薬師堂駅(由利高原鉄道)~ポツンと佇む満身創痍の木造駅舎~



羽越本線との分岐点にポツンと佇む

 秋田県の羽後本荘駅から、地図を片手に市街地や国道108号線を歩き、国鉄矢島線から転換された由利高原鉄道・鳥海山ろく線の薬師堂駅へと向かった。できれば列車で降り立ちたかったが、残念ならが列車本数が少なく、ちょうどいい時間の列車が無かった。

由利高原鉄道・鳥海山ろく線・薬師堂駅、国鉄ローカル線の面影残す

 市街地もやがて終り、外れのような風景になってくると、ほどなくして薬師堂駅を見つけた。ゆとりある敷地に古ぼけた駅舎と短いホームがポツンと佇んでいた。

第三セクター・由利高原鉄道・薬師堂駅、同社で数少なくなった木造駅舎

 薬師堂駅の木造駅舎はがっちりとした車寄せを備えているのが印象的だ。国鉄矢島線の前身、横荘鉄道西線以来の駅舎で、1937年(昭和12年)の築だ。開業は1922年(大正11年)8月1日で、その時は正式な駅ではなく停留場としてだった。

 駅名はこの付近にあったお寺に由来しているが、そのお寺はとうに失われてしまったという。

 外壁の板張りは年月を経て古きよき趣きを感じさせる。しかし古色蒼然としすぎている感。板は一部が剥がれ落ちてしまっている。由利高原鉄道の数少ない現役木造駅舎だけに、もっと手入れして末永くとはいかないものだろうか…

由利高原鉄道・薬師堂駅、JR羽越線との分岐点にあり貨物列車通り過ぎる

 かつては島式のプラットホームで、その他にも側線の存在を覗わす空き地もあるが、今では1線以外は全て剥がされている。

 羽越本線と分岐点した直後に駅はあり、JRの貨物列車が通り過ぎていくのが見える。あまりに近く、これなら羽越本線側にも駅を作れと言いたくなる。こういう本線と支線の分岐点では、分岐直後の支線の側だけに駅が作られるというケースは旧国鉄線ではよくある事で、国鉄らしい風景を残していると言えるのだが。

由利高原鉄道・鳥海山ろく線、満身創痍の薬師堂駅駅舎

 駅舎じゅうで傷みが進み、窓がトタンで塞がれていたりサッシ窓にされたりしている。築70年を迎えようとしているが、本格的な改修は施されてこなかったのだろう。

由利高原鉄道・薬師堂駅、駅舎内部も古色蒼然としている
由利高原鉄道・薬師堂駅、木造駅舎らしい窓口跡

 外観同様、待合室内部も年季が入り傷みさえ目立つ。切符売場、手小荷物窓口は無人駅となり塞がれてはいるが、昔の造りを良く残し味わい深い。

由利高原鉄道・薬師堂駅、トイレは使用禁止

 トイレは古い木造ではなく、建て替えられたようだ。ただ、出入り口は板で塞がれ使用禁止と書き込まれていた。

 あれこれ見ていると、建設業と思しき作業服姿の人が駅に居て、巻尺で何かを測ったり、点検するかのように駅舎の各部分を見ていた。老朽化が進み、さすがに駅の建て替えが検討されているのだろうか…。

由利高原鉄道・薬師堂駅に入線した矢島行き列車(YR-1000形気動車)

 羽後本荘方面から列車がやってきた。単行のレールバスだ。私も乗り込み、終着駅の矢島駅を目指した。

[2006年(平成18年) 5月訪問](秋田県由利本荘市)

追記

 この薬師堂駅の駅舎は2009年夏頃に取り壊され、小さな簡易駅舎に建て替えられた。

 そして、2011年には子吉駅駅舎、倉庫として使われていた矢島駅旧駅舎も取り壊され、由利高原鉄道に残るレトロ駅舎はゼロとなってしまった。ファンの理想だけで語るのは現実にそぐわないのは承知しているが、歴史を語る生き証人として、一駅でも古い駅舎を残して名物にできなかったのかと思う…


~◆レトロ駅舎カテゴリー: 旧国鉄の失われし駅舎