりと自転車に乗って後に続く。きっと毎日の光景なのだろう。その中年の女性は白い上着を来ていた。まるで、飲食店や食料品店の店員が来ている制服のような感じで、白という色も、衛生に気をつけるそれらの店を連想させる。普段着と言うには素っ気無く、日常の私生活で好んで着るような服とは思えない。という事は、扉が開いていた店はまだ飲食店として営業しているという事だろうか…。

屋島山上駅、屋島ケーブルが運行休止となり寂れた駅前

 名残惜しいが、いつまでもここにはいる訳にいかなく、駅に背を向け歩きだした。でも、駅と距離が開きながらも、何度も何度も駅舎の方に振り帰る。「また、この駅舎と再会できますように!」と、いつの間にか、心の中で願っていた。

 夕陽で長く陰が落ちた土産物店の前を通り過ぎれば、道の両側は打って変わって緑の木々が続く道となる。光はもう弱々しくなり、道は薄暗くなりはじめていた。

 駅舎の姿が見えなくなった頃、さっきの犬が反対側から走ってきて、私に目もくれる事もなく擦れ違い、屋島山上駅の方へ走り去っていった。それから1分程すると、あの中年女性が自転車で私の横を通り、犬が走り去ったのと同じ方向へ消えていった。

[2005年(平成17年) 6月訪問](香川県高松市)

レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の保存・残存・復元駅舎

(※1) 屋島山上への公共交通機関について: 現在はJR屋島駅、琴電屋島駅と山上を結ぶバスが運行されている。日中に概ね1時間に1本の運行。
(関連URL:ことでんグループ屋島山上シャトルバスのページ)

追記: 廃線後の屋島山上駅

  • 屋島登山鉄道は2005年8月31日に正式に廃線となった。
  • 屋島山上駅駅舎は2009年に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された。
  • 屋島山上駅に留置されていた車両・2号車の辨慶号は、災害時に滑落する恐れから、2013年1月、相方の屋島登山口駅まで廃線跡を伝い降ろされ、1号車の義経号に連結されているかのように並べ静態保存されてる。
  • その“相方”こと屋島登山口駅の駅舎は2014年頃に取り壊されたようだ。しかし車両は無事との事。
  • そして、廃止から15年以上が過ぎたが、2021年7月現在、屋島山上駅の駅舎は取り壊されず残存している。しかし特に手は施されず、廃墟化は徐々に進行、駅舎正面の青い駅名看板は落下。そのため看板の位置に刻み込まれていた屋島登山鉄道の社章が見える状態に。このままだと老朽化で倒壊の危険があり取り壊しという道を辿るのではないだろうか…
  • 屋島登山口駅跡の2両の保存車両は、一両は窓が割られまくり状態はよろしくない。先行きが心配。

廃線後の屋島登山口駅

廃線後の屋島登山口駅、プラットホームと車両2両が残されているが…
屋島登山口駅跡、駅舎は取り壊されたが車両2両が静態保存。しかし良好な状態とは言えない…(2021年7月)

廃線後の屋島山上駅

屋島ケーブル廃線後の屋島山上駅、廃墟化がゆっくり進行…
美しくも廃墟化が進行する屋島山上駅の駅舎。(2021年7月)
廃線後の屋島山上駅、落下した駅名看板は廃トイレの中に
落下した駅名看板は隣接する廃トイレに押し込められていた…(2021年7月)