三河線・高浜港駅~また消えゆく名鉄の木造駅舎~



数少ない名鉄の木造駅舎がまた一つ…

 名鉄三河線、高浜港駅の木造駅舎が2014年度中にも取り壊されるというニュースに接した。

 思えば2000年以降、木造駅舎など名鉄の古駅舎はばったばったと次々となぎ倒されていくかの如く、取り壊されていったものだ。

 その理由の一つが駅集中管理システム導入にあわせた老朽駅舎の改築だ。これにより、尾西線の奥町駅、苅安賀駅、森上駅、萩原駅、本線の本星崎駅、小牧線の間内駅、西尾線の上横須賀駅など、無名ながら味わいのある古駅舎がどんどん姿を消していった。

 そして代わりに建ったのが、無味乾燥な簡易駅舎だ。近代化と言えば聞こえはいいが、どれも同じような造りでつまらない。そんな駅舎が代わりに建っているのを見ると、まるで蒲鉾ををどんどん切り出していったのかと思える程だ。古い木造駅舎も、基本的な共通設計があるなど、一定の規格化がなされている。しかし、年月を経て変遷しつつも街や風景に溶け込んでいる姿が、また味わい深いもの。名鉄の新しい簡易駅舎を見ていると、そんな存在には決してなり得ないだろうなと思う。

 駅集中管理システムの導入と平行して、プリペイドのストアードフェアード磁気カード・トランパスの導入も積極的に進められたが、そのトランパスも10年ちょっとで終了してしまった。ICカードという技術の発展があり、なんという時代の移り変わりの早さかと思う。

 21世紀に入り、谷汲線、竹鼻線、八百津線、岐阜市内線、揖斐線、美濃町線、三河線も海線・山線と呼ばれた両末端区間と、これだけの路線が廃止されてしまった。いくつかの駅舎は保存されているが、廃線後の当然の帰結として、多くの歴史ある駅舎が取り壊されていった。

 また、当時は現存する名鉄最古の駅舎だった、犬山線・布袋駅の木造駅舎も、高架化工事の一環として2010年に取り壊されてしまった。

 なのでニュースに接した時「ああ、またか…」と、どうしようもない脱力感を感じたものだ。だけど、いつの間にか取り壊されてしまう古駅舎が多い中、鉄道ファンにも無名と思われる高浜港駅が、小さくでもこうしてニュースになるとは珍しい。私にとってもノーマークの駅舎だった。だけど、これを機会に、この駅舎の最後の姿を目に焼き付けておこうと思った。

歴史秘める昭和10年築の木造駅舎

 知立駅から三河線碧南行きの列車ると、20分ちょっとで高浜港駅に到着した。

名鉄三河線・高浜港駅、側線跡が残るプラットホーム

 元は島式のプラットホームで駅舎側に側線もあるなど、なかなかの規模の駅だったようだ。しかし、今では島式の駅舎から遠い方の番線しか使われていなく棒線駅と化した。駅舎とホームの間のレールが剥がされた空間はすっかり草生していた。

名鉄三河線・高浜港駅、現在は1面1線の棒線駅

 そして、唯一残った番線の向こう側にも、貨物ホーム跡と思われる遺構も残っている。ホーム跡の上には、黒いトタンで改修された小奇麗な倉庫が建っている。しかし、コンクリートの土台など良く見ると古そうだ。駅舎同様の屋根瓦が敷き詰められ、線路側にも木の扉が付いているので、昔は貨物倉庫など駅に関連した設備だったのかもしれない。ただ、ホーム跡の下に、先端が赤い杭…すなわち名鉄の用地境界標が何ヶ所にも打ち込まれているので、現在では名鉄の所有ではないようだ。

名鉄三河線・高浜港駅の木造駅舎、ホーム側

 高浜港駅の駅舎をホーム側から見てみた。古い造形を残すが、壁面は何かで塗り固められ改修されていた。

名鉄三河線・高浜港駅の木造駅舎、古い軒と柱

 しかし、軒下に立ってみると、軒は改修されていなく、木の質感を存分に残す昔ながら造りのままだ。 木造駅舎らしい趣きに溢れる。

 しかし立ち並ぶ細い柱には、何か所も縦に大きな亀裂が入っている。まるで柱たちが「もう無理!」と悲鳴を上ているかのようだ。何かの拍子に裂け崩れてもおかしくなく、「老朽化」という現実を受け入れられずにはいられない…。ただ、柱を交換するという選択でも良かったのではと思える。しかし、無人駅となり無駄に大きなこの駅舎を、名鉄は持て余しているのだろう。

名鉄三河線・高浜港駅、小さな池

 改札横にある柵の奥の茂みが気になり良く見てみると…、何と小さな池がひっそりと残っていた。今では茂みにすっかり埋もれ、私も見落とすところだった。

名鉄三河線・高浜港駅、切符売場と改札口

 駅舎内部の待合室は改装され、窓口は跡形も無く塞がれていた。改札口には自動改札機が並ぶ。

 三河線のこの区間は日中でも15分に1本という高頻度運転のためか、この待合室に留まっている人はほとんどいなかった。乗客は改札を通るとホーム上で列車を待ち、下車客はすぐに駅を抜け街の中に消えていった。

名鉄三河線・高浜港駅、昭和15年築の木造駅舎

 高浜港駅の駅舎を正面から眺めてみた、大きな桜の木が見事すぎて、全容がよく見渡せない。あと自動販売機、電話ボックス、駐輪場もうらめしい…

 高浜港駅の開業は1914年(大正3年)だ。この駅舎は三河線の前身、三河鉄道時代の1940年(1915年)に建てられたという。三河鉄道はその翌年に名鉄と合併し、名鉄三河線となった。

名鉄三河線・高浜港駅、古い木の質感残る木造駅舎

 駅舎の外観は、けっこう改修の手が入っていて、第一印象では古き良き趣はいま一つな感じはする。しかしよく見ていくと、木の造りがあちらこちらに残る。木々は長年晒され風化し、表面にはいくつもの木目が浮かび上がっているのが年月を感じさせる。懐の深い駅舎だ。

名鉄三河線・高浜港駅、駅前の風景

 駅前は小奇麗に整備され鄙びた雰囲気は無い。駅周辺は家屋が多く立ち並ぶ。高浜港駅の1日の利用客は800人位との事

 高浜港駅から三河高浜駅の約5kmの道のりは「鬼みち」として整備されている。高浜港駅がある高浜市は窯業が盛んで、この地で製造される屋根瓦は三州瓦と称され、石州瓦、淡路瓦とともに日本の三大瓦の一つとして有名だ。

 また鬼瓦の生産も盛んで、駅前広場には大きな鬼瓦のモニュメントがある。鬼みちの「鬼」とは鬼瓦から来ているのだろう。

 そんな歴史を感じながら散策できる道だが、高浜港駅前から海の方に下る坂は土管坂と呼ばれている。かつては屋根瓦と並び、土管の生産も盛んで、この坂には出来上がった土管が大量に並べられていたという。今でも道沿いの斜面に土管が埋められている所もあり、往時の雰囲気を偲ばせた。

名鉄三河線・高浜港駅、瓦が敷き詰められた木造駅舎

 土管坂を歩き駅に戻ってくると、駅舎の屋根や車寄せに赤褐色の屋根瓦が敷き詰められた様がより印象的に映った。高浜港駅のものが三州瓦かどうかわからないが(恐らくそうなのだろうが…)、瓦屋根が敷き詰められどっしりとした雰囲気の駅舎は、これほどまでに三州瓦の街の駅として相応しい駅が他にあるだろうかとしみじみと感じさせた。

名鉄三河線・高浜港駅、駅舎に寄り添う桜の木

 寄り添う桜の木は、駅舎より高く成長し、葉が生い茂る夏は小さな駅舎の存在を霞ませる程の存在感を放つ。

 だけど、この桜がもう木造駅舎と春を共に迎える事は無い。そう気付くと、もっと早くこの駅の存在に気付いていれば…と悔やんでも悔やみきれない想いだ。人々の目を一身に集めんとばかりに咲き誇る桜と、それをしなやかに受け止めるように佇む屋根瓦の木造駅舎…、きっと素晴らしい春の風景だったのだろう。

[2014年(平成26年) 9月訪問] (愛知県高浜市青木町)

~◆レトロ駅舎カテゴリー: 私鉄の失われし駅舎

追記: その後の高浜港駅

 当初、2014年に駅舎建て替え工事開始の予定だったが延期となり、2015年12月中旬頃から工事に入った。そして、2016年3月新駅舎が完成した。

 駅舎は不要となっていた駅舎側の側線跡や廃止番線を整備し、ホームに隣接し設置された。デザインは私の懸念したような風でなく、なまこ壁を取り入れた土蔵風の駅舎だ。屋根は瓦産業が盛んな地元からの要望で、地元の費用負担により瓦屋根が採用された。