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肥薩線、今に残る明治・大正の木造駅舎を巡る旅(1)~八代-人吉間~


かつては鹿児島本線の一部だった歴史がある肥薩線

 肥薩線は八代駅‐人吉駅‐隼人駅間の124.2kmを結ぶJR九州のローカル線で、日本三代車窓に数えられる「矢岳越え」や、大畑駅手前のループ線、3駅連続するスイッチバック駅など、山間の難所越えが印象深い路線として知られている。

 1903年(明治36年)1月15日に、鹿児島‐国分(現在の隼人)間が開業していた鹿児島線が、横川(現・大隅横川駅)まで延伸開業し、肥薩線の歴史が始まった。約8ヵ月後の9月5日には、更に吉松まで延伸した。

 一方、1908年(明治41年)6月1日に、八代線が八代から人吉まで延伸開業し、翌年の1909年(明治42年)10月12日、門司(現・門司港駅)‐人吉間は、人吉本線という線名に制定された。その約1ヶ月後の11月21日には、人吉‐吉松間が延伸開業した。これにより、門司‐八代駅‐人吉駅‐鹿児島駅間が1本のレールで繋がり、同時にこの区間の線名は鹿児島本線と改称された。

 肥薩線は今でこそ、山間の絶景を越えるローカル線として有名だが、全通当初は鹿児島本線の一部を成した重要な区間で、激動の時代の中、力強く発展しようとする日本を、1本のレールで繋ぐ、まさに大動脈の一端を担っていたと言っても過言ではないだろう。

 1927年(昭和2年)10月17日、八代‐鹿児島間の海側の区間が全通し、新たに鹿児島本線に組み入れられ、従来の八代‐人吉‐鹿児島間は、肥薩線という線名に改められた。1932年(昭和7年)には、鹿児島‐隼人間が日豊本線に編入され、肥薩線は、今現在慣れ親しんでいる区間となった。

 メインルートから外れローカル線と化し半ば忘れられたためだろうか…、肥薩線には大きく改修される無かったトンネル、橋梁など、往時の面影を色濃く残した鉄道遺産が多く残る。明治~大正時代に建てられた木造駅舎も10もの駅で残り、その多くが木の質感が豊かで、肥薩線の長い年月を感じさせる趣き深い駅舎だ。

 嘉例川駅、大隅横川駅は国の登録有形文化財となった。残りの八代駅、坂本駅、白石駅、一勝地駅、渡駅、大畑駅、矢岳駅、真幸駅も2012年の夏に申請予定という。そしてその先にあるもの…、それは肥薩線の世界遺産登録を目指すという。


八代駅

JR九州、肥薩線と鹿児島本線の要衝・八代駅
( 肥薩線と鹿児島本線の要衝・八代駅。)

 肥薩線の錚々たる木造駅舎群の陰で、自分にとってノーマークだった駅舎だ(そのせいか駅舎を正面から撮影したものは無いのは不覚…)。なので、肥薩線木造駅舎の登録有形文化財申請のニュースを聞いた時、なぜこの駅舎がと不思議に思ったものだ。

 肥薩線の起点だが、鹿児島本線との分岐駅であり、特急有明やつばめも停車した主要駅の一つで、むしろ鹿児島本線の駅という印象が強かった。そのため、古い木造駅舎は多くの乗客に対応すべく改修されてきたのだろう。でもホーム側からの写真を改めて見ると、駅舎の外壁、木の柱、石積みの造りが残るプラットホームなど、改修されてるとは言え、随所に駅の歴史を垣間見せる。再訪した時は、きっと面白い何かを見つけられるに違いない。

 原形を留め趣き深い肥薩線の木造駅舎はもちろん、時代が移り変わる過程に伴って変化した木造駅舎に注目し、その姿をとどめていく事も大切なんだなと思い起こさせてくれる駅だ。


(熊本県八代市)[2007年6月訪問]


坂本駅

肥薩線、坂本駅の木造駅舎
( 坂本駅の木造駅舎)
肥薩線・坂本駅、車寄せと丸ポスト
( 坂本駅、丸ポスト。)
坂本駅に停車する九州横断特急
( 坂本駅に停車する九州横断特急。)

 旧駅事務室には八代商工会・坂本支所が入居しているため改修されているが、それでも長年使い込まれた木の質感豊かな木造駅舎が現役だ。車寄せ下に置かれた丸ポストもレトロな味を醸し出している。

 今では無人駅となったが、駅にはきれいに整えられたバスロータリーがあり、駅周囲には、学校、八代市の坂本支所などもある。2005年7月の市町村合併までは、坂本村の中心だった駅で、駅舎や駅の周囲にも、その雰囲気を強く残していた。

 私の滞在中、ちょうど待合室の床掃除が始まり、駅が大切にされている事を実感した。きれいに拭きあげられた床はピカピカに光っていた。

 


(熊本県八代市)[2007年6月訪問]


瀬戸石駅

肥薩線・瀬戸石駅。ホーム上の木造待合室。
( 肥薩線・瀬戸石駅。ホーム上の古めかしい木造待合室。)
瀬戸石駅、駅舎跡地。
( 2度の駅舎被災後、駅舎は再建されなかった…)
瀬戸石駅待合室。木造の造り付けベンチ。
( 木製造り付けベンチを支える持ち送り。)

 木造駅舎は1965年の球磨川氾濫で流され、その後、再建された駅舎さえも再び水害に遭い、遂に駅舎は再建されなかった。

 だけどホーム上には古めかしい木造待合室が残っている。この待合室はいつ造られたかは解らない。しかし、木の質感など古び具合と、他の肥薩線木造駅舎と似た造りの付け木製ベンチの脚部分の意匠から察するに、相当に古いものと思われる。駅舎は流されてしまったが、ホーム一段分だけ高い所にあるこの待合室は、紙一重の差で難を逃れたのだろうか…?

 肥薩線の木造駅舎を国の登録有形文化財にしようという動きがあるが、瀬戸石駅の待合室も古い造形を残した待合室として、登録の価値は十分にあると思う。同じ肥薩線の段駅のホーム上にも、同じような待合室が残っていたが、近年建て替えられてしまっただけに、尚更、貴重な存在になったように思う。


(熊本県八代市)[2012年4月訪問]


白石駅

JR九州・肥薩線、白石駅の木造駅舎。
( 味わい深い外観のままの肥薩線・白石駅の木造駅舎。)
白石駅。駅舎ホーム側、木造の軒と柱。
(駅舎ホーム側。)
白石駅に停車するSL人吉号
( 白石駅に停車するSL人吉号)

 1908年(明治41年)の駅開業以来の木造駅舎が現役だ。肥薩線・八代~人吉間の木造駅舎は、大きく改修されなら使われている場合が多いが、この白石駅は無人化され窓口が塞がれた以外は、昔ままの造りをとてもよく残し、いっそう味わい深い。

 集落の中心となる場所は球磨川を挟んだ対岸で、駅や周辺はとてもひっそりとしている。私が滞在している1時間位の間、駅前を通った車は僅か数台で、駅利用者の姿を見る事は無かった。


(熊本県葦北郡芦北町)[2012年4月訪問]


一勝地駅

JR九州・肥薩線、一勝地駅の木造駅舎。
( 肥薩線・一勝地駅。縁起のいい駅名で記念切符が人気。)
一勝地駅、軒を支える柱。
( 補修しながら使われる柱。)
一勝地駅駅舎、簡易委託駅となり内部は改修。
( 簡易委託駅となり内部は改修。)

 駅の開業は1908年(明治41年)だが、火災で駅舎が焼失したため、1914年(大正3年)に今の木造駅舎駅舎が建てられ、改修されながらも使い続けられている。

 旧駅事務室には球磨村の観光案内所が入居し、駅の簡易委託業務も請負う。随分改装されているのがやや惜しい気もするが、随所に古い使い込まれた雰囲気を残しつつ、村の観光拠点として活用されている姿は、不思議な味わいを感じさせる駅である。


(熊本県球磨郡球磨村)[2012年4月訪問]


渡駅

肥薩線、渡駅の木造駅舎。
( 渡駅の木造駅舎。改修され内部には商工会が入居。)
渡駅、駅舎ホーム側。
( 渡駅、駅舎ホーム側。)
渡駅、駅機能は右隅の軒下に…。。
( 駅機能は右隅軒下に…。)

 無人駅となり一勝地駅以上に大きく改修され、駅舎内部は球磨村の商工会が入居している。駅としての機能は、右隅軒下に設置された小さな待合室に移された。きれいだが、かつての本屋の片隅で肩身狭そうで、正直、追いやられている感は拭えない…。駅舎が大柄なだけに尚更そう感じるのだろうか…?

 でも、駅に人がいて活用されている状況は、地元の人にしてみれば街の玄関たる駅が、寂れひっそりとしているより安心感があるというものだろう。こんな形で使い継がれる…、これも木造駅舎が生きる道なのだなと思った。

 かつての駅舎の出入口は商工会の玄関になっている。玄関前には改修後に設置されただろうコンクリートの階段がある。当然フロアもその高さにかさ上げされているようだ。フロアをかさ上げしてもなお、天井までの高さは問題の無い訳で、肥薩線の標準的な駅舎が、いかにずんぐりと大柄に背が高く造られているかを改めて実感させられた。


(熊本県球磨郡球磨村)[2007年6月訪問]

『肥薩線、今に残る明治・大正の木造駅舎を巡る旅(2)~人吉-隼人間~』はこちらへ!
 嘉例川駅、矢岳駅… 木の質感溢れる木造駅舎ひしめく区間、
そして絶景の秘境駅も…